西部戦線異状なし お奨度:

著者:レマルク          新潮文庫、1955 ¥629−

著者の略歴−ドイツの中都市オスナブリユツクに、1898年6月22日生れる。本名はユリヒ・パウル・レマルクで、カソリック教徒。父親は製本屋。第一次大戦に、中学生から学徒出陣する。帰ってきて学生に戻り、卒業すると、ある小さな村の小学校教師となる。その後ゴム会社に勤め、のちにベルリンでジャーナリストになった。
 自由なコスモポリタン作家であり、ドイツ文学史上では異色の存在である。1939年にアメリカ人となりながら、常に戦争に明け暮れたヨーロッパを凝視していた。著書:「帰還の道」、「三人の戦友」、隣人を愛せ」、「凱族門」、「火花の生命」、「愛する時と死する時」

 
第一次世界大戦に、一兵卒として従軍した筆者の体験をもとに書かれた小説である。
この小説は、私の思想の原点ともいうべきもので、
人間を考えるときには「アーロン収容所」とともに、いつも本書を思いだす。

 ここまで書いてきた志願兵パウル・ボイメル君も、ついに1918年の10月に 戦死した。その日は全戦線にわたって、きわめて穏やかで静かで、司令部報 告は「西部戦線異状なし、報告すベき件なし」という文句に尽きているくらいであった。

という最後の段落は、あまりにも有名である。
パウル・ボイメルは19才で出征し、3度の戦場を体験する。
結局、最後には死んでしまうのだが、広大な戦場のこと、彼の死はまったく話題にも上らない。

 本文は坦々とした描写で、戦場と兵士の生活を描いているである。
ごくありふれた戦場での毎日に、兵士たちの細かい心理をからめて、平易な文章で綴られている。
しかし、その何気なさにこそ、人間への暖かい眼差しが感じられる。
反戦的な言葉が、大上段に並んでいるのではないことが、読む者にじっくりと人間の存在感を味あわせる。

 戦争と人間といった関係のなかで、人間の命が小さく扱われた時代。
第一次世界大戦までは、人命はそれほど大切にされてはいなかった。
この小説が書かれた1929年頃から、人命が大切だという思想が浮かび上がってきたのだろう。
それまでは貴族や金持ちは人間だったかもしれないが、庶民は同じ人間として扱われていなかった。
この頃から、庶民も人間であるという、人間主義がやっと定着し始めたのだ。
わが国で平等意識が普及するのは、第二次大戦後である。

 鉄砲が登場してからは、白兵戦は少なくなっていたとはいえ、まだまだ肉体が戦いの主役だった。
この時代、戦争とは戦場に肉体をさらすことだった。
そこには肉体が感じる手応えがあった。
肉体と肉体が正面からぶつかり合う戦いがあった。
だから人間がリアルだった。

 しかし、今日の電子機器で武装された戦争では、戦場に肉体をさらすことはなくなった。
それでも人間は戦死する。いやそれだからこそ、人間は大量に死ぬようになったと言うべきだろう。
庶民までが戦争にかりだされるようになったから、戦争は国と国の全面的な対決になり、非戦闘員までも死ぬようになったのである。
ただし、この時代までは兵士は男性のみである。

 近代の成立は、庶民をも人間であると認めた。
同時に人間であれば戦って死ぬことも、引き受けなければならなくなった。
税金など払わなくても良かった庶民まで、担税者になり兵士になったのである。
時代の節目でもある第一次世界大戦を描いた本書は、具体的で手応えのある人間の命を永遠に考えさせるだろう。
本書は古い本ではあるが、私には今でも大切なものである。 

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本を見る−エドワード・サィード「オリエンタリズム」平凡社
本を見る−西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
本を見る−アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新:上・下」岩波文庫、1960
本を見る−石射猪太郎「外交官の一生」中公文庫、1986
本を見る−岡崎久彦「国家と情報:日本の外交戦略を求めて」文春文庫、1984
  ?  −鹿島守之助「日本外交政策の史的考察」鹿島研究所、1938
本を見る−ジェームス・A・ベーカー「シャトル外交、激動の4年:上・下」新潮文庫、1997
本を見る−石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
本を見る−クラウゼッヴィツ「戦争論:上・中・下」岩波文庫、1968
本を見る−栗本英世「未開の戦争、現代の戦争」岩波書店、1999
本を見る−スタッズ・ターケル「よい戦争」晶文社、1985
本を見る−多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
本を見る−ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
本を見る−「アラブが見た十字軍」筑摩書房、2001
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