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シングルズの住宅 | ||
| 住宅及び居住環境における1人世帯の研究 1994年1月記 | |||
| 第6章 | |||
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| 目 次 | |||
| 第1章 研究の目的・視点・方法 | |||
| 第2章 シングルズの諸特性 | |||
| 第3章 シングルズの住宅事情 | |||
| 第4章 ワンルームマンション | |||
| 第5章 シングルズと公的サービス | |||
| 第6章 個化する社会 | |||
| 1.近代家族の解体 2.界なる領域 3.老人というシングルズ 4.ホテル居住 5.別居結婚 6.シニアーハウス |
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| 第7章 結び | |||
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第6章 個化する社会1.近代家族の解体家族は、工業化社会にはいってから、核家族化したといわれる。とりわけ情報化社会になって、家庭の外での労働が肉体労働から離れ、頭脳労働にその重心を移してくるにつれて、職業としての労働は肉体的な強者である男だけの専売特許ではなくなってきた。女性も社会的な労働ができることが明らかになって、女性の社会進出が進んできた。本研究は、女性の台頭を論ずることが目的ではないので論証は省略するが、誰にでも職業的な労働することが可能になったことによって、女性は一人で生活することが可能になったのである。 社会との接触点は、男と女の対を単位とする世帯だけではなくなった。女性の台頭によって、これからは個人がそのまま、社会と関係を結べるようになったのである。家族は常に複数で構成され、しかもその中心は対なる男女であり、家族をとおして個々の人間は社会と接触するという認識は、急速に崩れているのである。シングルズだから生活できないというわけがない。今まで社会の前面に登場しなかったが、事実は個人として生活力のある人々は、シングルズの生活をしていたのである。 2.界なる領域ワンルームマンションを除く今までの住宅は、複数の人間が住むものだという前提によって、建築されてきた。しかも、同居する複数の人間は同質のものだという前提だったため、家族のなかにおいては男や女という属性を無視して、対社会的には一様な価値観が支配した。それゆえ住宅は外部と内部に分けられて、外部を公、内部を私という対立的な概念で考えられてきた。(今から考えると、これはきわめて男性優位の思想である。)しかし、シングルズの登場はワンルームマンションなるものを大量に発生させ、住宅においては公私の概念がほころび始めていることを示した。 近代以前も、住宅はいくつかの部屋から構成されていた。しかし、この時代はどの部屋も個人に専有されたものではなく、全員に共有されていた。個人の個有の領域としての個室なるものは、存在しなかったのである。これはどんなに強調しても、強調し過ぎということはない。近代より以前にあったのは単に部屋であって、それは用途に従属しているだけであった。個人という概念が存在しなかったので、個人と対応する個室は存在のしようがなかったのである。それ故に逆説的にいうと、個人が専有しない居間とかダイニングキッチンも同様に存在しなかった。近代への途上で、住宅は用途による領域分けから人間による専有の領域へと、支配価値の再編成が行われたのである。 1人で生活するのであれば、ワンルームマンションで生活可能なのである。そこでは1人という私は、部屋を専有し、設備を独占的に使用する。複数の人間が、1軒の家で生活しても、設備は通常1ヶ所で済む。しかし、複数の人間が生活する今までの住宅には、最小限の住宅であるワンルームマンションがもつ部屋以外の部屋が、不可避的に存在したのである。住宅がいくつかの間取りに区画されたのは、複数の人間の居住に備えてであった。ここでは個々の人間が異なった何人かの私として存在したのではなく、同質の何人かの私が存在した。1人の生活は、個人の周辺に伸縮する空間があることを示した。そしてワンルームマンションが明らかにしたのは、内外のあいだにもう一つの領域が存在しているという認識であった。本研究ではこれを<界なる領域>と呼ぶが、この界なる概念は、公でもなくもちろん私でもなく、何人かの人間が同居するときに不可避的に発生する軋轢を緩衝する役割を果たす領域である。界なる領域は固定的なものではなく、時代や関係の質によって異なる。たとえば、男女間にあっては小さく、男性間では大きいし、日本人の界なる領域は西洋人のそれにくらべると小さい。それゆえ界なる領域は、複数のしかも血縁の家族にのみ発生するわけではない。しかしシングルズが登場するまでは、家族は必ず複数だったために、その住宅には必ず界なる領域が存在した。 戦後の近代的なファミリー住宅において、私が個室にひきこもったとき、居間は誰のものでもない領域として空洞化したのである。ここで住宅は、外部=公、居間=界、内部=私という3層構造になっていたのである。ところがこの時代には、家族は複数であるという前提から逃れられなかったため、3層構造になっているにもかかわらず、ファミリー住宅においても全体を私として考えて、内外を公私の2元関係においてとらえていたのである。シングルズの登場によって、界なる領域が消失し、やっと公と私が直接に対するようになったのである。今までの住宅が、用途によって概念化されていたのに対して、シングルズは住宅には人間に属する専用の領域があることを白日のもとに差し出したのである。 ファミリー住宅において決して寝室となることのない居間なる部屋が登場したときに、公私の2元論は破綻していたのであった。しかし居間が登場した段階では、ワンルームマンションのように私が明確に特化しなかったので、居間+いくつかのか個室と認識されたにとどまったのである。(茶の間は居間とよく似ているが、夜になるとそこに布団を敷いて寝ることから、個室とは対をなさない。茶の間は、むしろ民家型の住宅に属する。) 民家の時代には私が存在しなかったので、界が存在しなかったわけではない。ただ民家の時代には、私の存在は一様で、公が私の存在証明であったので、界は見えなかったのである。空間的には、界はファミリー住宅において初めて顕在化したのであるが、ワンルームマンションにおいては再び見えなくなった。しかし、界なる概念を入手したことによって、個人と家族そして社会の関係が明確にできるのである。 シングルズにあっては社会−(界)−個人であり、そして複数の家族では、今日でも社会−界−個人という構造になっているのである。今後も、家族=界の構造は残り、界が家族を飲み込むことはあっても、個人としての人間が家族を飛び越えて、社会−個人−家族となることは有り得ないのである。けだし、社会−個人−家族という序列になったら、個人がもう一つの私を内包できないから。そしてシングルズにあっても社会と個人だけが存在するのではなく、社会−(界)−個人という構造はなりたっているのである。 3.老人というシングルズ一人住まいのお年寄りは、不便で苛酷な住生活を強いられている。高齢者社会の到来は目前であり、日本人の4人に1人が老人になる。早急に高齢者向けの住宅を、大量に建築しなければならない、という声をよく聞く。しかし、私たちはここで立ち止まって考えてみる必要がある。 民家の時代には、私=個室がないがゆえに、家中が全員のものであり得たのである。ファミリー住宅になって、家の全体から界がはじき出されると、私は部分=個室へと収斂したのである。部分の支配権は、全体性を回復することはなかった。ファミリー住宅では、もはや老人の居場所としての老人室が不可欠であろう。しかし、こうしてつくられる老人室は、老人を人生の現役とは見なしていないことの表現にほかならない。老人室は、いわば消極の象徴である。それにたいして、同じように個室である子供部屋には、マイナスのイメージはなく、むしろ積極の象徴である。同じ個室でありながらそのイメージの違いは、かっての全体の所有者が全体の所有権を失って、部分としての老人室を与えられるのにたいして、何も持っていなかった子供が、積極的に求めてやっと子供部屋という部分を得たものだからである。 住宅のなかに老人室を作ること、それは換言すれば、はいわば姥捨て山を作ることなのである。役割の終わった、つまりもはや何の価値もない人間をおく場所が、ファミリー住宅における老人室なのである。滅びゆく人間=老人としての位置づけが前提となって、老人室が成立しているのである。極言すれば、界への影響力を排除する働きをすら持つのが、老人室なのである。しかしいくら高齢になろうとも、現役の社会人であれば何才になっても、老人室は不要であって、彼らには単に住宅が必要であるに過ぎない。高齢の政治家たちを見ていると、それは簡単に了解されるであろう。 ひるがえって、社会における「独居老人」住宅を考えるとき、それをどんなに美しく作り、そこに住むことを強制ではなく、入居することをお願いしたとしても、やはり姥捨て山なのではないだろうか。人間は何才になっても、自分の存在価値を確信しなければ、生きて行けない。誰が姥捨て山に住むであろうか。つまりここで明らかになることは、独居老人対策としての住宅建築自体が、差別そのものなのである。しかもやっかいなことに、それが善意でなされる差別であるのだ。老人住宅を作る人たちは義務感にあふれ、正義の実行者である。善意による姥捨て山の提供であるので、老人シングルズには、やりきれない想いが払拭できないのである。 「お一人になられたら、3DKなどの広いところから、1DKなどの部屋に移ってもらうようにしているんですが、お年寄りはなかなか移りたがりませんね。」こうした発言を、住宅関連の部署にいる何人かの役人から聞いた。私たちは無意識のうちに、1人生活であれば1DK、2人生活であれば2DK、もっと多くなれば3DKや3LDKと考えてはいないだろうか。シングルズは独り者だから、狭い部屋でよいと考えているのではないだろうか。 しかし本当は、住戸の広さと居住する人数とは、ほとんど関係がない。たとえば、同じシングルズであっても、若年層と老年層では、事情はまったく違うのである。若年勤労者は20数年しか生きておらず、それを反映して身の回りの所持品が少ない。それにたいして、60年70年と人生を歩んで、すでに子供たちを育て上げ、伴侶を見送ったシングルズは、60年70年分の記憶に相当するものを持っている。たとえ他人には無用のように見えようとも、当人にとっては大切な思い出の品であるかもしれない。そうした無用のものがつまった部屋が、有効に使われていなくとも、それはそれで意義のある部屋なのである。だいいち永年生きてきた人間の精神が、若者のそれのように陰影のないツルンとしたものと同じだ、とは考えられないではないか。永い年月に鍛えられるということは、必然的に身の回りのものも増えているのである。 構成員の一人が欠けたからといって、永年住んでいた家から、より狭い家に移るためには、身の回りのものを狭い家に入るだけの量に減らさなければならない。減らすとは捨てることである。つまり、自分のもの=記憶を捨てなければならないのである。狭い住宅に移住することは、換言すれば、自分の生きてきた人生を捨てろと、他人から強制されることなのである。一人の人間が住むのに必要な面積は、○○平方メートルが適切である、という割り切りは、住処が人間にとって何かを面積に換算する恐ろしい発想に、見えるのである。人がどんな部屋に住むかは、プライバシーに属することがらであって、経済的な条件が許す限りで、当人の自由に住むところを決めてよいのではないか。高齢化や低収入と、住む場所は元来別の問題である。 4.ホテル居住西欧では、アパートメントホテルとか、レジデンシャルホテルなどといった名前で呼ばれるものが長期滞在型のホテルとしてあり、そこを住処にしている人はかなりいる。わが国では、ホテルは旅館の同類だと考えられているので、あくまで臨時の宿泊施設で、観光や旅行など何か特別の用事の時に泊まるものだと見なされている。それゆえふつうの人には、ホテルに住むという発想にはなじみがない。とりわけ、日本のホテルは宿泊代が高いので、ホテルに住むのはよほどの高額所得者以外には不可能である。しかし、これがチェルシーホテルのように1泊30ドル、つまり3,000円〜5,000円であれば、話は違ってくるであろう。水道・光熱費やさまざまなサービスがふくまれて、1カ月に90,000円〜150,00円くらいの居住費であれば、ふつうの勤労者にも不可能な金額ではない。
ホテルに住むと、すべて有料だが、たくさんのサービスが提供される。 今まで、私たちはその場所に定住することをもって、よしとしてこなかっただろうか。住宅にたいする多くの調査などを見ても、その住宅に長く住むつもりか、という質問をよく見かける。そして、<はい>という答が多いと、その住宅はよい住宅であると見なす傾向が強いように感じる。しかし、都市に住むということは、定住するということが不可欠な要因なのだろうか。むしろ、1つの場所に一生にわたって住み続けるのではなく、そこに住むことが魅力であるような場所、そしてそれが常に変化し、成長する場所、それが都市なのではないだろうか。換言すれば、自由に動く人間がそれぞれの関心にしたがって、さまざまに居住できる環境こそ都市ではないか。そう考えるとき、ホテルは多くのことを教えてくれる。 集まって住むというと、集まった人々のあいだでの交流を想像しがちだが、それも大切ではあろう。しかし、それ以上に集まった人々が、少しづつ労力や費用を負担することによって、集まった人たちの外部にたいして働きかける力となることこそ、集まって住むことの利点ではないだろうか。たとえば、集まった人々が、少しづつお金を出し合うことによって、管理人を雇ったり、外部に対して強い発言権を確保したり、さまざまなサービスを入手することができる、といったことこそ集まって住むことの最大の恩恵であろう。こうしたことは都市でしかなりたたないことである。一世帯で女中が雇えない今日、それに代わるサービスを集まった人々の少しづつの負担によって実現できるのは、都市をおいてほかにはないのである。しかも、それが近隣の長い付き合いによって形成される、人間関係の貸し借りによってではなく、システムとしての都市が固有にもつ便利さ、これが都市に住む利点である。 障害者や老人にたいするデイケアーサービスにしても、人口密集地の都市だから可能なのである。各人が離ればなれで住んでいれば、それぞれを廻るだけで大仕事である。そのうえ人口密度が低いところでは、サービスを提供する側の人間が、存在しないかも知れないのである。ちなみに、大田区の家事援助サービスは有料である。1時間¥600払えば、老人は話し相手、掃除、食事の準備、買い物等のサービスを受けられるのである。そう考えるとき、人口密度の高い都市でのみなりたつホテル居住こそ、都市居住の原点であると思えるのである。 ホテルをファミリー住宅に重ね合わせてみると、私に相当する部分が各客室であることに気づく。それぞれの客室を、シングルズと考えるか、ダブルズやトリプルズと考えるかで、私の中身がワンルームマンションやファミリー住宅へと変わってくるにすぎない。スイートルームに専用の厨房が設置されれば、それはファミリー住宅となんら変わりはない。そして、ホテルには客室でもなく外部でもない室内空間がある。それは、本研究で名づけた界に他ならないであろう。ホテルは、居住環境を提供するいわばプロである。1泊か2泊するだけの仮の宿としてではなく、居住対象としてホテルを見るとき、ホテルはこれからの住宅に何が必要なのかを教えてくれる。ホテルの提供するサービスを組み込んだ住宅こそ、今後求められていくのではないだろうか。 5.別居結婚結婚=固定的な性関係は結ぶが、界や私は共有しないという生き方を非難するのはたやすい。しかし、一人の人間が他者とどんな関係を結ぼうと、それは当人のプライバシーに属することがらである。近代社会は、そうした個人のプライバシーを尊重することを、基本原則としているはずである。別居結婚というプライベートな事情によって、それぞれがシングルズの生活を選んでも、彼らにはきちんとした住生活が保証されなければならない。近代社会ではプライベートな事情によって、差別的な取扱を受けることがあってはならないのである。 女性の晩婚化や男女の非婚化によって、シングルズが増殖したからといって、シングルズは誰でも禁欲主義者だとは言えないのである。法的な婚姻関係を作らなくとも、性的な関係をもっているシングルズはいくらでもいる。むしろ今日ではシングルズかどうかではなく、婚姻と性関係はまったく別のことである、といった方がよいかも知れない。また平日は別々に暮らし、週末は一緒に暮らす、いわば半シングルズもいるだろう。それゆえどのような人間関係を結ぶかは、まさしくプライバシーに属することがらであって、他人が云々することではない。 スウェーデンにおいて「…1956年に初めて性教育が公教育に取り入れられたとき、…性と結婚を結びつけることについて激烈な討論が交わされた。教育委員会が性と道徳を結婚というかたちで教えようと提案したのに対し、現場の教師たちから猛烈な反対があった。すでにその頃で1クラスに2、3人、両親が結婚していない子、単親に育てられている子たちがいたのである。性は結婚生活の中でだけ行われるものだと教えたら、その子たちは『間違った生活』の中から生まれたことになる、と教師たちは反対したのだという。」 そして今や北欧では、結婚しているか否かを尋ねることは、きわめて不躾で失礼な質問であるという。 週末だけの通い婚であっても、つまり同居結婚を選ばない人びとにも、住生活は保証されなければならない。プライベートな事情の如何をとわず、誰にでも平等に対応することこそ近代の理念である。ここで問われているのは、ワンルームマンションによって私の領域が確立した今、これから界なる領域をどう設定するかということである。 6.シニアー ハウス公団の提供する住戸の占有面積は、次のグラフでもわかるように、年々広くなってきた。広くなったため間取りが変わったように見えるが、じつは住宅を支える設計思想はあまり変化がないようである。 次のA〜Dの間取りは、季刊「まち&すまい」No40のなかで、公団自身が住戸の専用床面積が広くなったことの説明に使っている間取りである。 昭和30年代の2DKの間取りAは、まさに食寝分離を示して公団住宅の原形とも言うべきものである。現在なら、和室とか洋室と表記されているものが、Aでは就寝室と記されている。B、Cとなると、2DKにそれぞれ1部屋ふえて3DKとなってきたが、食事室(+居間)のとなりに和室があり、それからはなれて別の部屋があるという基本構造は変わっていない。しかも、(2)や(3)という部屋は4.5畳が多いことも、AやBから変わっていないのである。 昭和60年以降の4LDKの間取りDは、Aの3倍近い面積になって、ミニキッチンやトイレまで備えた洋室が登場してくる。しかし、Aで台所食事室だったところは居間兼食事室となり、就寝室は和室と名前を変えてはいるが、やはり食事室に接して、しかも両者は襖で仕切られているのである。そして、それから離れていくつかの部屋(しかも4.5畳の)という構造は変わっていない。つまり、AからDまで、<食食分離>と「nDK」という基本構造は変わっていないのである。 そうした背景があるので、自分で共同住宅を造ろうとする人が現れてきた。 「<結婚>は、わたしにとって、心地よい棲家とは思えなかったからである。結婚すれば、なぜ自分の姓をすてなければならないのか。なぜ女だけが、<家事>をするのか。とてもわたしには、それが楽しい場とは思えなかった」*21 「同じ問題意識を持つ者、同じく女の自由を考えているものが、組み合い考え合う場を作り出そうということであった」*22 フェミニズムの高まりの中で、女性たちが自立を模索しはじめ、さまざまな運動が起きた。そうしたなかで、大戦後今日に至るまで、実践的な女性運動の活動家であった駒尺喜美氏は、女たちの安心できる場所を作ることを念願していた。運動家として私を獲得した氏自身が老年期を迎え(駒尺氏は1925年生まれ)、その思いがますます強くなっていったらしい。 「自分がもっとくつろげて、自然に暮らせる場を、もし<家庭>と呼ぶならば、<家庭>とは必ずしも家族、血縁でなくともよい。単身家庭もあれば、友だち家庭もある」*23 男性原理が支配する公の現代社会の中で、女性たちが独力で新しい運動をつくることの困難さは、想像を絶するものであろう。ましてやそれが資産をめぐるものに近づくとき、多いに困難の度を深めるであろう。マイナリティの運動形成は、どんな時代にもこんななのであるから。土地や建物を入手するのには大変なお金がかかる。今まで弱者とされてきた女性には、土地や建物を購入するために銀行からお金を借りることは、たとえ収入があっても不可能に近かった。 しかし、バブルが残した遺産の一つは、収入がある者は誰でも、大切なお客様であるという確認であった。女性であっても、確実な収入さえあれば、銀行には大切なお客なのである。収入さえあれば、誰にも借金能力がある。女性でも、事業の主体になれるようになった。家を買い始めた女性と同様に、時代の恩恵は誰の上にも、少しずつ振りまかれ始めたのであった。ここでやっと、男とか女と言った属性から獲得されたる私へと、人間の評価が移動し始めたのである。 駒尺氏は長年の夢を、ある組織とタイアップすることによって、大阪の江坂でシニアー・ハウスとして実現した。今までの老人ホームというと、管理が厳しくて規則ずくめのものが多かったが、彼女の建物は入居者の自由を最大限に尊重している。土地代や・建築費・家賃などの細かいことは話されなかったが、元気な女性たちに囲まれ多くの女性たちが活発に出入りする現在の状態に、駒尺氏は相当に満足されているようであった。 |
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