デジタルな思考    匠 雅音:著    
 

はじめに
 狩猟採集から始まった人類の歴史は、農耕社会をへて近代の工業社会にたち至った。そして現在、先進諸国では工業社会も終盤を迎え、情報社会へと転じようとしている。それぞれの産業社会では、各々に固有の産業構造が存在することは言うを待たない。そして同時に、それぞれの産業構造には各々に対応した固有の思考方法があるのではないか、と筆者は仮説を立てた。まず、農耕社会・工業社会・情報社会の思考方法を、それぞれ類推する思考・論理的な思考・デジタルな思考と名付けて、それぞれの社会との対応関係をさぐり、その特長を考察する。本論は、今後の情報社会で主流となるだろう、デジタルな思考方法を素描する試みである。
1.生活水準の向上
 人類の長い歴史を振り返る時、私たち人間の営みは、より多くの人がより豊かな生活を入手するための、苦闘のあとだったと判る。戦争があって多くの人が死んだり、ひどい暴政や圧政に苦しんだりもした。しかし、長い目で見ると、豊かな生活をするため、また増える人口を養うため、生産力を上げようとする必死の努力だったと言っても良い。

 富の配分が偏っていたので、貧困がはびこったとの見方もあるが、絶対的な生産力の低い時代には、その社会の平均的な生活水準が低かったと見るべきである。例えばつい最近の例で江戸時代、支配階級に属する武士たちが贅沢をして、庶民は搾取されたとある人たちは言う。そのため、庶民たる農民は貧困にあえいだというが、その武士たちの生活でさえ、現在から見ればおそろしく低い生活水準だった。電気もなければガスもなかった。満足な医療も発達しておらず、誕生した子供の20パーセントは、1歳まで生き延びることができなかった。当時の支配者たちより現在の庶民の方が、はるかに明るく健康的で豊かな生活をしている。

 富の配分は、いつの時代でも不公平である。富める者は富み、貧しい者は貧しかった。全員が同じ生活水準を享受する社会など、歴史上に存在しなかったし、これからも存在しないだろう。そうでありながら江戸時代に比べると、現代の庶民の生活水準は格段に向上した。現代社会も様々な問題を抱えてはいるが、先進国の人々は80年近い人生を享受できるようになった。

 社会の活力を維持するためには、富の配分を平等化することは、もちろん重要である。筆者もそれを否定するものではないが、それは短期的な実現課題である。長期的に見ると、富の配分を平等化するより生産力を向上させるほうが、社会的な生活水準を上げるには有効だった、と近年の歴史は教えている。つまり富の配分が平等化されたからではなく、生産力が上昇した結果、庶民も物質的に豊かな生活ができるようになった。そして、豊かになったがゆえに平均寿命が伸び、人口は増加の一途をたどったと見た方が自然である。
2.文化の蓄積
 狩猟採集社会に限らず農耕社会でも、食料を入手する方法は、突然発明されたわけではない。数千年いや時とすると数万年という長い年月にわたって、少しづつ蓄積された当該社会の文化として、それは教え伝えられきた。どこに行けば魚の群れがいるか、食料となる動物の捉え方、作物の作り方などは人から人へと、日常生活の中で伝達されてきた。どんな社会に生きる人々も、すべて世代を越えた教育の成果として、生きる方法を身につけてきた。

 先達から言い伝えられた文化は、次の世代へとただそのまま言い伝えられたわけではない。教えられた当人が、それを身につける過程で、また教えられたことを実行する過程で、工夫や改良を加えた。よりすぐれた技術や知識を獲得すべく、ゆっくりとではあったが、常に改良が加えられていった。幼稚と感じ当たり前と見える文化にも、その裏には長い長い歴史がある。

 人間自身が自然の中に生き、すべての労働が自然を対象になされた農耕社会では、機械が存在せず人間の肉体が生産を担った。この時代には、自然の力に比べて、人間は卑小な存在でしかなかった。そのため、自然がどうのような様相を示すかは、人間にとって重大な問題だった。なされる具体的な工夫や改良は、道具の改善とか品種の改良といったことから、灌漑治水と言った大規模なことまで多岐にわたった。それらを総称すると<自然の解読>と言ってもよい。

 今日のような工業社会になっても、人間は自然の支配から自由になったわけではない。重力の支配に逆らえば飛行機はたちまち墜落するし、大きな台風や地震が来れば、現代人とても大騒動であることは、農耕社会の人々とまったく変わってはいない。人間という種が繁栄を誇る工業社会は、それまでの農耕社会と無関係なところから生まれたのではなく、農耕社会が成熟した上に引き続いて成立した。だから工業社会といえども、自然の上に成立していることは当然である。それは今後も変わらない。人間の知恵が発達すればするほど、未知なる領域は際限なく拡大する。もちろん今でも、自然を解読する作業は続いている。
3.類推する思考
 人類が初めて地上に降りた頃は、人間が理解できることは、今よりもずっと少なかったに違いない。使える道具といっても原始的なものだったし、社会の仕組みも単純だった。そのなかで、人間たちは自然を観察し、少しずつ自然の仕組みを見いだしていった。木の葉が落ちて木立が裸になっても、何ヶ月かたつと再び新緑になることや、暖かくなると決まって魚の群がやってくることなどを知った。そうした繰り返す自然を観察するなかで、人間はやがて言葉を獲得した。火の使用や直立歩行の開始と同様に、言葉の獲得は人間社会の生産力を大きく飛躍させただろう。 

 狩猟採集社会や農耕社会の時間はのろく、自然という現実はゆっくりと繰り返したから、人々もそれに合わせて生きていた。天体の運行など様々な自然現象を、記憶の中にとどめた。そして、日毎・年毎に繰り返す自然に従って、自然の観察を続け、その成果を蓄積していった。いつの間にか、自然は繰り返すことを知り、しかも繰り返しには規則性があることを発見した。短い時間で繰り返される現象は簡単に気づくが、長い時間をかけて繰り返される現象は、発見されにくかった。繰り返しの周期が長くなればなるほど、規則性の発見は困難だった。しかし、それも膨大な時間の経過が、人間に自然の規則性を教えた。

 今眼前に発生している出来事と、記憶の中にある以前の多くの出来事とを重ね合わせ、その同異を勘案する。そして、過去のよく似た出来事になぞらえて、新しく発生した出来事を類推して理解する。新しい事件は、以前のあのケースと似ているから、今後の展開はこうだろうと類推し予測する。正確な予測は、危機を未然に防ぎ、より大きな収穫を約束する。人間は自然の中に繰り返すパターンを読みとり、循環する時間を設定した。新たな事象の認識自体が大切なのではない。過去のどこかに同じ現象があるはずだった。繰り返す自然は、人間に<類推する思考>を教えた。

 より大きな記憶の量は、類似例を探しやすくするので、より正確な判断につながる。類推する思考の鍵は、人間がもつ記憶の量であり、記憶を生み出す経験の量である。長く生きれば生きるほど、思考の基盤を支える分母たる記憶の量は充実した。とりわけ記録の手段である文字のない社会では、過去の情報は人間の記憶に格納された。必然的に長く生きたことが優れた知性になった。農耕社会で文字が発明されたと言っても、農耕社会では文字は一部の階級に独占されたから、記憶の量がもつ優位性つまり長寿が優れた知性を意味したことは変わらなかった。
4.自然の中の生活
 機械の存在しなかった農耕社会では、すべての労働は人間の肉体によってなされた。人間は自然の恩恵として食物を入手し、自然環境としての大地が人間生活の舞台だった。可視の自然が眼前にあり、自然が人間を生かしてくれる。人間は自然から離れることはできなかったがゆえに、思考や観念も自然の秩序のなかにとどまった。自然に感謝して人間は生活をした。自然の崇拝や自然への信仰が長く続いた。人間の理解を超えることは、神の仕業と納得した。だから、思考が実体的な手応えを求め続けざるを得なかった。そして、日常の実感的な感覚に支えられながら、類推する思考は精緻に組み立てられた。

 神は人智を越えた全能者だったから、神の世界と人間の世界とは全く別の体系としてあった。聖なる神の世界は、俗なる人間の世界の上方に、不可視でかつ至高のものとして存在した。信ずべき神は人間を超越した。反対に人間の世界は実感を下敷きにして、可視でかつ精緻な思考として構築されたがゆえに、強固で安定した社会を構成した。そして人間は、神の世界と人間の世界を、<信じる>という思考の停止で架橋した。類推する思考を構築する人間は、際限なくその精緻さを追求した。しかし、神が存在する限り、人間は卑小で不完全なものだった。人間にとって、自然は所与であり、作為の対象ではなかった。思考の最後には、人間は神に全身をゆだね、不可視の至高に陶酔した。

 自然の解読は、感覚や感性によって触発されたが、繰り返される自然の現象を見つけると、やがて規則性を記述した文字の集まりへたどり着いた。太陽や月の運行そして夜空の星を、美しさの対象として眺めるだけではなく、そこから規則性を発見した。初めそれは占いだったかもしれないが、今日的な科学が存在しない農耕社会では、占いは人々の生活に役立った。占いは原始的な統計学だったから、占いは生産力の向上つまり農耕社会の生活に多いに貢献した。

 言葉は当初、現実の物を示すものとして生まれ、現実と密着していたに違いない。例えばリンゴは、常に現実にある具体的な赤くて丸いリンゴだった。現実に存在しない黒いリンゴや三角のリンゴなどは語彙矛盾であり、人間の思考の中には入ってこなかっただろう。言葉は抽象の産物だとしても、具体的な事物を表す言葉がまず登場したはずである。

 文字を体得した人間による知の所有は、文字を扱うことのできる能力を持った選民を生み出した。農耕社会の生産活動には、文字は必要とは限らなかったから、文字は一部の選民に占有されるにまかされた。現在のわが国からは想像もつかないが、すべての人が識字能力を持っていたわけではなかった。農耕社会では、文字が一部の選民に独占されていたので、知は経験の量に支配される構造は変わらなかった。
5.近代の暁光
 農耕社会の類推する思考は、肉体労働に支えられたから具体の世界にとどまり、しっかりと大地に足をついた人間を形作った。この時代の思考は、人間存在を自然の中で位置づけ、大地のより深い方向に深化する形へ進んだ。それは自然や人間の存在を、より精緻にとらえる試みだったと言っても良い。農耕社会では確たる自己の存在が前提だった。類推する思考は自己を切開し、人間を確定しようとする作業となったから、時代や空間を越えて、絶対の真理が成立すると思念された。

 農耕社会では、認識主体の核としての自己があり、自己の研鑽がより優れた認識に至ると見なされた。そのため、正しいものとしての本質を求める思考は続き、神や真理そして徳なる観念を生み出した。生きる意味は、神という人間を越えたものが保証してくれた。スコラ哲学の支配する世の中であり、世界の創造主たる神を持った社会である。

 物が地面に向かって落下することから、地球が確固たる不動の物だという実感を伴った理論が支配的だった。この時代、人間は可視の自然を相手にしたので、すべての思考は手応えある実感に裏打ちされていた。やがて思考は整合性を求め、ドグマを語る絶対者ではなく、思考の構造そのものに正当性の根拠を求めた。思考が論理として矛盾なく完結することが、思考の正当性の根拠となり始めた。神が世界を作ったとしても、それは<信じる>橋を渡った向こう側の話である。信じる手前の人間の俗なる世界では、類推する思考によって論理を精緻に研ぎすませていった。自然から生まれた精緻な論理が、反対に自然を解読し始めた。

 人間の世界では、整合性だけが論理の正確さを支えた。そのため、数学とか物理と呼ばれる論理的な思考が、自然を理解する哲学的思考の一部として、生み出されその重要性を増してきた。数学にせよ物理学にせよ、自然を読む目的のために、人は知識を蓄積したといっても過言ではない。精緻な論理が生まれ、数学や物理学が論理的な思考の根底を支え始めた。近代の暁光が見えてくると、それがやがて聖なる神の秩序を疑い、自然の仕組みを検証するようになった。しかし、いまだ肉体労働が生産の根底を支えていたので、思考は自然に従い自然から離れることはなかった。

 類推する思考の体系が量として構築され、<論理的な思考>へと転じようとしていた。言葉の獲得に引き続き、量を表す数という概念は、比較的早く発見されただろう。物と量は同時に発見されたかもしれないが、位置を表す数の概念を発見するには、時間がかかったに違いない。数も初めは具体的な量を表すものとして出発した。しかし、数が抽象化を許されたとき質へ転化した。それでも数も、やはり自然から離れることはできなかった。数を点であると考える限り、点は量こそもってないが、位置はもっているからである。
6.論理的な思考
 農耕社会の自然観察が、より精緻により体系的になるに従って、アリストテレス的な思考では説明しきれない事象が、判り始めてきた。しかし、スコラ哲学は実感に支えられていたので、人間の心の中に強固に存在した。太陽は毎日東から昇り、西に沈む。地球が動いていることや、人間が猿と先祖を同じくすることを、多くの人が納得するまでには長い時間がかかった。いまだに子供たちは、重いもののほうが軽いものより、先に地面に到達すると信じているだろう。

 西ヨーロッパで始まった近代化の動きは、やがて工業社会となって人々の前に現出した。農耕社会では労働対象は大地であり、自然からの恵みを入手するために人は働いた。しかし、近代という工業社会では、働く場所は大地の上だけではなく、工場という人工的な場所になった。そこでは、人間の労働は機械を対象にし、自然の恵みではなしに人工的な物の生産を目指した。ここで人間の認識の構造つまり思考が、変化するきっかけが生まれた。

 類推する自然は、確固として不動で堅固である。類推する思考は、自然を相手にしたので堅固だった。しかし、工場での生産は、小さく軽い物が対象だった。物は大地より軽く、移動ができる。土地から物への労働対象の移動は、思考の形態を徐々に変え始めた。工業社会になって、人間は物に思考の基礎を移したので、人間存在は自然という大地の上から離れ始めた。自然から離れた可動の物を相手にした工業社会は、農耕社会より移ろいやすく不安定な社会となった。農耕社会の類推する思考からは離れたが、工業社会は物の生産をめざし、労働は物を対象としていたので、思考は物の性質に拘束された。

 土地という不動の労働対象から、可動の物へと労働対象が移ったことは、人間の生活が大地から離れたことでもあった。同時に生活自体も、大地から離れ始めたことが判る。農耕社会では、地面の上に直接腰を下ろして食事をし、大地の上に直接に身を横たえて就寝していた。大地と人間の体が密着して生活していたものが、近代になると椅子やベッドという道具を使い、大地から離れたところに人間の体を置くようになった。個人用の椅子が登場し、寝姿や座姿が主な生活から、立姿が主流となった。体全体ではなく、足の裏だけを大地につける生活が主流になったがゆえに、大地から人間の存在自体が離れ始めた。

 人間の体を大地から引き離す作業には、長い時間がかかった。すこしづつ生活の形も労働の対象も大地から移動した。人間の生活が大地から離れるのと平行して、思考の基礎が、不動のものから可動のものへ移動した。工業社会では物が思考を支えたが、土地と違って姿ある物は滅びる定めであり、常に不安定な状態にある。不安定な物が思考の支えになったから、人間はよりどころを失い、社会は安定を損なった。農耕社会は静的であり、工業社会は動的となったのである。近代への入り口では、静的な社会から動的な社会へ転じる現象を、多くの人が論じている。
7.識字力と演算力
 近代という工業社会では、工業生産に従事する労働者が大量に必要だった。しかも農耕社会の労働と違って、工業社会のそれは書かれた文字を読む能力と数字を計算する能力を必要とした。識字力と演算力を持った労働者の養成には、学校がその役割を担ったのだが、繰り返し導かれた類推する思考に代わって筋道を追って考える思考形態、つまり<論理的な思考>の庶民層への普及をも同時に発生させた。庶民層において、記憶の量に頼る類推する思考から、筋を追った論理に頼る思考への転換が発生したことは、農耕社会の秩序を劇的に変化させた。

 庶民層まで論理的な思考が普及した事実は、碁や将棋・チェスといった知的なゲームの普及がそれを証明する。碁や将棋・チェスは、それまでは選民たちの遊びであり、庶民には無縁であった。農耕社会では、論理的な思考は支配と軍略に必要であり、庶民には不要だった。しかし、運に左右されず筋という論理を追っての思考だけが勝敗を決するゲームに、庶民層が興味を示す風景が大量に発生する。これが近代である。時間の無駄とも思える論理的なゲームに興じる姿が、あちらこちらで散見されて初めて、論理的な思考を不可欠とする工業社会は、大衆的な基盤を獲得する。地面の上で興じられる論理的なゲームは、やがて可動の盤を生みだしテーブルの上に移動し、徐々に室内遊戯へと移行して近代の成熟を深めていく。

 論理的な思考の庶民層への普及は、もっぱら男性を通してなされ、なぜか女性は論理的な思考に興味を示さなかった。女性たちも運を楽しむカードや麻雀なら遊びはするが、彼女たちは論理的なゲームには興味を示さない。女性たちの遊びは、筋を追うという論理的な思考とは無縁である。女性が論理的な思考に興味を示さなかったことが、工業社会で女性が男性に互した地位の獲得に、立ち遅れた原因の1つでもある。識字力や演算能力の普及は、識字力や演算能力それ自体の涵養にとどまらず、庶民層の思考を類推する思考から筋を追う論理的な思考に変えた。しかし、物が支配する工業社会では、観念なる思考は物という自然から離れることはできなかった。
8.新しい発想
 工業社会までは、観念が物から分離できなかったから、物と思惟の間には1対1の対応関係が成立していた。リンゴという言葉はリンゴという物を示し、リンゴという言葉自体にリンゴという物体が張り付いていた。逆もまた真であり、リンゴという物体にはリンゴという言葉が張り付いていた。両者の間は、いささかの距離もなく密着しているように見えた。だから、黒いリンゴや三角のリンゴなどは、想像もされなかった。

 リンゴを見る人間は、リンゴそのものを見るのではない。人間はリンゴの外に存在し、人間の観念がリンゴを認識しているにも関わらず、工業社会まではリンゴという現実とリンゴという観念の間にある距離を見ることはできなかった。リンゴという現実の物が、人間の観念であるリンゴを、一義的に決定してしまった。ところが、0と1で構成される機械言語の登場により、具体的な現実との対応を持たなくても、記号が自立し観念が意味を持ち、現実を記述することが可能になった。たとえば、0100101110…という記号の並びであっても、0や1以外の意味を語りうることが判った。そのため、リンゴという物体とリンゴという言葉の間には、遠い距離があることを知った。

 人体という物についても同様である。工業社会まで母親なる具体は、必ず生物的な性としての女性を意味し、母親が示す特性を母性と呼んだ。母親は女性で父親は男性であり、母性は女性に担われ父性は男性に担われた。その子供の生みの親ではなくても、たとえば乳母や養母でも育児ができる。にも関わらず、授乳できるのは女性だけだったので、母性とその子供を産んだ女性は不可分のものと見なされた。同様に父親なる具体は、男性を意味した。それは農耕社会では腕力の生産への有効性が高く、腕力が優位していたのは男性だったという理由、そして初期工業社会では女性の職場は存在せず、男性しか経済力がなかったという理由で、父性と男親は同じことを意味したのである。

 工業社会の初めまでは、育児は女性の役割でしかあり得なかった。しかし、妊娠と出産が近代医学の支配下に移り、母乳が人工栄養に置き換え可能な世界では、育児の専門家は女性とは限らず、むしろ育児の指導員は男性でもある。また同様に、女性も経済力を持つようになったので、経済力を意味する父性は、男性だけが独占できなくなった。父親という言葉が経済力を意味するのなら、女性が父性の担当者であっても何ら問題はない。男性と直結していた父性は、生物学的な性別とは切り離し可能であることが、工業社会の終盤で明瞭になった。

 妊娠させるオスや妊娠するメスといった動物的な事実と、父親・父性また母親・母性といった社会的な表現は同義とは限らない。物と観念のあいだには距離がある。つまり機械言語の登場は、物である男性や女性という肉体と、観念である父性や母性の距離を教え、物と観念の間には遠い距離があると教えた。自然の支配下にある物と、社会的な産物である観念の距離が、機械言語の登場によって明確に自覚され始めた。自然と人間の作る社会の距離が離れ始めた。ここで観念が物と切れ、観念が観念としてだけで自立した。

 物は自然内の存在だとしても、物を物と知るのは観念がなせる作業である。観念は物の上にではなく、社会に上に成立しているのだから、物と観念の距離が離れていることは簡単に了解できる。しかし、自然力の支配が強大だった時代には、観念は物を相対化するまでの力を持ち得なかった。だから農耕社会や初期工業社会では、リンゴは赤くて丸いリンゴでしかなかった。そして、父は男性で、母は女性だった。情報社会の入り口に立った今、とうとう自然から離れた<デジタルな思考>が生み出された。
9.デジタルな思考
 最近になって、私たちが知ったデジタルの世界は、あくまで虚構という観念の世界であり、人間がつくった人工の世界である。観念の世界とは、人間の作った社会性の反映といっても良い。自然界はすべて連続しており、どこを探してもデジタルな概念を発見することはできない。0と1で意味を形成する思考は、自然界にその裏付けを持っていない。つまり、自然とりわけ大地という確たる面の上に、デジタルな概念を印すことはできない。言い換えると、0と1しかないデジタルの世界では、不動の大地の上に示された位置という観念が成立しない。

 位置自体は抽象された概念だから、仮想の象現にそれを明示することはできる。しかし、デジタル以前の世界では、リンゴはリンゴであり、父親は父性であり、父性は男性によって担われた。母性も同様に自然の属性である女性たる性別から切れなかった。そこでは、位置は現実相と強固な対になっており、現実相に観念を固定するものとしてあった。現実に場所を占めない位置は無意味である。だから、自己や他者といった実体をもった位置的な表現として、デジタル世界の論理や観念が立てなくなったのは当然だった。位置のない本質はあり得ないから、ここで本質を探すつまり真理を思考する思考形態が破産した。

 現実相との対応を持たないデジタルな世界では、位置が決定できないのだから、位置の場所や意味を問うことはできない。位置それ自体を確定しようとする作業ではなく、位置と位置の関係を何度も問うことによって、位置のあり様を辛うじて推定し、帰納的に思考せざるを得ない。デジタルな思考は、想定された位置と想定された位置を結んで、架空の閉じた回路を無数に想定する。何度も何度も位置や関係の設定を変えて、おびただしい回数にわたりシミュレーションする。驚くべき早さでそれらを1つ1つ点検することによって、現実相の極限まで迫ることが、コンピューターによって可能になった。決して現実ではないが、限りなく現実に近いもの、それがデジタルな世界である。

 シミュレーションの設定条件が問われることはあっても、0と1で作られた言語のシステムそのものが動くことはないから、機械的な思考の回路は閉じている。閉じた回路を少しずつずらして、そこを何度も駆けめぐることによって、現実の現象を知ることができるように感じる。数で表現された関係による解析が、現実相の極限的な近似値を示す。現実と極限的な近似値の差が零であるとき、近似値は現実と見なせる。そのため、数による思考でも、現実に迫りうることが了解された。ここで、自然から切り離された思考が成立した。

 デジタルな世界を知ってみると、実はそれ以前の言葉も、現実との間には距離があり、決して現実そのものではないことに気がついた。リンゴという物は、リンゴという概念と同一ではなかった。リンゴという言葉は、リとンとゴという意味のない三つの音で作られており、0と1で構成されるデジタルな言語と何の違いもない。リンゴという言葉は、リンゴとして約束されているから意味があるのであって、リやンやゴに意味があるのではない。だからそのうちの一音でも変えたら、リンゴはリンゴではなくなる。例えば、ゴとジを入れ替えれば、リンジとなってまったく違う意味になる。物と言葉との間には、一対一の対応関係はなく、対応していると感じたのは観念の産物だった。

 コンピューターが処理する記録の突き合わせは、農耕社会の人々が行っていた類推する思考と同じ構造だったことが、今になってみると判る。だから経験の量が記憶の量を支えたのと同様に、より精緻で正確な判断を求めて、コンピューターの記憶容量は際限なく拡大する。情報社会を前にして、すべての観念が現実の根拠を失い、現実から切り離された。もはや真理=神は存在せず、人間が神を創るのである。
10.本質から関係へ
 工業社会まで、知は現実の物から分離せず、実体を持っていた。だから、本来無色であるはずの知にまで、色や重さが宿り、どっしりと大地の上に居座っていた。それが、認識の主体である人間をまで巻き込み、知を与える者と受ける者といった関係が固定的に捉えられた。知が人間に所有された結果、知のあり方は個別の人間の属性に左右された。必然的にそれは、長寿といった所有した時間の多寡や、身分などといった社会的な地位などと二重化した。

 農耕社会では自然の属性が観念を決定したが、その構図は初期の工業社会になっても残り、人間そのものをも固有な身分的存在として捉えた。たとえば、親子や師弟といった関係にあっても、両者の位置が無条件に固定されたので、位置から独立した関係性としての意識が発生せず、親や子または師そのものといった属性として人間が認識された。そして人間関係は、属性を結ぶものとして認識されたから、属性がその関係の中に自動的に潜り込んだ。そして、あたかも人間の関係が、本質的な属性であるかのように、その関係が固定された状態を現出させた。この時代は、本質と関係とが同義だった。

 工業社会の終盤まで、人間関係がむき出しな形で露出することはなく、関係の両端にある人間の属性と関係が一体化していた。属性の上に成立した形式を守れば、望むべき実態が確保できた。関係は常に属性に支えられたものとして見なされたから、親や子供とか師といった属性の本質に迫る回路がつぶれてなくなった。反対に属性の本質は、関係の衣をまとって現出した。ここで、目上とか目下という立場や属性が、関係性に刷り込まれた。だから例えば、目下の人間に対する関係と、目上の人間に対する関係の作り方が違うものとなった。対女性や対男性と言った関係も、人間としてではなく、性という属性による変形を受けた。目上を敬わない態度が忌避され、目下を敬う態度が語彙矛盾になった。関係の円滑化を図るための丁寧語ではなく、人間の身分を区別する敬語が生まれた。らしくあれという生き方が、農耕社会や初期工業社会での道徳だった。

 デジタルな思考が明らかにしたのは、属性という本質は存在せず、現実は純粋に関係という状態にすぎない事実だった。だから人間は、身分や地位といった属性に生きるのではなく、重さを欠いた関係としての存在となった。純化されたこの関係は、無色のものであり、本質を持たない。ここでは、すべての人間は横並びとなり、属性としての人間の違いは消滅した。年齢や身分・地位・性別・人種といった属性は意味を失い、人間の持つ観念や意志だけが評価の対象になった。

 認識や知ろうとする観念が、大地へ突き刺さる縦の本質指向から、水平に伸びる横の関係指向へと転じるとき、実在は空気の中に熔け込み、既存の価値は重さを失い限りなく透明化する。ここでは、すべての観念は関係として認識され、無数のネット状の繋がりとして立ち現れる。そして人間自身が、ネット状の繋がりの中に一つの要素として存在する。デジタルな思考の中では、もはや位置や本質的な属性といった判断が成立しない。それよりも、認識や論理それ自体の有効性のみが、考察の対象になる。なぜなら、地位の上の者が見る0や1も、下の者が見る0や1もまったく同じだからである。

 物に貼りついた属性がすべて剥がれ落ち、物そのものとしての形が現出した。ここでは、人間も身分や血統などといった違いは、まったく意味を失っている。それどころか、立場や地位による違いも意味を喪失した。実は今や使用価値すら、物から剥がれ落ち、リンゴという物が無色でただ浮遊するだけになった。物に価値や意味付与するのは、各々の人間だから、人間は趣味として人生を生きるようになった。でなければ、リンゴの値段があんなに違うことを説明できない。

 以上が確認できれば、浮遊する観念を自由に組み合わせることが、知の領域においてどこでも許されるだろう。デジタルな思考の世界では、物が物としての重さを持たないから、あやふやな意志が全能を手に入れ、観念と現実を相互に交通する場が成立する。リンゴという物とリンゴという概念が、無限に遠くにあることを知りながら、両者は限りなく一体化する。だから情報社会に至れば、大地を相手にした農業といえども、浮遊する観念からは逃れることはできない。

 土地を相手にした労働も、機械言語によるコンピューターを媒介にしなければ、社会的な労働たり得ない。生産性や経済性を無視した社会的な労働は成り立たない。趣味としての裏庭の農作業と、生産労働としての農業とは、全く別次元のものである。そうでありながら、大人たちが真面目にする農業も、少女たちがする趣味としての園芸と、何の違いもなくなった。情報社会の農業は、農耕社会の農業とは異次元の労働になる。もはや自然すら、そして神すらデジタルな思考の対象から、逃げることはできない。
おわりに
 自然はもはや人間の観念と直結していないから、人間は自然という実体にその判断を頼ることができない。人をナイフで刺せば怪我をするし、時としては死に至るが、痛さという自然な感覚が人間の感性に自動的には侵入しない。痛いという情報を人為的に打ち込まない限り、人間は痛さを認識できなくなった。そこで、自らの好みにすがるのは、誰にとっても不可避である。如何に手応えがなくても、すべての人間が観念的な論理のスイッチを一つ一つ入り切りして、自己確認に遊ばざるを得ない。その道程が、彼の心の吟線にふれても、それは過程にしかすぎず実体ではない。

 デジタルなる思考は留まることはなく、一つのスイッチの転轍が次の反応を生み、無限のスイッチ操作を要求してくる。しかも、その円環は閉じることはない。たとえ同じ場所に帰ったように見えても、そこは異なった位相である。無限に続くこの螺旋状の回路は、今や至る所に目に見える形で存在する。情報社会の子供たちは、工業社会の成果を体得しながら成長するので、工業社会の大人たちより遙かに賢い。子供たちは、軽くて透明な観念だけが世界を支えることを敏感に察知して、新たな適応と進化の過程に入り始めた。

 情報社会化が不可避だとすれば、差し出される解答は、次の二者択一である。自らをコンピューター化してデジタルの世界で死ぬまで走り続けるか、浮遊するコンピュテーションの世界を人間らしく漂うかである。
参考文献

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ジョエル・E・コーエン「新・人口論 生態学的アプローチ」農文協 1998
エイレン・モーガン「人は海辺で進化した 人類進化の新理論」どうぶつ社 1998
E・H・レネバーグ「言語の生物学的基礎」大修館書店 1974
デカルト「方法序説」岩波文庫 1953
ルソー「エミール」岩波文庫 1964
I・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房 1997
カミール・パーリア「性のペルソナ」河出書房新社 1998
Marshall Berman「All That Is Solid Melts Into Air」Verso 1982

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