未明の淡光-母殺しの思想   匠 雅音著 2001.8.20
 
目  次
1. はじめに 2.農耕社会から工業社会へ
3.神とその代理人たる父の死 4.新たな論理の獲得
5.機械文明の誕生 6.電脳的機械文明の誕生
7.ウーマニズムな女性運動 8.フェミニズムの誕生
9.子供の認知と母性愛 10.母殺しの意味するもの
11.おわりに  
                
1.はじめに
 軽く透きとおった情報社会が到来した。知識という無色で無形なものが、有償で取り引きの対象になる時代を、情報社会と呼ぶことにする。ところで、1760年頃から1830年頃にかけて、イギリスにおける紡績機械の改良に端を発し、工業化によって経済・社会組織が飛躍的な変革をとげたのを、産業革命と呼ぶのは周知であろう。

 本論では、近代なる言葉は工業化と同義に使い、工業化した社会を近代社会と呼ぶ。そして、前近代とは産業革命以前の社会のことをいい、産業区分でいえば第一次産業つまり農耕社会をさすことにする。新たな産業社会が見え始めた現在に、近代もしくは現代とは如何なる時代なのかを考察してみたい。

2.農耕社会から工業社会へ
 農耕社会を言い換えると伝統的な社会ともいうが、そこでは土地を対象として人間は労働した。大地は恵みをもたらしただけではなく、人間を教育して農耕社会に特有のゆったりした性格を形成させた。当時の社会には、近代化された今日の我々には、想像もできない生活と精神活動とがあった。たとえばM・ウェーバーは、伝統的な社会に関して次のようにいっている。

 「人は『生まれながらに』できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ質素に生活する、つまり、習慣としてきた生活を続け、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎなくなる*1

 農耕社会では生産向上の欲望が生まれても、それは慎ましいものだった。土地という限られたものを労働の対象にしているところでは、欲望が無限に拡大することはあり得ない。人間の欲望は、土地の生産性を超えることはできなかった。朝には太陽が昇り、夕べには太陽が沈む。人間も朝に起きだし、夕べには床につく。自然のくり返しの中で環境という自然の掟に従って、日々をくり返すのが人間たちの生き方だった。

 農耕社会の生活にも、喜怒哀楽といった精神活動があったことは事実であろう。しかし、農耕という産業しかない社会と今日の工業社会とでは、生活様式の違いに止まらず、大きく異なる精神活動があった。それをM・フーコーは、次のように表現している。

 「18世紀末以前に、『人間』というものは実在しなかったのである。…『人間』こそ、知という造物主がわずか200年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったくの最近の被造物に過ぎない*2

 そのため伝統的な社会には、人間に固有の私性、つまりプライバシーという概念もなかった。たとえあったにしても、今日ほどには重要視されることはなく、地域とか家系といった概念が人間をより強く拘束していた。

 伝統的社会では霊や魂といったものが、人間の心中に現代社会よりずっと強く大きな場所をしめていた。論理に基づく科学的な思考が存在しなかったので、人力の及ばない自然現象を神が支配していると考え、人間も神によって生かされているとみなしていた。

 伝統的な社会では、神は全能であった。人間は神の加護のもとで、平穏に暮らしていた。農耕が主な産業である地域では、どこでも人間は神に感謝を捧げている。

 この時代には、神は山であり、海であり、目に見えるすべてであった。もちろん人間も、神が作った自然の一部だった。そして、台風や雷また野原から街まで、神は自然そのものだった。農耕社会の神とは、自然の別名だといっても良い。

 「時間は、自然や神に根をもつ現象から、機械すなわち時計にもとづく、いわば勝手に決められた抽象的な量にとって代えられた*3

とマイケル・オマリーもいうように、1700年頃に機械式の時計が一般へとひろく普及し、ここで時間の質も変わりはじめた。時計は正確な時間を守ることを、人間に強いるようになり、産業革命が準備されはじめた。

 夜も明るい今日からは想像もつかないが、産業革命とともに工業社会が夜に光をもたらすまで、人間の生活は地球環境のなかに自然の掟とともにあった。夜なべ仕事は、おぼつかない行燈のもとで、家の中でごく小規模になされたのである。

 農耕以外に工業という産業が生まれ、工業が人間の社会を支えるもう一つの方法になった。工業社会の発展とともに、仕事は昼間するものとは限らなくなった。

 ここでいう仕事とは、もちろん農耕ではない。工業が新たに生み出した働く場所、つまり工場や会社での労働である。同時にその労働とは、土地を相手にしたものではなく、物を相手にしたものへと変化していたのでもあった。

 農耕社会では土地の限界に縛られて、労働は無限の生産性向上をめざせなかった。しかし、農耕以外に口を糊する方法を見つけた人間は、働けば働くほど大きな収穫=利潤が入手できるように感じたので、労働は24時間にわたって続けられた。

 時代の精神は新しいものを良しとし、生産の拡大を是とするようになった。機械の時間に支配された工場の発生は、人々の生活の形をもかえた。

 伝統的な社会では、その結果が農繁期と重ならないようにするため、男女の交わりは春から夏のあいだに行われた。つまり、子供の誕生ですら農業労働の繁忙に従った。それが近代の工業社会に入ると、

 「出産に当たって考慮されるべきものが、農事暦から無季節性の社会歴に変化した*4

のである。

 今日では農業といえども、工業生産の成果の上に成り立っている。化学肥料の使用からはじまって遺伝子工学や生殖技術の応用など、先端的な技術が農業にもつぎ込まれている。そのため、今日の先進工業社会における農業は、前近代つまり農耕社会の農業と似てはいるが異なったものとなった。

 もはや農業といえども、自然の恵みを受けるだけではなく、極大利潤を追求するものになった。だから近代社会では、農業も工業もすべての生産における欲望が、無限に拡大し始めたのである*5

3.神とその代理人たる父の死
 神は無形であり、肉眼で見ることはできない。しかし人間は、神を自分たちと同じ姿形をしたものとして考えた。男性の神も想像したし、女性の神も想像した。

 「血縁の男たちがコミュニティを防衛するという制度は、人間世界に共通する制度であり、時と場所にかかわらず確固たるパターンを確立している*6

といった事実が、神の現世における姿は、壮年の女性ではなく壮年の男性を選ばせた。壮年の男性とは、知と力を兼ね備えた者の象徴である。

 知と力を兼ね備えた者とは、個別的で具体的な一人の独身男性を意味するのではない。それは家族を養う父に他ならなかった。農耕社会における現世の価値を体現してきた人間、それは知と力そして経済力の両方に秀でた父だった。農耕社会の家族が、家長たる父に代表されるように、父は現世における神の代理人だった。

 ここでいう父とは、生きている具体的な成人男性のことではない。女性や子供を養うのは、立場としての父である。父とは一家を構え、一人もしくは何人かの女性を孕ませ、その女性と生まれた子供たちを養う者と、社会的に見なされた男性の立場のことである。だからここでいう父とは、遺伝的な父とは必ずしも一致しないことも多い。社会的な立場としての父は、精子の提供者としての男性とは限らない*7

 男女の営みが、種を保存させる。子供の誕生には、父と母が不可欠でありながら、母は神の代理人ではなかった。天の父という言葉がそのまま神を表したように、父という立場が神の代理人だったのである*8

 伝統的な社会では、人間は自然を所与のもの、つまり神の創った世界と感じていた。神に創られた人間は、神の創った世界で自由に行動できた。しかしある時、人間は疑うことを知った。

 神はなぜ人間を創ったのか、自分という人間はなぜ存在するのか。初めは謙虚に、そっと問うた。その質問から、神が本当にいるのか、と罰当たりなことを口にするのは時間の問題だった。とうとう禁断の問いを口にだした。

 神は応えなかった。どんなに人間が神の存在を問うても、山でも森でも神は黙ったままだった。神の声を聞くことができなかった人間は、神への信頼を変質させた。神に創られたはずの人間が、神から離れたのである。その結果、それまで自分の心の中にあった神の座を、自分の心の外へと押し出した。そして人間はゆっくりとだが、しかし確実に

 「神の内在の直接性を見失って行く*9

のであった。

 神が心の中にいた時代には、人間と神は一体化していた。だから、自分が神を信じるか否かの判断は不必要だった。ただ神を頼って、無心になって神に自分の身を委ねれば良かった。そうすれば神は黙って、人間を守ってくれた。ところが、神と共に生きてきた人間が、神を自分とは別の存在として考える対象にした。ここで神の位置づけが変わったのである。

 1500年代の初めになると、西ヨーロッパでは新しい信仰の運動がおこった。強大になったこの運動は、神が人間を考えるのではなく、人間が神を考えるものだった。そのため時代が下るにしたがって、神は人間の数ほどにも多数に分裂し、人間はたくさんの教団を形成した。

 今や事情が変わった。神が人間を創ったのではなく、人間が神を絶対善として、神のあり方を決めるのである。無条件に神に頼ることはできなくなったので、宗教革命は不可避だった。

 神が絶対善だとすれば、絶対悪つまり悪魔の誕生も必然だった。

 「神はサタンを創造し、人間を誘惑して破滅させる力をあからさまにさずけてさえいる*10

とJ・B・ラッセルはいう。神を絶対善にすることは、同時に、堕ちた天使が絶対悪の悪魔として登場する。絶対善と同時に悪魔を知った人間を、神は寛大に許容することはなくなった。1500年代の後半から1600年代へという近代の入り口で、西ヨーロッパを襲った恐ろしい現象が、魔女刈りである。

 「古代の神々が追放されキリスト教が支配を確立する中世初期、歴史の薄闇の中にその姿を現す。やがてルネッサンスに至って、苛烈を極めた異端糺問により、おびただしい数の魔女が焚殺された*11

というミシュレの言葉のとおりに、悪魔と交わったという疑惑により、神や正義の名において拷問がおこなわれた。人間を守ってくれるはずの神が、隣人たちの命を奪ったのである。

 工業社会は都市を指向し、自然そのものだった農村を捨てようとしていた。後年になってニーチェもいうように、神と別れたここで人間は神を殺したのである。

 「おれたちが神を殺したのだ―お前たちとおれがだ! おれたちはみな神の殺害者のだ!…世界がこれまでに所有していた最も神聖なもの最も強力なもの、それがおれたちの刃で血まみれになって死んだのだ、…おれたち自身が神々とならねばならないのではないか?*12

 神が支えていた知の体系が、疑いを知った人間によって無力化し始めた。そのためこれ以降、知は長い経験の支えから、ゆっくりとだが離れ始めた。

 神を殺したことは、同時に神の代理人たる父が死んだことでもあった。伝統的な農耕社会から、産業革命を経て工業社会に至るとき、神によって体現されたそれまでの価値の体系を過去のものとして葬り去ったのだが、それは人間の神からの自立でもあった。ここでは神の助けはもういらなかった。

 父は神の代理人だったから、父も不要になった。父が死んだというより、神と一緒に父を殺したといってもいい。土居健郎は次のようにいう。

 「父なき社会…のような社会的変化の種は19世紀に…撒かれていた…彼らはそれまで一般に信じられていた価値基準を粉砕し、来るべき社会変革を準備した…日本も父なき社会と呼べるような状況に明治以降入っている*13

 成人男性は神の支えを脱ぎ捨て、ヒューマニズムという人間中心主義で身を固めて、自分の足で立った。神が支えた農耕社会の倫理は、大きくヒビが入り、もはや信頼にたるものではなくなった。近代の精神が希求されたが、工業社会の歴史は、いまだ創られてはいなかった。

 有閑階級とでも呼ぶべき特権階級が輝きを失った。ブルジョワという市民による、血に染まった革命の嵐が吹き荒れた。特権階級以外の人々が、大衆として社会の前面に登場するかに見えた。しかし、大衆が主役になるのは20世紀に入ってからであり、この当時いまだ大衆は社会の主役とはなれなかった。そのため、そこにあるのは大きな混沌だけだった*14

 近代と神という話になると、近代化つまり工業化は西ヨーロッパで始まったので、おのずとキリスト教の神を思い浮かべる。キリスト教が近代化に果たした役割は多大なものがあり、両者の関係を多くの人がさまざまに論じている。近代ヨーロッパの歴史を反芻してみれば、キリスト教とその神のあり方をたどらざるを得ない。

 しかし、近代的な工業社会が、日本そして東・東南アジア諸国と、西ヨーロッパ以外でも実現され始めてきた。今や近代化は、西ヨーロッパだけのものではない。アジア諸国が近代化しつつある事実は、宗教としてのキリスト教を持たなくても、近代化は可能であると見るべきである、と語っている。

 ギリシャ正教をもちだすまでもなく、キリスト教は西ヨーロッパにだけあったのではない。キリスト教の存在が、自動的に近代をうみだしたのではない。近代化を支える精神が何かあったとしても、キリスト教と近代化は別次元の現象である。

 本論は近代化を、西ヨーロッパから切り離すことによって、近代という概念を抽出する。そして近代化を、それぞれの固有の大地から切り離されたものとして考え、一般化して論じるものである。
 
4.新たな論理の獲得
 伝統的社会の終盤において、人間と共にあった神を、観念が認識する対象として、人間の心の中から切り離した*15。それまで全能の神は、聖職者という有閑的で、特権的な階級に寄宿していた。しかし、人間たちが新たな論理を獲得することによって、神は人間の心の外へと押し出されてしまった。

 神を信じる対象とする自己の発見。言い換えると、自然や神といった環境を認識するために、自己と他者という二元構造の論理が発生した。伝統的な社会では自己も他者もともに神、つまり自然の中に存在した。だから、人間が自己なる個人としては存在しなかったが、ここで人間は自己として認識する自分つまり個を発見した。
 1644年に「哲学原理」を著したデカルトは、

 「我思惟す故に我あり*16

といった。これが近代的精神の始まりである。物を見る二つの眼に加えて、人間は自己を見つめるもう一つの目を獲得した。自己を相対的に見ることを知ったといっても良い。

 この時から、自然や神は他者となった。自己と他者という関係が成立したがゆえに、人間による人間のための人間の社会が始まった。論理を操る科学の成立といってもいい。この時、新たな論理を獲得したのは、なぜか男性だけだった*17

 神を殺した男性は、神に代わって神の椅子に座った。そして、王制は打倒された。一部の特権的な世襲者が、神の委任に基づいて支配するのではない。不死の神つまり永遠の命をもった自然ではなく、可死つまり有限の命をもった男性という人間が、多くの男性そして女性という大衆を支配し始めた。

 人間の観念は聖なる世界から、世俗なる社会に移住した。しかも社会的な上位は、すべて男性が独占した。そして、A・トレップもいうように家庭の中においても、

 「男性にはその財力と理性的才能ゆえに、責任ある教育者としての任務が与えられた。他方、女性には生物学的機能と、『生まれつき』感情的であるという資質から、乳児期と初期幼児期を養育する権限が当たられた。だが、そうした乳幼児の養育に関しても、理論家としての男性が女性を指導することは不可欠とされたのである*18

 近代の工業社会では、論理と腕力の優位性が、男性の存在証明を保証した。有限の命しか持たない男性が、神の仕事をも代行した。人間至上主義=ヒューマニズムがうまれ、人間の創造力への期待が高まった。そして、男性の優位性は、男性をしてすすんで個体維持と種族保存に奉仕させた*19

 1700年代から1800年代になると、近代社会は近隣の農耕社会を打ち破り、強大で豊かになった。武力に秀でた西ヨーロッパの近代社会は、地球上の途方もない領域を支配下においた。そして、西洋近代諸国に遅れること100余年、わが国の近代も強大になり、アジアの近隣諸国をその支配下に組み込んだ。拡大する近代社会は、どこも豊かさを満喫した。

 豊かさの見返りは、男性だけではなく、劣位におかれた女性たちも享受した*20。近代社会では総体的にみて、健康状態も良くなり、平均寿命も延びた。消費物資の分け前はずっと多くなり、教育を受ける機会もふえた。近代社会の女性たちは、前近代にとめおかれた農耕社会の男性より、はるかに豊かな生活を手に入れた。

 しかし、屈強な腕力に加えて、冷徹な論理を獲得した男性にたいして、女性は非力な肉体的存在のままだった。伝統的な社会から近代社会への転換において、なぜか女性は論理の獲得に出遅れてしまった。理屈っぽさや論理的な資質は、男性的だと今でもいわれる。

 近代は、男性だけを伝統的な共同体から個人へと解き放ち、女性を伝統的社会に取り残した。だから、近代の工業社会に入っても、女性は自然にとどまり、神殺しには参加していなかった。

 論理的な思考は、産業における生産力を高め、生活に必要なものの生産つまり個体維持に大きく貢献した。男性たちは必死に働き、より大きな富を蓄積した。男性たちは個体維持に邁進した。論理の獲得にでおくれた女性は、個体維持への貢献においてより劣位におちた。

 近代社会における女性の絶対的な生活水準は、伝統的社会のそれよりはるかに向上した。しかし皮肉なことに、男女間の格差は拡大し、女性の男性にたいする社会的な劣位性はよりひどくなった。

 健康でありながら生産活動に参加しない人間は、その存在意義を問われる。個体維持を担えないとすれば、人類の存在に不可欠なもう一つの仕事、つまり種族保存に特化するしかない。女性はその劣位を回復するために、自己存在の礎として種族保存を自己の領域とした。言い替えると女性は妊娠・出産を担保することによって、自己の存在証明を確保しなければならなくなった。

 時代は、すでに近代である。父を殺した男性は、自然や神から切り離されて、論理によって自立し裸の自由人になった。しかし、個体維持から離れた女性は、女性の自然性つまり妊娠・出産と結びつけ直された。女性は論理という人間の世界から、自然の世界に戻ることになった。

 神から与えられた肉体に、女性の社会的な意味が付与された。子供を産む母として女性は崇高となった。工業社会になったために、男性は個体維持、女性は種族保存という、性別による分業が始まった。

 女性は男性に拮抗するために、新たな論理を体得するのではなしに、自ら母性なる擬自然性を大切にした。女性は妊娠・出産する生き物といった、自然の生理へと帰らざるを得なかった。それだけではない。女性の身体的な自然性が社会性へと敷衍されて、女性は子育ての専従者だと見なされはじめた。

 授乳という女性の生理と結びついた母性が賛美され、母性愛なる言葉が強調されるようになった。神殺しに参加していなかった女性は、神に祝福された母なる地位を手に入れた。成人した女性は、全員が母と見られた。母ではない女性は、存在感がうすくなった。ここで、男女に別々の倫理が、庶民のあいだに普及し始めた。

 伝統的社会では、人間存在が自然にしたがったので、人間の生存は自然の摂理そのものだった。神と人間は一体化していた。そこには観念に支配された性愛活動は存在せず、男性も女性も自然の生理にもとづいた性愛行動をした。古事記や万葉集などに見るとおり、自然な性愛は健康で明るくおおらかである*21。自然な性愛活動は、生理的な反応だから壊れない。

 男性は神を殺して観念に拘泥した。そのため、男性は生理的な反応としての性愛活動から、観念にしたがった性愛行動へとうつった。男性の性愛活動は、観念という妄想にも支配されるようになった*22。妄想なる観念は、とどめもなく自己増殖する。男性の性欲が観念の支配下に入ったから、一部の男性は異常とも思える性行動を始めた。そして同時に、男性の性行動は繊細でもろく、壊れやすくなった*23

 観念は多数派という社会性が支えているから、多くの人間は平均的な観念を持つことができる。そして、意識の深層部に刷り込まれた各人の観念は、その人間を無意識のうちに行動させる。しかし、観念は本能ではない。観念の逸脱は、いつでも誰にでも起こり得る。

 男性の性愛活動が男性の生理だけではなく、観念に支えられるようになったことが、男性にしばしば悲劇をもたらすようになった。観念を操縦できない何らかの理由によって、勃起できなくなるのは必然である。

 女性を支配する男性にとっての勃起不全は、自らの存立基盤の根底を揺るがされることだった。去勢コンプレックスにとりつかれた近代人のフロイトは次のようにいう。

 「小さい女の子については、彼女は大きな目につく陰茎がないために自分はとても損をしていると思い、男の子がそれを持っているのを羨み、根本的にはこの動機から男になりたいという願望を抱くに至る*24

そして、またフロイトは次のようにもいう。

 「男性の場合には、この去勢コンプレックスの影響の他に、去勢されたと認められている女性への、ある程度の蔑視というような余分のものがみられる*25
 
 男性の性愛行動を支えるのは、生理的な自然の本能ではなく、性にまつわる妄想をともなった観念となった。論理に支えられた女性への腕力的な優越性が、男性に勃起力を維持させた。

 男性が性交の主導権をにぎり、男性が上にのる正常位なる言葉が生まれた。男性は支配する者であり、女性は支配される者である。支配者は勃起しなければならない。今や男性の性的な不能は許されなくなった*26。

 新たな論理を体得した男性が神を殺してからも、女性は自然人にとどまったが、男性はもはや自然人ではなかった。男性たちは、自然の生理に従って欲情することができず、性的な妄想を自分でかきたてなければ、種族保存に参加できなくなった。種族保存を担えない男性は、種によって懲罰を受ける。勃起できない男性は、支配者の地位を滑り落ち、女性への優越性を大きく低下させるのである。

5.機械文明の誕生
 神の庭から論理を盗んだ男性たちは、よってたかって神を殺した。1687年に「プリンキピア」を著し、万有引力を発見し天体の運行法則を見つけたニュートンしかり、

 「我々は、最高善としての神の概念を、どこから得たのだろうか。ほかならぬ理念から得たのである*27

と、1797年「道徳形而上学原論」において神の不在を暴いたカントしかり、1859年11月24日に「種の起源」を著し神の死を決定づけたダーウインしかり*28、…。無数の男性たちが、こぞって神殺しに参加した。

 自然の法則が、次々と発見された。男性たちはそれまで神の御手になる、とされていた世界の秩序を、白日の下に暴き出した。

 後年、恐ろしさに打ち震えながら神から自立したとき、男性は機械文明を作り出していた。蒸気機関や内燃機関の発明、飛行機の登場などなど、論理的な思考に基づいて男性たちが創ったものは枚挙にいとまがない。物を労働の対象とする工業社会が始まったのである。

 工業社会は、田や畑という大地の上から工場という室内に、働く場所を移動させた。初期工業社会の機械は、油まみれで騒音をふりまき原始的だった。よく故障もした。

 しかし、機械は人間の肉体に代わって、屈強な力が必要な仕事をいともたやすく消化した。機械は強大な生産力を誇った。機械は単純作業のくり返しだった伝統的社会の、過酷な肉体労働から人間たちを、たちまち解放するはずだった。

 農耕社会は工業社会によって浸食されて、徐々に崩壊していった。農業に従事する肉体労働者は過剰になった。農村を追われた労働者はちまたにあふれ、生きるためには労働力を売らざるを得なくなった。だから、過酷な農耕作業から過酷な工場労働へと、働く庶民にはその過酷さは変わらなかった。むしろ農耕社会から弾き出されて、都市部へと流れざるを得なかった庶民には、より過酷な生活が待っていた*29

 都市へ多くの人が流れ込んだから、都市の自浄力はたちまち限界を超え、居住環境は破壊された。初期工業社会では、西洋でもわが国でも都市部ではスラムが発生し、環境の悪化が進んだ。ロンドンのテムズ川に限らず、河川や空気は汚濁にまみれることになった。たとえば、クリストファー・ヒバートは次のようにいう。

 「1849年には、ロンドンの排水施設が原因となって、またロンドンの218エーカーに及ぶ浅くて超満員の墓地の胸の悪くなるほどひどい状態や、煤煙を含み病気を蔓延させながら街路を漂う霧のせいもあって、極めて恐ろしいコレラが発生し、猖獗を極めていた時期には、1日400人の死者が出た。大部分は貧民街の住民であり、貧民街は不潔を極め、その状態は凄まじく、セント・ジャイルジズの貧民窟では、ほぼ3,000人が、100戸以下に詰め込まれており、彼等自身の下水汚物でほとんど窒息するばかりの状態であった*30

 明治初期から中葉にかけて、近代に入っていたわが国でも、事情はまったく同様だった。紀田順一郎の言葉を見よう。

 「ノスタルジーとは、いわば望遠鏡を逆さに覗くようなものである。まっとうに覗けば、万年町のみならず、それと合わせて三大スラムと称された四谷鮫ヶ橋や芝新網町のほか、貧民の多かった地域として下谷区山伏町、浅草松葉町、本所吉岡町、深川蛤町一〜二丁目、本郷元町一〜二丁目、小石川音羽一〜七丁目、京橋岡崎町、神田三河町三丁目、麹町一丁目、赤坂裏一〜七丁目、牛込白銀町、麻布日ヶ窪、日本橋亀島町などがただちに見えてくるはずである*31」 
 
 戦後になっての話、東京は隅田川の汚濁は有名だった。牛込柳町の空気汚染が深刻だったことは、記憶に新しい。工業化にともなう都市への人口集中を、いま経験しているアジアでは、先行諸国がかつて体験したのと同じ現象が現在進行中である。穂坂光彦の観察を見てみよう。

 「(ソウルでは)1988年のオリンピックに向けて拍車のかけられた『都市の近代化』のために、100万人を越える人々が強制立ち退きの対象となり、穴居生活や野菜栽培のビニールハウスに住むことを余儀なくされた。…アジア諸都市の数億の貧しい人々は、路上、橋のたもと、ゴミの山の上、鉄道敷、墓地、排水路、河川敷、湿地、崖下、ビルの屋上、ドヤ、木造家屋密集地区、老朽狭小家屋に住んでいる*32
 
 土地への労働に従った農耕社会の人間と異なり、物の生産に従事する近代人は、身分や血統といった属性に拘束されなくなった。近代社会には、貴族もいなければ王様もいない。全員が平等である。

 土地から物への労働対象の移動は、軽薄でめまぐるしく変わる物質主義や拝金主義をうんだ。近代では、労働が土地の拘束から切り離されたから、人間は身分や血筋にこだわらなくなり、個人の自由が謳歌された。と同時に、実力で成り上がる社会となった。

 近代人たちは生活の必要を越えて、生産における欲望を無限に拡大させた。前近代では、神の代理人だった王のみが富んでおり、庶民は全員が貧乏だった。しかし、近代の入り口では、平等になった庶民のなかから、富める者がうまれ貧富の差が拡大した*33

 資本家は神からの授権を受けたものではない。資本家は身分や血筋が特別なわけではない。平等なる人間という観念が、資本家の存在を支え、労働者への収奪を正当化した。自由と平等が、庶民のなかに貧富の格差を生んだのである。

 労働する庶民は無限に存在するわけではない。環境も放置しておけば、自動的に改善するのでもない。より一層の利益を上げるためには、労働者の待遇を改善し、環境を浄化しなければならなかった。

 度重なる不況に襲われて、極大利潤の追求は単線的には進まなかった。豊かさへの欲望は環境を改善させ、社会福祉を導入させた。そして、それがまた豊かさとなって返ってきた。

 頭脳をつかった論理的な思考が、人間の肉体的な力を充分に凌駕した。頭脳の優秀さを大切にするほうが、生産をより向上させ得た。単純作業を担う肉体より、論理を司る頭脳が優位になった。

 広い範囲にわたって教育を普及させ、識字率を向上させることが、よりいっそうの頭脳労働へと人々を誘った。近代社会は、競って肉体労働から頭脳労働への転換をはかっていた。

 男性内において肉体の頑健さから、頭脳の優秀な働きへと、人間の評価が移動した。ここで肉体的に非力な女性が、社会的に台頭する条件ができたが、工業社会という機械文明は未成熟だった。その機械は知能を持たず、屈強な男性の肉体労働の代替に過ぎなかった。この時代は、人間の肉体労働と機械の肉体労働の対置だったので、女性は男性に従わざるを得なかった。

6.電脳的機械文明の誕生
 論理=科学する精神活動が時代を支えた。そして、工業社会を生み出した神への反逆は、肉体のみならず頭脳の代替物をも作り出した。論理的思考を担当するのが頭脳だとすれば、自分という人間はなぜ存在するのかの問いが、頭脳の代替物を生み出すのは自然の流れである。

 肉体の代替として機械を作った男性たちが、論理的思考をになう頭脳の代替物を作らないはずがない。第二次世界大戦後になって生まれた頭脳の代替物、それは電脳つまりコンピュータだった*34

 電脳なるコンピュータは、工業社会の機械文明と結びつき、電脳的機械文明を生み出した。電脳は暴力的だった機械文明を、華麗に変身させた。電脳的機械文明は、騒音も出さず油まみれにもならない。わずかな埃をも許容しないほど清潔に、素早く生産を開始した。電脳的機械文明の別名を情報社会というが、それは工業社会の機械文明より一層生産性を向上させ始めた。

 電脳的機械文明は繊細で優美でありながら、しかも人間の肉体労働を不要にした。初期工業社会の機械文明は、屈強な男性の肉体の代役にしかすぎなかった*35

 しかし、電脳的機械文明は人間の知能に類したものを内蔵し、機械自らが人間に代わって働いた。機械は力の代替であり、優れた肉体の代替でありながら、人間の肉体を不要にした。ここでは肉体が屈強であるか否かは問題にならない。

 工業社会の機械が変身した。農耕社会における過酷だった肉体労働の代替だったことを、機械は電脳によって越えた。電脳は馬力のある機械をあやつり、速やかな生産を始めた。電脳的機械は、女性の細指でもたやすく操作できる。そのため電脳的機械は、農業や工業生産においては不可欠だった人間の屈強な肉体を不要にした。電脳工場には、大勢の人間がならんで働く姿はない。

 電脳的機械文明では、ただ頭脳の働きが、優れているかどうかだけが評価の対象である。複雑な論理を理解し、それをいかに操れるかのみが問われる。論理によって、新たな機械を創ることに意味がある。社会における競争は、肉体の勝負ではなく、知力の勝負となったのである。

 肉体労働が社会の主流であれば、体力差のある男女に同じ働きを期待することはできない。しかし、働くことに、腕力といった意味での体力は不要になった。いまや仕事のうえで、知力だけが求められる。男女に知力の差はない。だから、男女に同じ労働を求めることが可能になり、雇用機会均等法が制定できるようになった。

 工業社会では、性別による役割分担がしかれ、男性は種族保存から離れ、もっぱら個体維持を担っていた。生産労働に参加する女性は、今や個体維持を担う男性と同じ立場になった。個体維持において、女性は男性に引けを取らなくなった*36

 だから女性は、種族保存に自己の存在を担保しなくてもすむようになった。今や男女がまったく同じである。男性と同様に個体維持さえすれば、女性は種族保存つまり子供を産まなくてもいい、と社会が女性にいい始めた。それが出生率の低下となって表れたのである。

 論理は相変わらず自然環境の解読を続けながら、その論理が自然や環境を解読すればするほど、人間の生活は神から離れ、自然の摂理から限りなく遠ざかり始めた。生産性を上げるために、夜でも照明をこうこうと照らして植物を育てたり、動物を育成するようになった。

 神が創った生物の遺伝子を組み替えたり、自然界に存在しないものを生みだすようになった。昼夜が反転した生活をする人は多くなったし、時差に悩む人もでてきた。そして、日々神に祈る人は少なくなった。

 今や観念が現実を支配する。思考の成果物が、豊かな社会を実現してきた。コンピュータは観念の塊である。機械言語は、現実に根拠がない。しかし、充分に意味を語る。労働の対象が物だった工業時代、思考は労働の対象であるところの、硬くて重さがある物の性質に規定された。

 物は手で触ることができる。物を製造することは、手応えのある世界にいることだった。知識とは重さもなく、無形で無色透明である。知識を労働の対象にすることは、手応えのない世界にはいることを意味する。

 男性の生み出した論理は、男性が男性である所以だった肉体的な屈強さを無価値にした。電脳的機械文明は99%の男性を不要にした。1700年代から1800年代つまり近代に入ってから、男性性は肉体的頑健さプラス論理的思考となっていた。

 情報社会の入り口に立った今、論理的な思考だけが大切で意味あるものとして残された。生産労働に肉体的な頑健さは不要になった。知識の生産のほうが、高給をかせぐようになった。ここで女性の肉体的な非力さが、社会的活動つまり生産労働のうえで劣性ではなくなったのである。

 近代的な学校教育が普及したことによって、人口のほぼ100%が識字力と演算力を体得した。機械文明に支えられた近代的な社会が実現された後になって、電脳的機械文明が実現されつつある。21世紀、そこでは非力な女性でも論理を体得して、頭脳さえ優れていれば、男性と同等以上の働きができる。

 男女の頭脳には優劣がないから、男女はまったく同じ地平にたつことになった。体力の劣性から、伝統的社会では女性は下位におかれた。体力の劣性と論理の未体得によって、近代社会において女性は家内労働や種族保存に専従させられた。

 女性は母として賛美されはしたが、女性個人としては社会的劣位におかれ続けた。しかし、電脳的機械文明つまり情報社会では、男性と同じように個体維持の主役になれる。つまり女性も、男性と並んで生活を維持するための生産労働に参画できるようになった。

7.ウーマニズムな女性運動
 長い人類の歴史の中では、男性だけが働いてきたのではない。女性は田や畑で男性に交じって働き、しかも家の中でも働いてきた。労働時間だけを比較すれば、男性より女性のほうが長く働いている*37

 しかし伝統的な社会では、個体維持に屈強な肉体が不可欠だったので、男性一般が上位価値とされてしまった。個人的には有能な女性であっても、社会的には男性の後塵を拝さざるを得なかった。

 男性が論理に目覚めた機械文明の近代へ入っても、肉体的な腕力が不可欠であったので、女性は男性に対して劣位にあることは変わらなかった。むしろ、近代にはいると男性が論理的思考を体得し、男性の仕事場を飛躍的に増加させた。

 それまで女性が行ってきた仕事を、機械が代替するように男性たちは、働く場を作り替えた。近代文明は、糸紡ぎとか機織りとかといった伝統的な生産労働を、女性からほとんど奪ってしまった。オリーブ・シュライナーは次のようにいう。

 「近代文明は女性から伝統的な仕事をほとんど奪ってしまった。社会は男性には怠惰になることを許さないが、女性には『性的寄生虫』となることを奨励している*38

 農耕社会では、田や畑で男性と一緒に働いた女性は、男性とともに個体維持をも担っていた。人力にしか頼れなかった伝統的な社会では、男女ともに過酷な農作業に良く耐えてきた。

 囲炉裏におけるカカザという名称が示すように、女性の地位はそれなりに確保されてきた。非力な体力といえども、生産労働に従事し個体維持をも担ったので、家の中にも女性の地位は明確にあったのである。

 瀬川清子の「若者と娘をめぐる民俗」に従えば、農耕仕事において女性は男性の50から70パーセントの労働成果をだせば、一人前の労働力と見なされた、という*39。非力な女性も個体維持の担い手であった。

 女性の不足分は、種族保存への貢献が補ったことはいうまでもない。それゆえ伝統的な社会では、女性はけっして種族保存に特化していたわけではない。女性も生涯にわたって、男性とともに幾分かは小さいながらも、充分に個体維持を担っていた。

 工場労働が主流になるに従って、人間は農業から徐々に排除されはじめた。男性は工場へと働きにでた。しかし、女性は働く場を探せなくなった。女性の工場労働はひどい低賃金の別名であり、若いときの一時的なものに過ぎなかった*40。それでは一生にわたる生活費はもちろん、他の人間を養うほどの賃金は稼げなかった。近代の工業社会は、女性が一人前に働く場を奪った。

 農業から排除されると、若年以外の女性には働く場所はなかった。田や畑における生産労働という仕事を失った女性は、生きる場所を家庭へと絞り込まれた。職業から排除された経済力のない女性には、口を糊するために結婚が強制された。賃金労働に従事する男性と、無職の妻という組み合わせが誕生した。

 近代のはじめには、家庭内にも山のように家事仕事があったので、女性は家事仕事に励んだ。家事仕事を消化することが、女性の存在証明を確保するかに思えた。

 しかし、家事労働は生産労働ではない。家事労働は賃金をうまない。女性は男性の稼いでくる賃金に頼る以外に、自分の生活の方法がなくなった。結婚によって家庭へ送り込まれた女性は、個体維持からその役割を外された。女性は個体維持において、直接性を失った。

 工業社会の家庭は、仕事場と離れており、子供以外には何も生産していない。近代の家族は消費に特化している。同じ家族だと勘違いされるが、生産組織だった伝統的社会の家族と、近代の家族は異質なものである。

 伝統的社会の家族は、子供や老人も個体維持のために働いている。各人の力量に応じて、その全員が個体維持に携わっていた。しかし、近代の家族では、女性の役割は種族保存に特化させられた。個体維持の場を失った女性は母になることを強制され、生んだ子供によって自己の存在を証明せざるを得なくなった。

 近代という工業社会は女性をして、専業主婦という個体維持にかかわらない存在をうみだした。生産労働からはなれた専業主婦は、夫の補助者でしかない。

 近代の工業社会は、女性を男性の性的寄生虫になるよう促し始めた。伝統的社会の生産労働から追い立てられた女性は、自らもまた賃金労働者の妻となって、核家族へと入らざるをえなかった。時代が強いたのである。

 男女の役割は質的に異なり、両者は画然と区別された。性別による男女役割の強調である。母性や女らしさの強調といった女性の生理になぞらえた主張、つまり人間の自然的な属性への依拠は、女性に関する限り近代になってからのほうが強い。水田珠枝は女性史研究のなかで次のようにいう。

 「市民階級が未成熟であった時期には、この階級の女性は、夫とともに経営に参加し、相応の発言権をもつ場合もあったのだが、…この階級が政治的にも経済的にも飛躍的に成長すると、女性の地位は向上するどころか、反対に女性たちは社会的活動から排除されていった*41

 19世紀的な機械文明の段階でも、ジェシー・ブシェット*42やスーザン・アンソニー*43のように男性に互して、社会的な活動を指向した女性もいた。歴史をひもとけば、西洋でもわが国でもそうした女性を簡単に見つけることができる。女性運動はいつの時代にもあった、といったほうがむしろ適切であろう。

 しかし、論理と共に屈強な肉体が支配した工業社会では、女性の社会活動はその果実を収穫できなかった。電脳的機械文明が開花する前の女性運動は、腕力の劣性をどうしても克服できず、女性は非力な体力という自然の支配から脱皮できなかった。そのため、この時代の女性運動は、男女が対等だというのではなかった。

 女性運動は、太古にあっては女性が優位したと主張し、人類の始まりを、あるかどうか不確かな母権制社会に求めざるをえなかった*44。仮定のうえでも女性が優位しなければ、女性運動の正当性=正統性を確保できなかったのである。

 当時の女性運動は、高名な女性史研究者だった高群逸枝の例が示すように、女性自身の生活が脅かされると、男性の暴力的な戦争賛美へと同化しさえした*45

 電脳文明以前の女性の社会活動は、労働が頑健な肉体に支えられたがゆえに、今日にいうフェミニズムに孵化する条件を持てなかった。それらは女権拡張運動であり、産む性に基づいたものだった。

 女性は弱者であると主張した。出産時における女性の死亡が多いことも手伝って、女性=母体は保護されるべきだといった。当時の女性運動は、女性の身体的な特性に基盤を置いたウーマニズムに過ぎなかった。

 工業社会の終盤になると、先端的な女性運動はウーマン・リブを生み出した。ウーマン・リブは観念する女性運動だったが、女性固有の権利なる概念から自由になれなかった。

 ウーマン・リブは、女性が産む性であることに拘ってしまった。その理由は、もちろん機械文明がいまだ主流であり、電脳的機械文明が未発達だったので、体力と論理の劣性を出産で担保せざるを得なかったからである。

8.フェミニズムの誕生
 20世紀も終盤になって、電脳的機械文明が労働から肉体という属性を解放した。男性のあいだにおいてすら、屈強な腕力が無意味になった。だから人間は非力に軽くなり、浮遊しても許されるようになった。

 生産労働つまり個体維持のうえで、屈強な腕力はもはや不要である。健康でありさえすれば、腕力の多寡はどうでも良くなった。非力でも、生産労働=個体維持になんの支障もなくなった。

 女性の非力さは、不利な条件ではなくなった。そのため、男女の生理的な違いつまり女性の非力さを認めても、女性の社会的な地位はまったく揺るがなくなった。ここでウーマニズムな女性運動は、その桎梏からやっと切り離された。男女の社会的な等質性を謳うフェミニズムが誕生したのである。

 フェミニズムの誕生は、女性による家庭の見直しではない。それは生産的な賃金労働への参加宣言であり、非力な女性が社会的には男性に優るとも劣らないという、強い意志表示である*46。フェミニズムは子供を産むことをことさらにいわないし、女性が産む性であることに拘らない。

 伝統的な社会の女性が多産なのであり、フェミニズムが隆盛する社会の女性は、平均的にいって少産である。出生率の低下は、フェミニズムの普及と平行現象である。フェミニズムの誕生が真に意味するものは、核家族的家庭からの女性の離脱であり、女性が家事労働の専従者であることの忌避である。

 ウーマン・リブまでの女性運動は、女性による女性のための女性だけの運動だった。女性が男性と同じ社会的な立場を獲得するという目的は、今日のフェミニズムと同じだった。

 しかし、ウーマン・リブまでの女性運動は、産むという女性の肉体的な属性を、運動の原点に据えていた。だから、女性の身体的な特性にこだわると同時に、男性への女性の性的な魅力を露わにできなかった。女性がセクシーであることを肯定できなかった。

 ウーマン・リブまでの女性運動は、人間としての普遍を追求するのではなしに、産む性にこだわり女性=母としての特別な権利を要求した。そのため、弱者としての女性の運動から脱皮できなかった。男性をも含めた社会全体へと、その勢いを拡張するに至らなかった。それは、時代のなせる限界であった。

 今日のフェミニズムは、個人としての男性や女性が、性的な存在であることを肯定する。カミール・パーリアもいうように、男女ともにセクシーであることを認める*47。むしろ性別に固有なセクシーさを強調しさえする。男女ともに性別に特有な個性は、個人として充分に発揮されるべきだという。

 フェミニズムは、男女が違う生き物だと認識するがゆえに、男女の相互依存性を認識している。そのうえで、個人的な身体の特性と、社会的な存在様式は別の次元の話だというのである。

 個人の生き方と社会的なあり方を切り離したので、女性は社会的な女性性には捕らわれなくなった。収入のある女性は、自らの嗜好に従って、自由に生きることができるようになった。

 女性運動は自己の女性なるものを見つめることから始まったが、今日のフェミニズムは、もはや工業社会までの社会的な女性性から自由になっている。女性も男性と同質の社会で働く人間である、と主張する。だから、生産労働に従事する男女間で共通の会話がなりたつ。

 フェミニズムは、個人的には女性であることに徹底して拘りながら、社会的には女性であることによる特別の権利を主張しない。生物学的な男女という肉体的な特性は、社会的な性差に直結しない。

 男女なる性別と、男女なる性差は別次元のものである。それが、女性の社会進出を支えている理論的な支柱である。だから子供を産まない女性も、フェミニズムを謳えるのだ。

 フェミニズムがいう社会的な性差の否定は、男性に性差別を禁止すると同時に、女性にも女性であることを理由にさせない。社会的には、男性に男性という特権がないのと同様に、女性にも女性という特権はない。フェミニズムは個人的な性別を強く肯定しながら、社会的に強いられた性差の解消を主張する。

 個体維持=生産労働において体力の劣性が無化したので、女性は出産・子育てを自己の存在証明としなくてもすむようになった。そしてフェミニズムは、出産を性交から引き続く個人的な行為と見なし、子育てを社会的な行動だと見なす。

 それによって、出産と子育てを異なる次元のものへと分離させた。フェミニズムは子育てについて、女性固有の生理に基づく主張を手放すことによって、男性にも女性にも女性が男性と同じ社会的人間であることを認識させた*48

 社会的な次元において、フェミニズムは肉体的な性別を問わない。フェミニズムは個人の性別ではなく、社会的な性差だけを問題にする。今日のフェミニズムは、女性が母であることに拘らない。

 女性は個人的には非力な体力であっても、自らを社会的な弱者だとは考えない。女性は女性への社会的な保護を求めはしない。社会的な男女はまったく対等だと考える。

 人間の尊厳をたもつ思想や制度から、女性が排除されることをフェミニズムは認めない。そして、社会的な制度が、男女に不平等であることを許さない。就業の自由は、男女に平等に確保されるべきだと考える。女性が充分に能力を発揮して働ける環境の整備を強く求める。

 子供を産むことは女性の生理的な行為であるが、子供を育てることは女性だけに科せられた義務でもないし権利でもない。出産は個人的な行為であり、子育ては社会的な行為である。社会的な子育ては、男女両性の人間としての義務であり権利である。

 乳母の例をあげるまでもなく、子育ては産みの母以外にも、充分に可能である。子育てはもちろん男性にもできる。子育てに母性の賛美は不要である。フェミニズムは母性の賛美を必要としない。フェミニズムは、子育てや家事労働の見直しから生まれたのではないことを、何度でも確認しておく。

 初期の工業社会においては、女性が優位した女性支配の歴史がないと、女性運動の正当性の根拠をたてられなかた。だから、フェミニズム以前の女性運動は、正当性の根拠を不確かな歴史に求めた。

 ウーマニズムは人類の始まりを女性=母であることが優位する母権制社会に求めざるを得なかった。しかし、出産と子育てを切り離したので、もはや母権制社会を云々する必要はなくなった。

 肉体労働から頭脳労働への転換が、男女の社会的な違いを無化した。だから、ありもしない母権制に頼らなくても、女性の尊厳はまったく揺るがない。社会的に必然である運動には、歴史の支えは不要である。ここでウーマン・リブという女性運動は、フェミニズムという普遍的な思想に転化した。

 フェミニズムはヒューマニズムと同質の思想であり観念である。電脳的機械文明に促されたフェミニズムが、女性を男性と同じ社会的な動物へと力強く変身させた。

 最後まで残った女性という被抑圧者たちを解放し、すべての価値を握っていた男性と同等の人権を与え、人類の半分を人間として自立させたのは、子育てから女性を解放したフェミニズムである。

 20世紀に人類が作り出した最大の思想は、ウーマン・リブという揺籃期の後に生まれたフェミニズムである。芋虫とチョウチョが別物であるように、女権拡張運動やウーマニズムと、フェミニズムは違うものである。

 たとえ、フェミニズムという言葉が使われていても、今日のフェミニズムと電脳社会以前のそれは、違う概念といわなければならない。フェミニズムとは、まったく新たな思想なのである。

 今日のフェミニズムは、電脳的機械文明の上に花開いたものであり、労働における体力の無価値化が女性の台頭を支えている。いうまでもないことだが、現代の農耕社会つまり第三世界の国々にあるのは、女権拡張運動やウーマニズムであってここでいうフェミニズムではない。

 女性運動が性別にもとづく運動から離れて、社会的な性差の解消を目指したときに、フェミニズムは女性だけのものではなくなった。フェミニズムにおいては、女性も男性と同様に、人間という普遍的なものを追求する。

 男女別の道徳や倫理を追究するのではなく、人間としての普遍を追求するから、フェミニズムは男性にも大いに意義があり大きな価値がある。

 ヒューマニズムは男性だけのものではない。それと同じように、フェミニズムは女性だけのものではない。男性はウーマン・リブには参加できなかったが、フェミニズには女性と一緒にかかわることができる。フェミニズムは男女の性別的な違いを認めることによって、男性をもその射程に巻き込んでいる。

9.子供の認知と母性愛
 すべての社会に子供がいる。子供は男女のいとなみにより、女性が妊娠して女性から生まれる。子供は大人になって、次の時代をつくる。これは人間社会に普遍的な事実である。

 だからどんな社会でも、子供なる存在と子供という概念は同じだと見なしやすい。そして、いかなる女性も生んだ子供に愛情を注ぐと決め、社会が子供を見る目は、地球上のどんな社会でも同じだと考えがちである。妊娠・出産を司る女性には、子供への愛情つまり母性愛が本能として組み込まれている、という人さえいる。

 新たな社会を洞察するために、伝統的社会をもう一度ここで振り返ってみよう。伝統的社会の人たちは、日々の必要を満たすために働いていたのであって、より多くの賃金を稼ぐために働いていたのではない。

 土地という限界が、生産の欲望を制限していたので、彼らはつつましく暮らしていた。子供の誕生が農事暦に従っていたそこでは、子供に対する意識も現代とはずいぶんと違っていた。

 フィリップ・アリエスの「子供の誕生」によれば、西ヨーロッパの伝統的な社会においては、子供なる存在は認識されていなかったという*49

 生まれたばかりの幼児は、神の意志で生まれ神の意志で死んでいくもので、まだ人間となっていない生き物だった。だから幼児は、大人と同質の同情や哀れみをかける対象とは考えられていなかった。今日いう子供なる概念はなかったのである。

 伝統的社会には学校がなかったので、働くことを猶予された学童期が存在しなかった。幼児期をすぎた子供は、小さな大人に過ぎない。そのため、親からの養育期をすぎると、ただちに大人に混じって労働の渦中へと投入された。

 伝統的社会では、子供は愛情を注ぐ対象ではなく、まず何よりも労働力として見られていた。エドワード・ショーターも次のようにいって、アリエスの論を追認する。

 「母親が幼児の養育に心を砕くようになったのは、近代になってからのことである。伝統的社会では、母親は、二歳以下の幼児の成長や幸福には無関心であった*50

 出産という生理的な行為と、生まれた子供への精神活動は、一義的に決定されるものではない。子供に無関心な男性=父親がいるように、生まれた子供を放置しておく女性=母親はいくらでもいた。自分の生活つまり個体維持に子供が障害となれば、母という女性にかぎらず子供を歓迎しないのは当然である。

 伝統的な社会においては、子供を産んだ女性の主なる仕事は子育てではない。女性の主なる仕事は、あくまで個体維持つまり自分たちの生活維持だった。

 非力な女性にとっても男性と同様に、種族保存より個体維持のほうが優先した。自分たちの生活を維持するかたわら、子育てが行われたに過ぎない。西ヨーロッパに限らず、わが国でもそれは同じである。

 わが国では江戸時代までを伝統的社会と呼ぶが、この時代まで女性は母として生きるのを優先したのではなく、男性よりも下位ながら個体維持を担う人間として生きた。だから、生活をある水準に保つため、子やらい=間引きがおこなわれた。

 大人たちの生活上の都合によって、生まれた幼児は間引かれ、適切な人数へと人口調整が行われた。母の承認のもとで、生まれたばかりの子供が殺された。

 江戸時代の人口は、三千万人を超えることはなく、200年間にわたり増えもしなかったし減りもしなかった。避妊や人工妊娠中絶が未発達だった時代に、人口が増えも減りもしないのは、乳幼児死亡率の高さからでは説明できない。

 生きている大人たちが、自分たちの生活を優先して、人為的な調節をした。間引きはその性質からして、記録が残りにくいものである。しかし、間引きが習慣的に広くおこなわれていたことは、さまざまな調査や研究によって確認されている*51

 土地を労働対象とする伝統的社会では、そこに生活が可能な人数には限りがある。人間は質素に生活し、つまり習慣としてきた生活を続ける他はない。生まれた子供への愛おしさより、自分たちの生活が優先するのは、きわめて自然の成りゆきだった。どんな伝統的社会でも、種族保存より個体維持が優先した。

 伝統的社会では避妊や人工授精が存在せず、子供の誕生に人間の意志が介入する余地はなかった。男性や女性の精神活動の結果として、子供は生まれたのではなかった。子供は神に授かるものであり、人智をこえて生まれるものだった。

 女性は妊娠を望んでも、男性の肉体と神の意志が働かなければ、妊娠はできなかった。子供は神によって女性の体内に宿り、神によってこの世へと生かされるものだった。

 子供の誕生は女性の意志を超えたものだったので、女性は子供を自己の存在証明とはできなかった。と同時に、女性も個体維持を担っていたから、子供を自己の存在証明とする必要もなかった。

 今日では子供を使役の対象とは見ない。しかし、学校のない伝統的社会においては、子供は貴重な労働力だった。そして、社会保障のない農耕時代には、子供は大人たちの老後の保障だった。

 子供がいなければ、自分たちの老後の生活に支障がでる。大人たちは育てた恩を子供に教え、それを返すようにしむけた。時とすると母という女性は、大人たちの義務として子供を育てた場合すらあった。

 社会の全員が個体維持を優先させていた伝統的社会では、小さなものへの愛玩は生まれるかもしれないが、女性にだけ特有の母性や母性愛の賛美は生まれようがない。子供の誕生や成長を祝う習慣のあったことが、母性愛の存在だと勘違いさせる。

 しかし、子供は次世代を担うものとして、大人の誰にとっても大切なのであり、女性の存在証明として大切なのではなかった。だから、大人から子供への愛情が氾濫する今日とはむしろ反対に、子供から親への孝行が謳われた。

 近代の入り口で論理を獲得した男性は、神を殺しそして神の代理人たる父を殺した。ここで男性は裸の個人になった。女性は裸の個人になれなかった。体力の非力さが無化されず、論理を獲得できなかったので、女性はより劣位におとされた、とは前述した。そのため、個体維持から外された女性は、種族保存をもって自己の存在証明とせざるを得なくなった。

 近代社会にあっては、肉体としての個人的な女性ではなく、母なる地位だけが女性性の表現になってしまった。しかし、個体維持を担ってさえいれば、非力な女性といえども、人間としての尊厳を主張できる。

 男女の腕力の違いは、単なる量の問題に過ぎない。伝統的社会では、女性といえども貴重な労働力だった。だから、母という特別の支えがなくても、女性は男性に拮抗できた。

 近代にはいって個体維持から外された女性は、種族保存の専従者という男性とは異質の、社会的な役割を担わされた。種族保存に固有の思想的な支柱をうみださないと、女性の社会的存在が支えられない。女性の社会的な役割を反映したそれは、母性であり母性愛だった。

 父子のあいだより、母子のあいだのほうが近くなった。何によりも優先して、子供に無限の愛情を注ぐ母性愛がうたわれた。ときには自分をも犠牲にしてまで、子供を助ける母親像が確立された。

 労働力としてなら、男女は入れ替わることが可能である。しかし、子供を産む母という立場は、男性が入れ替わることは不可能である。女性は人間としての普遍性を捨てて、女性の特異性にこだわった。女性は自らを母へと限定した。
 
 近代社会では、女性は一人の女性ではなく、神に支えられた母=母性として生きるようになった。しかもその母には、母性愛が本能的に備わっていることになった。

 近代の入り口で父殺しが先行したので、父は抹殺され消滅した。神殺しに参加しなかった女性は、母を殺さなかった。そのため、母は抹殺もされず消滅もしなかった。女性は、神に祝福される母という立場を、伝統的社会から引きずった。

 近代の核家族に生きることを強いられた女性は、一人の女性としてではなく、母としてしか生きることができなくなった。同時に、生めない女性は、悲劇的な存在になった。

 母性愛に満ちた母が、男性の社会的な立場に相当する女性の地位となった*52。父対母もしくは男性対女性ではなく、男性対母になったのである。近代では男性は強く、女性は弱い。しかし、弱いはずの女性は、母となった。

 近代の母は、神と共にいるから強いのだ。だから、近代においてどんなに男性が強くても、母には刃向かわなかったし、また母には勝てなかったのである。

 女性が個体維持を担わずに種族保存に特化した時代、つまり近代の核家族になって女性の存在を支えたのが母性であり、その心性を母性愛と呼ぶようになった。母性や母性愛の賛美は、自分の生んだ子供を女性が自己の存在証明とした反映である。母性の強調とか母性愛の賛美は、工業化した核家族の近代社会に特有のものである*53

10.母殺しの意味するもの
 情報社会に入ろうとする今、男女の社会的な立場が同じになった。女性も個体維持を担う。フェミニズムが女性を女性としてではなく、男性と同質の人間として自立させた。

 女性も産む性といった女性の自然性に寄りかかるのをやめ、自分を人間的な自己として見つめる。そして何者にも頼らずに、自己の意志により自分の人生を決定する。ここには余人の介在する余地はない。

 女性が男性と同じ立場にたったので、女性にも男性と同じ現象がおきざるを得ない。それは女性の自然からの離脱であり、神との絶縁である。男性がそうであったように、女性の自立とは神の保護を失うことである。

 人間として女性が自立することは、社会性の獲得へと連なる。だから、神に加護された母なる立場から、女性は離反せざるをえない。言い換えると、神に与えられた女性の立場の否定、つまり女性による母殺しがおきた。男性が父を殺したように、女性は遅ればせながら母を殺し始めたのである。

 自立した女性は、神の与えてくれた女性なる立場、つまり母に安住することはできない。女性の地位つまり母を、女性自らが否定することが不可避になった。母の否定とは、母殺しである。父を殺した男性と同様に、女性は今自らの手で、女性性の象徴だった母を殺し始めた。

 母性なる概念が近代の女性性を支えたとすれば、もはや母性という女性への概念付けを引きずることは、女性の社会的なそして人間的な劣性を認めることになる。女性は母に限定して生きるのではない。子育ては女性のではなく、人間の仕事である。

 女性は母を殺さなければ、いいかえると女性なる概念から子育てを外さなければ、女性の工業社会までの存在披拘束性から自由になることはできない。そして、女性自身の論理つまり自立した精神活動を、獲得することはできない。

 男性が論理という観念を獲得したように、男女が等価になった今後は、女性だけが自然とつながった母なる地位に生きるのではない。父や母といった神に守られた立場に、男女とも自分をおくことはできない。男性も女性も父や母といった各々の立場を離れて、自分で思考する個人に生きざるを得ない。

 個体維持を担う女性は、すべての価値を自らのものとし、全世界を自分の手に入れたのである。もはや神が世界の支配者ではない。男性という人間と女性という人間が、世界を支配する。

 神の支配と、女性の自立は二律背反である。神と自立した女性とは共存できない。男性による神殺しや父殺しがあったように、女性の社会進出が進む現在、女性による母殺しが進行している。

 男性は神殺しや父殺しを、自ら望んでやったのではない。自然への根元的な疑問の提示と人間存在への懐疑が、神殺しに連なってしまった。その結果として、パンドラの箱を開けてしまった。望むと否にかかわらず、神を殺した男性は、自分たちで自分たちの社会を創り、そして維持せねばならなくなった。

 女性も母殺しを、望んではいまい。しかし、神と共に生きることや、父または母と共に生きることと、人間が論理を獲得することは対立する。

 論理的な思考は、神をも自然をもすべてを疑う。人間は神を解体する。不死の神や自然に淵源をもつ思考に止まる限り、人間は論理的な思考=知を体得できない。だから、母を殺さない女性は、論理的な思考の体得を拒否しているといわざるをえない。論理的な思考を体得しなければ、生産労働つまり個体維持を担いえない。

 女性が論理的な思考を体得しないことは、女性自らが男性より劣位にいることを意味する。なぜなら、個体が維持された結果として、種族は保存されるのであり、その反対はあり得ない。だからいつの時代でも、個体維持が種族保存に優先する。社会は個体維持を担うものを、より大切にせざるをえない。

 神の死は伝統的社会の崩壊を意味し、父殺しは農耕社会までの男性が担った旧体制に対する挽歌だった。母殺しは工業社会までの肉体支配という旧体制への決別の歌である。

 母を殺すことによって、女性は工業社会までの立場による拘束から解放され、男性と同様に裸の個人になることができる。父殺しがそうだったように、母殺しこそ女性自立の証である。

 神からの自立が神殺しであったように、そして、ヒューマニズムが男性にとって神殺しの思想的な支えだったように、自分たちのよって立つ自然や神の支えつまり母を殺すのも、またフェミニズムである。

 フェミニズムは自立の思想であり、女性が生みだした神殺し、母殺しの偉大な思想である。フェミニズムこそ新たな思考であり、女性に知の世界を開いたものである。

 近代の入り口で、男性がヒューマニズムを生み出したとすれば、情報社会の入り口で、女性はフェミニズムを生みだした。両者は手を携えて神を死に追いやっている。神を死に追いやることによって、人間の生命を至上のものとすることができる。

 神ではなく、人間が人間の存在や価値を決定する。神が生きている限り、人間は今生の支配者ではない。神を殺した男女が協同して、人間讃歌を確立しようとしている。

 「女性抑圧の原因は、生物学的な母性であるとして、フェミニズム革命は野蛮な妊娠と出産から女性を解放する新しい生殖技術によってもたらされる*54

とシュラミス・ファイアーストーンは述べる。しかし本論では、生理的な事実としての生殖行為や、妊娠・出産をいっているのではない。もちろん体外受精やクローンなど生殖技術の進歩が、生殖を肉体から離れさせることをいっているのでもない。

 父を殺しても男性の生理機能にはまったく変化がないように、母殺しと妊娠・出産とは直接の関係を持たない。なぜなら男性が殺したのは、知と力そして経済力に秀でた立場にいる父であり、生殖能力をもった男性自身ではない。

 男性が殺したのは、父という立場である。そして、女性が殺すのも、子供を産んだがゆえに手に入れる立場としての母であって、生殖能力をもった女性自身を殺すのではない。女性が母を殺しても、女性が子供を妊娠・出産するのはかわらない*55

 工業社会まで、母は強かった。偉大だと神からも男性からも賞賛された。おおくの聖母像が描かれもした。母は男性にも子供にたいしても、立派な存在として自己を対置させえた。

 手の仕事が、人間の日常生活を支えていた時代には、母なる女性の仕事は無限にあった。それを消化しないと、生活がたちいかなかった。男性は父として個体維持を担って額に汗して働き、女性は母としてコマネズミのように働いた。だから、父は偉大だったし、母は輝いていた。

 子供が少なくなった情報社会では、山のような家事労働は存在しない。母にはなすべき仕事が、圧倒的に減ってしまった。もはや母は決して偉大ではない。子供を生むという母なる立場も、女性の存在証明にはならない。

 女性は母としてではなく、考える一人の女性として、そして一人の人間として存在する。個体維持において、ここで女性は直接性を回復した。

 情報社会では男性は父なる地位には、自己の存在証明を見いださない。同じように立場としての母に、女性は存在証明を求めることができない。そしてもちろん、子供は別の人格であり、子供を自己の存在証明とすることはできない。

 女性が自然や神に守られた立場を自ら捨てること、つまり女性が母を殺すこと、これが女性にとっての自立である。女性は母を殺してこそ、人間として自立できるのだ。

 男性たちはすでに父を殺している。今、女性によって母が殺されている。近代の入り口で、男性が神を殺し父を殺した。電脳的機械文明への移行と共に、女性が母を殺し神の死にとどめを刺している。

11.おわりに
 情報社会に入ろうとする今、事実としての肉体と社会性としての人間が分離し、観念が事実を乗り越えることが可能になった。コンピュータの登場を見ればわかるように、観念が観念だけで展開しうる。

 観念的労働の産物つまり知識が、社会を変えうることが明らかになった。知識は観念であり、かつ今や現実である。軽く透明な知識が、個体維持にきわめて有用である。

 事実としての肉体と、社会性としての人間が分離したから、男女が等質となった。事実としての肉体に支えられなくても、観念する人間は個体維持を担いうる。人間の知こそ個体維持に有効である。それがとりもなおさず、自然なる母の否定であり、母殺しである。観念の自立は、人間関係をも変える。

 現代人は自分の手で、自然つまり神を殺してしまった。もはや神のために、人身御供として人間の命を捧げることもないし、殉教して神に自分の命を投げだすこともない。そして、生まれつきの支配者という特権的人間を認めない。

 男性も女性も全ての人間が等価だ、といって神から自立した。だから人間を、無条件で受け入れてくれる寛容な神や自然はもう存在しない。現代人にある自然は、観念によって意識された自然であり、生の自然ではない。神はもうどこにもいないのだ。

 近代の工業社会が混沌で開幕したように、工業社会の終盤も混沌が支配する。神を殺し、父も母も殺した人間は、言葉の意味のとおりに荒野をさまよう生き物になった。今後は自然という神は人間を支えない。男女ともに、人間は自分の観念に頼るほかない。純粋な精神活動という、人間の観念だけが頼りの綱である。観念=知を鍛えることしか、人間に残された道はない。

 生ませの父は男性しかいないし、生みの母は女性しかいない。自然の摂理は今後も変わらない。しかし、育ての父は男性とは限らないし、育ての母が女性である必要もない。男性が父性を担い、女性が母性を担うという工業社会までの常識は崩れた。

 男性も女性も一人の人間として存在し、ともに人間的な普遍の追求をめざす。男女差別がまかりとおった近代が終わり、男女が等質の後近代に入ろうとしている。考える生き物としての人間の時代がこようとしている。今後は未明の淡光のなか、父殺し・母殺しを前提にした後近代の考察へとすすむのである。

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