江戸時代には3千万人くらいだったわが国の人口は、明治になって急増してくる。
太平洋戦争が始まる頃には、1億人に届こうとしていた。
しかし、生産力はそれほどの上昇はしない。
戦前の主な産業だったのは農業である。
農業生産力は土地の限界があるから、簡単に収穫高をあげることはできない。
人口が増えてくれば、農業から弾き出される人が発生してくる。
当時の農業が景気の緩衝役を果たし、
労働者が田舎に戻ったのは周知の通りであるが、
それでも農業は増える人口を吸収しきれなかった。
農業では女性も充分な労働力だったが、
農業以外の職場は女性を閉め出したままだった。
女性がそれなりの生活費を稼げる職場はほとんどなかった。
炭坑は女性労働者を受け入れる数少ない職場だった。
1933年には女性の炭坑労働が禁止されるが(中小炭坑においては戦後になるまで女性の坑内就労があった)、
それ以前は女性といえども立派な坑内労働者であった。
もちろん炭鉱労働者は最底辺労働者だったが、
肉体労働であったがゆえに、飾り気のない裸の人間付き合いがあった職場だった。
今はいなくなってしまった炭鉱労働者。
そのなかでも女性の炭鉱労働者を追ったのが本書であり、
すでに隠退生活に入っている老女たち46人を、写真と共に聞き書きとしてルポルタージュしている。
私はこの取材を適して日本の女性労働史を記録しようとしたわけではありません。また頻発する炭鉱災害の中、累々たる屍の山を築いてきた日本石炭産業のネガティブな部分を記録しようとしたのでもありません。人間が国家というシステムの中で生きていくうえで、その国家を基本的な部分で支えてきた産業と、その産業をもっとも底辺で支えた人間の基本的営為としての労働と、その労働を通して取り結ばれる素朴な人間関係の中から生まれる文化に、私は今のこの時代を生きる勇気を見つけだしただけなのです。それがたまたま石炭産業であり、女性であったにすぎなかったのです−はじめにp.7
と語る筆者は、本書に登場する老女たちに限りない愛情を抱いていることが、行間から良く伝わってくる。
彼女たちは、それにしても働きづめの毎日であった。
男性に恵まれた人ばかりではない。
飲んだくれの夫、働けない夫、それでも生まれてくる子供たち。
戦前には子供がたくさん生まれ、そして簡単に死んでいった。
貧しい生活の中でも、たった3畳の一部屋に親子4人が暮らしている。
それでも子供が生まれるのである。
老女たちの語る人生は、過酷な肉体労働の毎日だったが、今では実に明るい。
そして昔に戻れば、また炭鉱労働をしても良いと言う人さえいる。
肉体労働がつくる人間性とは如何なるものなのだろうか?
筆者は女性労働史を記録しようとしたわけではないと言うが、
本書を著した筆者は、「女工哀史」に勝るとも劣らない仕事をしたと言っていい。
真摯に人間と向き合う筆者の姿勢に、限りない共感をもった。
大型カメラで撮ったと思われる写真だが、
惜しむらくは性格を描写するところへの踏み込み不足を感じた。 |