明治と昭和にあいだに挟まれて、
大正デモクラシーなどややニュワンスの違う大正だが、大正天皇も両時代の天皇とは違う。
いままで大正天皇に関する記述は、とても少なかった。
明治の偉大な天皇、昭和の戦争責任者といった、話題の多い両者にたいして、
先天的に脳障害があり、彼は正常ではなかったとする風説が流れていた。
開院式で詔勅を読んだ天皇が、詔勅を丸めて遠眼鏡のようにして議員席を覗いた、といった噂が真実かどうかも分からない。
ましてや彼の個人的な情報は、ほとんど聞かされたことがない。
本書は、大正天皇の個人的な行動を探りながら、天皇制に関して考えるものである。
彼は、明治天皇が残したの直系の子供であったが、
側室の子供であったので、父親とは没交渉だったらしい。
明治天皇は多くの側室をもっていたが、
何人子供が生まれても成人まで至らずに全員が死んでしまった。
たくさん生まれた兄弟の中で、たった一人残ったのが、彼である。
しかし、彼は小さいときから体が弱く、帝王教育についていくのは困難をきわめたらしい。
それでも有栖川宮と知り合ったことから、
健康を回復し全国への旅行をさかんにした。
それがまた健康に良かったらしく、皇太子の時代には活発な生活を営んでいたようだ。
彼は20才の時に、15才の節子さんと結婚する。
そして、節子さんは16才で子供を生み、彼は早くも父親になる。
しかし、この15才で結婚というのには驚く。
江戸時代以前ならいざ知らず、近代に入ってもこんなに早く結婚したのだ。
今15才で結婚するといったら、どう感じるだろうか。
しかも、16才で子供を生んでいるのである。
不純異性交遊も良いところだろう。
もしくは、青少年への性的虐待と考えるかもしれない。
幸いなことに、彼の子供たちは順調に育つ。
父親の子供がひ弱で、彼の子供が元気だというのは、何か医学的に解明する必要があるように感じる。
堅苦しかった明治天皇を見ていたからか、彼はフランクで周りの人へ気軽に声をかけたという。
地方への旅行に際し、説明役の知事など偉いさんたちに、
予定外の質問を浴びせて当惑させたとか、一人で散歩したとか逸話が多く残っている。
本書が語る彼の姿は、体こそ弱かったがけっして精神病などではなく、
むしろ自由な精神をもった近代人だったというのである。
そして、彼の近代性が当時の時代とは同調せず、
次第に表の舞台から消されていったという。
こうした経緯は、今後も調査されなければならないだろうが、やはり天皇制というのは悪い政治制度である。
もし、彼が優れた優れた政治手腕を発揮し、長生きしたら時代はどうなっていただろうか。
少なくとも昭和天皇のような無様なことにはならなかっただろう。
天皇制の決定的な欠陥は、支配の権威が個人におかれていることである。
大正天皇は近代的であったかもしれないが、彼の個人的な資質がそうだと言うだけであって、時代との関連はまた別である。
支配の権威が個人によるときは、結局虎の威をかることになってしまう。
太平洋戦争へと動いていった構造は、無能な昭和天皇が戦争へと導いたこともあるが、
まわりが天皇個人の権威を使ったからだ。
天皇の名で行われる決断には、個人の判断に責任が求められず、
無限の無責任構造を生みだす。
これは丸山真男の言うとおりである。
本書でたびたび言及されているが、
大正天皇が地方へ旅行すると、多くの人に熱烈に歓迎されている。
もちろん、組織的な動員もかかっていただろうが、
自発的に天皇を歓迎していたことも確かなようだ。
国民が天皇を支持していた。
だから政治家たちは天皇を利用したのだ。
政治学的には当たり前のことだが、支配は支配者だけがするのではなく、非支配者も一緒になって支配に参加するのである。
戦争への道は、天皇や軍部だけが進んだのではない。
国民は被害者ではなく、国民こそ戦争責任者なのである。
そう考えるとき、はじめて支配の正当性が国民にあると言えるのだ。
国民が被害者だと考えるところからは、自立した人間は生まれようがない。 |