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ハードとしての確実な家作り:実践編 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
15. 木工事 その7 床、壁、天井、それに窓と出入口があれば、部屋は形になっていますから、今までの話で、木工事はだいたい終わりました。これから述べる木工事は、いわば残りの部分で、施工体系の中では語り得ない部分です。しかし、それでいて、必要不可欠であることは言うまでもありません。いささか並列的になってしまいますが、順に述べていきましょう。 現在建築される住宅は、平屋建てはほとんどありません。多くは二階建てです。二階建てとなれば、当然の話として、階段が必要になってきます。今日では当り前と思われる二階建ての家も、日本の建築の歴史の中では、ごく最近生まれたものです。そのため、いまだに階段についての定説や定石と言ったものがありません。 住宅のどの部分についても言えるのですが、最初、ものは単純にその役目を果たすためだけに生まれます。ですから、はじめは単純な形をしています。屋根は雨を防ぐために、最初は切り妻という単純な形から出発しました。そして、だんだんと寄せ棟や入母屋(いりもや)と言った複雑な形になってきました。こうした変化は、言うなれば洗練される道程とみることができます。 階段も、実はこうした道程を経るはずでした。西洋では、古くから二階建てが登場したため、とても優雅な階段がたくさん見られます。とりわけ螺旋階段は、煽情的なまでに美しいものがあり、見るだけで興奮させられてしまいます。水平に動くものが静的だとすれば、垂直に動くものは、動的な感じをもたせ、見るものに躍動感を与えるようです。 西洋の階段を見ていると、あることに気付きます。それは、美しい階段は、美しくあることを目的につくられている、ということです。階段の目的を考えると、第一に美しいことではないはずです。階段本来の目的に忠実に言うなら、まず登りやすいことが第一になるはずです。ところが、西洋の階段は、必ずしもそうではありません。たしかに、階段を上り下りするのは、一日に何回もあるのではなく、それより階段を見ている時間の方がはるかに長いから、階段の姿に美しさを求めたのでしょうか。それは、日本と西洋での階段の発生の仕方の違いによるのでしょうか。 快適に上り下りするのに、最も関係が深いのは、蹴上げや踏み面のバランスです。そのために、両者の寸法を決める関係式すらあります。また急な階段は危険ですから、下の表のように建築基準法は蹴上げと踏み面寸法を、詳細に決めています。当然と言えば当然ですが、どうも上りやすさだけが階段の生命か、というとどうも疑問のでるところです。
階段も機能としては通路ですから、本来なら人間が通れる最低の幅があれば良いはずです。しかし、この思考回路にはいりこむと、階段はけっして美しくならないし、機能的にも充実しないのではないかと、匠研究室では考えています。階段を考えるときは、二つの面に分けて考える方が、その本質に迫れるようです。つまり、上下の連絡通路という面と、廊下の延長という面とにです。 私たちの住宅では、ほとんどの階段は部屋の外にあり、廊下と接続しているはずです。一階の部屋から二階の部屋へ行くには、一度廊下へでて階段を上り、二階の廊下を経て部屋へ入ります。大部分の家がこうなっているはずです。ところが、部屋の中からいきなり階段がはじまり、直接二階の部屋へ入るという場合も、考えることは可能です。 廊下という通路を通ることなく、直接に上下の部屋を結ぶわけです。すると必然的に、下の階に階段が露出してくることになります。匠研究室では、こうした形の階段が発生的には、本来的なものだったと考えています。つまり、上下に密着した二部屋間の連絡路は、はじめハシゴから出発して階段へと発展した、と思うわけです。こう考えると日本の階段は、この本来的発生の線上にないことに気づきます。では何か。日本の階段は、廊下の延長もしくは変形だということです。 廊下の変形としての階段は、水平に移動する意識の延長として作られていますから、垂直に移動する意識への切り変えを含まず、建築基準法の寸法を満たすだけのものとして実現されています。水平意識のままで作られた階段は、垂直方向へ上昇する作為を持たず、洗練へとは至りません。それは、水平に伸びることを良しとした、私たちの美意識とも大いに関係があるのでしょう。 二階を持たなかった日本の建築が、二階を必要とした時、居室となる部分を間取ることに忙しく、階段は単なる通路として切りすててしまった、といったら過言でしょうか。そして、それは日本のプライバシーのあり方ともからんでいたと思います。私たちの先祖が、入側(いりかわ)という便利な廊下を生みだしたのに、もはや現代に新築される住宅では、それを見ることはほとんどなくなりました。現代人の生活にあった間取りの典型を持てない今、階段を単なる通路としてしかあつかえないのも、無理ないことかも知れません。その上、現代の住宅は、単能的な部屋を間取る傾向にありますから、通過するためだけにある階段や廊下は、ますます縮小されていきこそすれ、見なおされることはないでしょう。
現在作られている階段を検討してみましょう。最も普通に見られるのは、直階段です。別名てっぽうとも呼び、簡単で安価です。多くは水平距離で9尺つまり2.73メートル行って、二階まで上りきるようです。すると、だいたい45度くらいの傾斜になります。 階段の製作は、建物の各部がなじんだ上棟後におこないます。まず、ささらと呼ばれる側桁(そくげた)と、段板、蹴込板の下ごしらえからはじめます。水平墨を打った建物から、一階の床高と二階の床高を正確に求め、その差をだします。同時に、水平距離も確定して、踏面の寸法も割りつけます。(ベニヤ板などに原寸図を書くと良い)両者が墨されたところで、刻みはじめるのですが、この時、段板と床板の厚さを考えておかないと、すべてが同じ蹴上げ寸法になりません。 この失敗は、木造では少ないのですが、階段も柱や床と同時にコンクリート打ちする鉄筋コンクリート造の場合は、時々見うけられます。気づかずに上り下りしているかも知れませんが、鉄筋コンクリートの階段は、上りはじめが低いとか、最上段が高いとか、よくある例です。鉄筋コンクリートの建物で、すべての段が均等に割れているのは、上手な仕事と考えて良いでしょう。 木造の階段は、ささらに段板の厚さを印し、それにくさび代を加えた斜線の部分を、約5ミリの深さに堀りこみます。次に蹴込み板の分も同様、くさび代を加えた部分を堀りこみます。ささらを完全に仕上げ、墨も削り取ってから、右左一枚ずつ柱や胴差にとりつけます。この直階段は、両側が壁になっていることが多く、手すりや手すりの初めにある親柱との取りあいは、考慮する必要はありません。 片側でも手すりがあると、とたんに親柱との納まりが難しくなります。ささらを完全に固定したら、裏側から段板を挿入していきます。段板を納めたら、くさび代にくさびを打ち込んで、段板を固定します。直階段は加工とりつけ共で2人工、つまり一人前の職人が2日かかる仕事とされています。 途中に踊り場を持つ直階段や、踊り場で方向を90度変える曲り階段、180度変る折り返し階段などは、すべてこの応用です。これ等の階段は緩い勾配になりますが、踊り場の分だけ面積が広くなり、土地代の高い昨今贅沢なものとなってきました。 木造のまわり階段というのも可能ですが、工作技術も難しく、材料も無駄が多く、登り難いということで、今日ではあまり見られません。その上、まわり階段には建築基準法が、中心よりの狭い端部から30センチのところで、前記の寸法を満たすように要求しているため、よほど広い場所でないと作れなくなってしまいました。踊り場を設けずに、曲がる場合には、90度を3等分まで。4等分してしまうと、基準法を満たさなくなってしまう。 今まで述べてきた直階段が、最も多く用いられていますが、これは、前述の如く廊下の延長です。この階段にとどまっているかぎり、いつまでたっても、私たちの階段は豊かになりません。そこで、もう一つの考え方、上下の連絡路としての階段について考えてみます。もちろん、上下の連絡路であっても、登り降りが困難では困ります。とりわけ、風呂場とならんで、階段まわりでの事故は多いものですから、細かい注意が必要です。 階段を上下の連絡路として考えると、壁からはなれて、階段だけで考えますから、手すりや手すりと階段を結ぶ手すり子が必要になります。ですから、階段などの足をのせる部分と、手すりなどの手をかける部分のかもしだす全体の調和が、階段だといえます。 部屋が、床壁天井と人間をとり囲むように、空間としてあったのとは対象的に、階段は空間のなかに、物としての自己を主張して存在します。そして、それは階段というものだけで完結せず、人間がそこへ足をのせ手をかけることによって、はじめて完結するいわば彫刻のようなものです。いくつか例をだしながら、階段を考えつづけます。
1番目は段が連続するだけという形です。おそらく、この形だと壁ぎわに設けられるでしょうが、登るためだけの最も簡単な階段です。地中海あたりの白い家にはよくみられます。まだ、階段と呼ぶには未分化で、段々とでも呼んだ方が良い感じがします。これが、室内にあることを想像すると、あまりにも非日本的な雰囲気を、強烈にただよわせることに気づきます。しかし、段の下を物入れにした箱階段の例もありますから、私たちの居室で使えないということでもありません。 2番目は、壁から段板がつきだしているだけという、簡単な形です。これも上り下りには多少抵抗がありますが、私室の階段ならば、慣れた人だけが使用するという理由で、許されるでしょう。階段を構成する物の量が少なく、小柄な人とはよく調和しそうです。階段を上っている姿など、本人には見えないから無意味だ、と思われるかもしれません。しかし、そんなことは決してありません。どんなお気に入りの洋服でも、それを着ている自分の姿を自分で見ることはできません。鏡という補助具があるものの、本当のところは、それを着た自分の姿を想像して楽しんでいるのです。だから、新しい洋服を買う時も、それがカッコウ良いかどうかに、安心してこだわれるわけです。 階段でも事情はまったく同じで、お気に入りの階段や美しいと感じる階段は、それから離れて見るにとどまらず、必ず上り下りしている自分の姿を加えて、想像しているはずです。階段に限らず、建築は人間から離れたものとして見ると、実に味気なくなってしまいます。もはや、それ等は単なる物にしかすぎず、住宅全体であっても、またその内部であっても、人間が住んではじめて完成する形こそ、美しいものだ、本当の物だと匠研究室は考えています。 階段も同じです。階段に人が立った時にこそ、最もきまった形にあるべきで、また事実美しい階段は人を呼ぶことが、それを証明しています。パリのオペラ座のロビーにある三層吹き抜けの階段は、正装した白人の男女が歩くとき、照明にはえるその美しさは、言葉を失うほどです。 3番目には、やはり片側だけが固定されている片持ち式の階段ですが、段板と蹴込み板が連続しているものがあります。これは、蹴込みの角度や段板の厚さを変えると、実にいろいろな表情に変わり、繊細にも重厚にもなります。しかし、残念なことにこうした片持ち式の階段は、木造で作ることが困難で、匠研究室でもなかなか実現できないのが正直なところです。 4番目は、ささらを使わない階段です。ささらにかわる角材を斜めにかけ渡し、その上に段板をはめこんだもので、部材断面が大きいものが使用されることが多いようです。木製も可能で、木造の家でも使用できます。とりわけ、玄関を吹きぬけにした時に使用される場合が多く、今日でも時々見かけます。しかし、水平線と斜線が混在するため、美しく仕上げるのが難しい形ではあります。 5番目は、ささらが段板の端部とからんだ階段です。これは、垂直のハシゴをななめにしたら、自然にこうなったという形です。二階建てが少ない日本建築にあって、蔵はたいてい二階建てでした。ここには、日本の階段がありました。5番目のこの形は、そうしたところで使用されていたのです。 6番目、これもささらを使用していますが、そのために掲げたのではありません。急傾斜の階段例としてあげました。階段をのぼるときも、人間は右足左足を交互にだします。そこで、片足の分だけしか階段を用意せず、はじめにのせる足を、階段の方が決めている極めて特殊な階段です。この形もやはり私室という、慣れた人だけが使用する場所でだけ、許された階段であることは確かです。ただし、この階段は、建築基準法で定める寸法以下ですので、適法ではありません。 7番目には、収納階段があります。使用しない時は下からカギ棒で引っぱって階段をおろします。天井裏を物置にするために使用されることが多いのですが、これはもっともっといろいろな使用方法が考えられそうです。その使用例の研究は、実際に設計する時に考えるとして、とりあえず値段だけでも書いておきましょう。収納階段は現場制作ではなく、建材メーカーによる工場生産品ですから、定価があります。だいたい8万円〜15万円で、それにとりつけ工賃が1人工くらいでしょうか。 今まで述べてきた階段は、私性の強い部屋に使用すべきで、廊下という通路の延長としての階段には不向きです。ですから、階段の原型である、居室と居室を直接につなぐ、上下の連絡路として考えてください。きっと面白く、楽しい階段が生まれることでしょう。 ただし、居室の中に階段をとりこんだ場合は、暖かい空気も階段を通じて上ってしまいますから、その対策を考えておかないと、冬は寒い部屋になってしまいます。輻射熱を利用した暖房器具が、こうした部屋に有効なことは、西欧の例を見るまでもなく納得がいきます。 階段を木工事としてあつかってきましたが、階段そのものは、本論ではなく、<考える家>であつかうべきかも知れません。何故なら、ここでいう階段とは、設計概念に分類すべきで、施工概念ではとらえきれない部分が多いからです。どんな形にするかという考察は、設計の作業だからです。 木造住宅の階段は、木製であることが多いので、木工事としてあつかいました。しかし、木造住宅に鉄製階段を使用しても、まったくかまいません。そうしたら、鉄骨工事であつかいます。事実、外部階段となると、木造住宅でも鉄製となることが多いのです。階段については、鉄骨工事の項でも、もう一度ふれてみるつもりです。 左官工事は本当に変わりました。いや、今も変わりつつあるというべきでしょう。昔は建築界で三職といえば、大工、左官、鳶だったのですが、今日の木造の世界における左官の凋落は、すさまじいばかりです。室内の壁はクロス、外壁はボード類に変わってしまい、左官工事は本当に少なくなってしまいました。しかし、少なくなったとはいえ、左官工事もやはり重要な職種です。 日本建築では、まずセメントを使用していませんでした。使用していないというより、日本にはセメントがなかったのです。日本でセメントの製造が開始されるのは、1875年からです。ですから、今日では壁の下塗りとして使用されているモルタル(=セメントと砂を1対2〜3の割合で水ねりしたもので、レンガやブロック、タイル等の接合、接着、また下塗り上塗りなどのコテによる仕上げで使われる。)もありませんでした。モルタル塗りのまま仕上げとすることもある。正式にはセメント・モルタルと呼ぶべきだが、現場ではモルタルと略称され、大々的に使われている。ただし、次に述べる石膏ボード下地の時だけは、モルタルではなく石膏プラスターを下地に使う。 下塗りをのせる下地がまた変わりました。以前は、下地の芯になるのは、竹を細く割りさいて組んだ小舞(こまい)とよばれるものでした。それにワラや麻をまいたりして固定したりしたうえに、荒木田(あらきだ)と呼ばれる泥というか粘土というか、とにかく土をこねたものを、小舞の両面からねりつけた土壁、これが壁の下塗りでした。壁の下地作りは、小量ずつ何回にも分けて土をつけて、半年以上もかけて乾燥させながらすすみました。 あまりに時間がかかるため、荒塗り(一番最初の下塗り)、中塗りとすすんだところで、待ちきれずに未完成の家に、住んでしまうことすらありました。昔の家はそのくらい気長につくられたのでした。ですから、工事中にも木の乾燥はすすみ、歪のすくない家ができたのも、当たり前と言えば、当たり前でした。 まず屋内から。昔の家では中塗り後、約半年たってから、仕上げ塗り(=上塗り)をしました。では、今日の下地はどう変わったのかと言うと、何と言っても石膏ボードの登場です。石膏を5ミリ程度の厚さにのばし、両側を1ミリ厚程の紙でサンドイッチした石膏ボードは、左官の下塗り工程を決定的に変えてしまいました。とにかく石膏ボードを貼りさえすれば、左官下地になってしまうのです。今までのように竹を細かく割りさいた小舞も不用、荒木田も不用、半年の乾燥期間も不用、とにかく、石膏ボードをはりつければ、それだけで壁下地となりました。半年以上もかかっていた下地作りが、たった一枚の石膏ボードをはるだけで良くなったのですから、左官工事は激変しました。 左官下地用の石膏ボードは、下塗り材の食いつきが良いように表面に凹凸があり、特にラスボードと呼びます。(石膏ボードは室内用の下地材で、雨のかかる屋外には使えない)910×1、820ミリつまり一畳の広さで厚さ7ミリ、これが何と300円くらいなのですから、これを使用しない方が不思議です。しかも、ラスボードはりは誰にでもでき、特別の技術は不用です。寸法を計って、ラスボードをカッターで切ります。 ラスボードは両面が紙ですから、その切断には工作用のカッターで線を引くだけです。片側にカッターを入れ、その線にそって、ラスボードを折り曲げ、裏側からもう一度カッターを入れる。それだけで切断できます。それを亜鉛メッキされた釘(鉄の釘は錆びる。その錆が仕上げた後に浮きでるので、鉄釘は使用不可)で打ちつけるのですが、これがまた簡単。ラスボードはピッタリとすき間なく張らない方が良いのです。多少まがっていようが、横にはろうが、全くかまいません。5ミリくらいすいていても、その上に下塗り材として石膏プラスター(石膏プラスターとは石膏プラスターに砂を、1:1〜1.5で混ぜたもの)を塗ってしまいますから、何の支障もありません。むしろ、多少すき間があった方が、石膏プラスターがすき間に入りこみ、丈夫にすらなります。 今まで下地作りには、小舞屋という専門の職人がいたのですが、ラスボードの登場で、彼らは失職です。失業ではなく、業種自体がなくなるという失職です。新しい製品の登場は、実に残酷に人間から職を奪っていきます。ラスボードの登場によって、全国では多くの小舞屋が失業したわけです。ラスボードのとりあつかいは簡単で、誰にでもはれるため、今日では大工の施工範囲となってしまいました。 そういうわけで、今日の左官下地はラスボードです。このラスボードの受けは胴貫(正しくはどうぬきだが、この場合はどうぶちと呼ぶことが多い)です。両者は釘でだけつながっているのですから、ラスボードはガッチリと固定して欲しいところです。横約10センチ、縦30〜45センチ間隔で、ビッシリと亜鉛メッキ釘を打ちます。この時、釘の頭をラスボードの中へ打ち込んで紙を破らない、つまり、ラスボードの中へめりこませないように注意します。最近は、釘のかわりにホッチキスで止めているかも知れませんが、あつかいは全く同じです。 次に、ラスボードに下塗りをします。凸凹したままでは壁にはなりませんから、下塗り、中塗りと二度にわけて、平にすべく石膏プラスターを塗るのですが、ここからが左官屋の領域になります。ラスボードの中の石膏と、石膏プラスターの中の石膏が水を仲立ちとして反応し、砂混じりの石膏プラスターはガッチリとラスボードに食いつきます。この結合は非常に強固で、荒木田などの比ではありません。一度目を下塗りと呼び、約一センチくらいの厚さに塗りつけます。荒木田と違って、砂混じりの石膏プラスターは乾燥による収縮が少ないので、仕事は早くなりました。 適度な乾燥状態(約一週間くらい)を見はからって、次に中塗りをかけます。下塗りは富調合(石膏プラスターの割合が多い)にして、下地に食いつく力を増しますが、その分、ヒビは出やすくなります。荒木田ほどではないにしろ、やはり水でねったものですから、乾燥による収縮亀裂は避けられません。ですから完全にヒビを発生させきってしまうべきです。ヒビの上からそれをおおうように、中塗りをかけます。 中塗りは、別名むら取りと言うほどですから、下塗りでは完全に平滑にならなかった部分を、もう一度薄塗りをかけてむらなく平滑にしていきます。砂混じりの石膏プラスターは貧調合(石膏プラスターの割合を減らす)に変えますが、できれば、砂の粒子も細かいものに変えたいところです。 中塗りまでが、壁塗りの勝負です。毎度の話ですが、基礎が大切、下地が大切というのは左官仕事ではことに大切で、中塗りまでで壁の平滑は決定されてしまいます。コテムラやコテ返しのあとがないよう、また全体的な平滑さも確認しておきたいところです。柱と壁がぶつかる散り際(ちりぎわ)は、一直線になっているはずですが、どうでしょう。次の仕上げ塗りは、本当に薄くしか塗りませんから、ここまでで平滑さは完成されていなければなりません。不充分な場合は、水が引ききる前にもう一度コテ押さえをするか、塗り厚が増えても支障がなければ、もう一度中塗りをするべきでしょう。 上仕事になれば、目の錯覚を考慮しなければなりません。それは、壁を完壁に平面に仕上げてしまうと、逆に目の錯覚でへこんで見えたり、でっぱって見えてしまうのを調節するのです。広い壁面では、心持ち中央部をへこませるべきかも知れません。その方が、かえって平面に見えますが、その調節の量は微妙です。この辺は、職人と設計者のあうんの呼吸とでもいうべき世界で、微妙な配慮が高度に洗練された室内を作り上げていきます。 室内の壁も、いよいよ仕上げです。今日使用されている壁仕上材は、主として次の五つです。京壁(=ジュラク壁)、漆喰(しっくい)、繊維壁、スタッコ、プラスター。また、最近では珪藻土と呼ばれるものが登場して来ました。匠研究室でも、小さな壁面に特殊な効果を期待して、変わった仕上げを用いるときもありますが、通常は、これ等の仕上げを用ています。特殊な仕上げかたは、その時々の創作によることが多く、通常の施工方法ではありませんから、省略します。 前三者は、和室に用い、後二者は洋間に用います。珪藻土は最近のものであるため、どちらにも使われる。京壁とは別名ジュラク壁とも言い、細かい土を塗ったような仕上がりになります。茶室や書院から茶の間まで、どこにでも使用できる上品なものです。昔は表面がポロポロと落ちる欠点がありましたが、最近は、ボンドのような液状の接着剤を入れてあるため、そうした欠点もなくなりました。そのせいで、以前にくらべると若干柔らかさに欠けるきらいが、なくはありませんが、それでも匠研究室のおすすめ品です。 次の漆喰壁は、普通は白です。お寺や蔵など白壁を想像してもらえば良いわけで、かつては最もポピュラーな仕上げ材でした。一般の住宅では、室内でも砂を混ぜた砂漆喰や、卵色に着色した黄漆喰などを使用したものでした。ところが、建築主の新し物好きと、施工が熟練を要することから、漆喰塗りは最近では減っています。 京壁は表面がザラザラしているので、コテムラがあまり目だちませんが、漆喰はスベスベしているので、コテの運びが難しく、完璧な平面を作るのは至難の技です。室内の照明が明るくなり、光源が豊富になったため、壁にもさまざまな角度から光が当たるようになりました。特に横から光をあてられると凹凸は目立ち、腕の優劣がはっきりしてしまいます。そして長い間には、わずかにでっぱっている部分に、ほこりがたまって黒くなり、白い色のせいでとても気になります。とりわけふだん掃除の行き届かない高い壁には、薄汚れた感じが残り、住人から敬遠されてしまったようです。 繊維壁は、匠研究室ではまだ一度も使用したことがありません。おそらくその原形は昔にもあったと思われますが、未使用なので何もいえません。ただ、繊維壁は安いものだったので、アパートなどの安普請で使われた例が多いようです。 スタッコとは、英語で漆喰のことなのですが、建築界の通称では、今まで述べた漆喰とは別のものをさしています。しいて言えば洋漆喰となるのでしょうが、スタッコなる日本語は、全く別のイメージをもっています。つまり、スタッコは、平滑面として仕上げられることは少なく、むしろ、凹凸模様の面白さを楽しむ材料となっています。もちろん、洋風の建物に使用されることが多く、飲食店などの内外装ではよく見かけます。漆喰壁では気になったほこりによる汚れも、スタッコとなるとそれがむしろ味わいとなったりして、歓迎されているようでもあります。スタッコはかなり自由に表面模様が作れますから、2センチぐらいもりあげたり、手形をつけたり、クシでひっかいてみたり、といろいろな遊びが出来ます。 プラスターも、日本語になおすと漆喰になってしまいそうです。本来は石膏なのでしょうが、建築界でプラスター仕上げと言えば、西洋風漆喰壁です。正式にはドロマイト・プラスターなのですが、プラスターとだけ呼んでいます。漆喰よりもっと白さが強く、バタ臭く仕上がります。かつての洋間は、プラスター塗りと決っており、天井や廻り縁部分に蛇腹引き(じゃばらびき)で、繰り形の模様をつけました。最近では、室内の壁は、クロス仕上げとなることが多く、プラスターもだんだんと減っています。 今まで述べた左官工事は、室内に使用することを前提にしてきました。というのは、ラスボードが下地だからです。ラスボードの芯になっている石膏は、砂混じりのボード洋石膏プラスターを上に塗っても、水にさらされると溶けてしまいます。耐水石膏ボードもありますが、それとても完全耐水ではなく、外壁には使用できません。そして、もちろん屋内でも浴室などの水がかかるところは、石膏ボード下地にせず、耐水性のある木ずり下地やラスカット下地にします。この場合は、砂混じりの石膏プラスターを下塗りにせず、モルタルの下塗りです。 外壁はどうなるか。外壁工事のところでも述べたように、アスファルトフェルト+ラスという仕様になります。AFの上にラスをはり、その上にモルタルを塗るわけです。外部では下地が石膏ボードと言うことありませんから、モルタルを塗ります。内部の場合は、厚さ1センチくらいの下塗りの付け代だったのが、外部ではやや厚くなります。というのは、モルタルが外部に直接面するため、いわば建物の表皮の役目をはたし、防火などの役にたてるためです。2〜2.5センチと言ったところでしょうか。建築基準法では、木ズリ下地に2センチのモルタルを塗ったものは、防火構造であると認めています。 モルタルのままでは、いかにも下地材そのものですから、その上に防水を兼ねて化粧をします。仕上げをする前に、是非一つ確認して下さい。それは、出窓下や霧除ひさしの下端です。ここに溝もしくはアゴがついているでしょうか。窓やひさしの上に降った雨は、そのまま垂直面をつたって下に降りてきます。降りた雨は次にどこへ行くかと言うと、しずくとなって下に落下するのではなしに、下端へと伝わって壁の方へと流れていきます。これでは、ひさし上や外壁面が汚れがそのまま次の壁に伝って、ひどくよごれてしまいます。 出窓やひさしの上に降った雨は、そのまましずくとなって落下させるべく、水が切れるよう、ヘコミを作っておきます。これを汚垂れ(おだれ)と呼んでいますが、下地の時からつけてあれば、左官屋も気をつけてヘコミをつけていきます。しかし、下地でついていなくとも、モルタルだけでも形を作りだすことができますから、是非つけておくべきです。線が一本ふえてもたつく感じがするので、これを嫌う設計者もいるようですが、後々のことを考えると、やはりつけておいた方が良いようです。 いよいよ仕上げです。モルタルの上にのせるのですから、原則として漆喰でもスタッコでも、何でも塗れます。しかし、コテ塗りは手間を喰うため、外壁の仕上材はローラー転がしかスプレーガンで吹きつけるものに変わっています。土壁風で風味を好む時に、リシン掻き落しという仕上げが使用されるぐらいで、それ以外はほとんど吹きつけです。リシン掻き落としとは、リシンを混ぜた土をコテで塗り、針のたくさんはえた剣山のような道具で、引っかいて仕上げるものです。 吹きつけは左官屋が施工する場合と、ペンキ屋が施工する場合があります。スプレーガンで吹くのは単なる仕上げですから、どちらが施工しても問題はなく、ただ丁寧に施工してもらえば大丈夫です。左官屋にしろ、塗装屋にしろ、彼らの技術力をもってすれば、スプレーガンをあつかうことぐらい朝飯前です。 吹きつける材は、アクリル系リシンか吹きつけタイルが主で、リシンは荒目の砂を絵の具でといて塗ったようになり、吹きつけタイルは艶のある(艶なしもあるが強度がやや落ちる)小さなクレーター状に仕上がります。アクリルリシンが、1、300円/uくらい、吹きつけタイルは、2、000円/uくらいでしょうか。 最近は、下地のモルタルにヒビが入っても、ヒビに追従して仕上げ材がのび、ヒビが表面にでないものも発売されています。弾性吹き付け材と称されるものは、確かにヒビが表面化しにくいようでが、もちろんのこと高性能は値段も高く、3、000円/uくらいはするようです。外壁面積×単価。これが外壁左官工事の費用です。 仕上げ材は種々の色がだせます。そこで、色えらびが楽しみであり、苦しみでもあります。多くは、白、ベージュ、クリームなどの無難な色が選ばれているようです。車の色も、日本では50%以上が白だとかで、主張のない白を好む国民性なのでしょうか。建物についても同じような傾向が見られ、白や白に近い外壁が多く目につきます。確かに原色の顔料は高価で、白い顔料が一番安いという事情はあるでしょう。 これだけ無秩序な街並みが形成されながら、色についてだけは、同じ傾向が好まれるのは、面白い現象です。色については、塗装工事としてもう一度あつかうつもりです。ここでは外壁材の場合は、太陽光線にあたるので退色がある。そして退色は色によってその速さが異なること、一度退色したら、その色は二度と調合できないことを確認しておけば良いでしょう。
ここまで読んでこられて、土壁の時代と最近のラスボード下地の壁で、何か大きく違うことに気づかれたでしょうか。土壁の時は小舞下地のうえに両面から土を塗ったので、壁の内部構造が室内と外部に分かれていませんでした。しかし、今の壁は室内用と外部用の下地というように分離したのです。つまり、土壁は芯まで同じ土でできていますから、当然両面とも土です。これが室内・外部共に柱を見せた真壁造りとなったわけです。それに対して今日の壁は、ラスボードという内部専用の下地材となったため、どうしても外部は別のもので作らなければならなくなりました。幸いにも防水紙があったおかげで、外部は外部としてまとまり、内壁と外壁は完全に分けることができました。 これは日本建築における、非常に大きなできごとです。屋根と天井が分離したことぐらいに大きな発明だと、匠研究室は考えています。壁が内外に分かれたので、壁の中に筋違という構造材を仕込むことができたわけで、日本建築はこれで非常に軽快になりました。筋違の導入は必ずしも良い点ばかりではありませんが、少なくとも壁における構造と意匠とを、分離する自由が入手できたことは、確認できると思います。その自由をどう使うかは、これからの問題です。 左官工事は、水を使用するために、どうしても乾燥という時間をおかなければなりません。工期が短く、急がなければならない昨今の工事現場では、歓迎されない工種になってきました。水を使用する湿式工法から、水を使わない乾式工法へと時代の要求は変わり、木造住宅の現場から左官屋はどんどん減っています。かつて左官屋を育てた木造建築の世界で、左官屋が不用になり、コンクリート建築の世界で、左官屋が重要となっているのは、皮肉な現象です。かつては木造の世界で、三職と言えば大工・左官・鳶だった、とはじめに言いましたが、もはや、左官は主要職人ではなくなりつつあります。 資本の論理とは残酷なものだと思います。伝来の木造建築の中では、職人集団が制度として、次世代の職人を内部から生みだし、育て上げてきたのに対して、鉄筋コンクリートなどの外来産業は、その成果だけを利用しました。鉄筋コンクリート造にしろ、ツーバイフォーにしろ、職人がいなければ、建物はできません。どんなに優秀な設計者でも、どんな大手建設業者と言えども、最後のきめ手は職人です。一人前となった職人だけを使用し、その産業として、次世代の職人を育成しない今日の建設業は、不健康な様相を呈しています。層としての職人集団を喰いつぶしていく様は、気味が悪いものです。そして、大学の建築教育も、この傾向を早めこそすれ、学としての職人集団の評価に怠慢なことは、残念という外はありません。 |
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