子供からの自立と飢饉
 おとなの女が学ぶということ
お奨度:☆☆

著者:伊藤雅子(いとうまさこ)−−未来社、1975年(入手不可)

著者の略歴−1926年生まれ、
著書=「女のせりふ120」未来社、1995  「女性問題学習の視点:国立市公民館の実践から」未来社、1993  「育児力:子どもの成長・おとなの成長」筑摩書房、1990  「ほしづき草:伊藤雅子歌集」短歌公論社、1988、他
 1975年という早い時代に書かれた本だが、今読み返しても決して古びてはいない。
むしろ、その後の出版されたフェミニズム関係の図書は、本書が語る範囲から出ていないのではないかとすら思う。
女性を個人として捉える筆者の視点が実にシャープである。
女性が母親として子供にしてやれることは、生むことだけだと言い切るあたりは感動した。
本書が私に与えた影響は非常に大きく、私の著作活動の根拠とさえなっている。

 筆者は国立市の公民館活動に携わってきた人物らしく、公民館における託児制度の問題から本書は始まっている。
1965年の5月から国立市(当時は町)は、託児制度をともなった「若いミセスのための教室」を始めている。結婚して出産、たちまちにして子供という足枷ができる。
もちろん子供は可愛いが、子供を生んでも女性は人間である。
人間としての自分の活動がしたいのは当然である。
しかし、自分の活動に子供はどうしても障害になる。そこで託児施設があれば、ということから始まったのだろう。

 託児対象の子供はゼロ才から3才まで、保育者はボランティアだったそうである。
保育者という言葉にも筆者のこだわりが見え、とても好感が持ている。
ふつうは保母さんというし、現場では保母さんといっているらしいが、筆者は保母とは母親の代わりという意味だという。
保育園も保育室も家庭の代用ではないのと同様に、託児は母親の代わりではなく、託児担当者を保母と呼ぶのはおかしいという。

 女性運動がウーマン・リブと呼ばれていた当時、筆者がなぜ本書のような視点を獲得したのか。
非常に興味がある。
わが国のフェミニズムが筆者のような論調を見せていたら、フェミニズムがこれほどの退潮にはならなかったと思う。
筆者は次のように言う。

 子どもにとってこそ腹は借りものなのに、母親の方が、貸したことをタテにしすぎて不幸をおこしています。これは、女がタテにせざるを得なかった、という方が正確なのでしょうが、それにしても、他者である個としての子ども自身にとって、という視点が欠落している事実は否めません。その点では母親由身も支配者と同罪であった、と私はいいたくなります。(中略) 女が生む性であることで差別されないためには、外界に向かうことと同時に、女由身が、生むことの上にアグラをかかないこと。差別されるから生まない、生むことを拒否するという構えだけではなく、国家にせよ、家にせよ、ヒトのためには生まないが自分自身が生みたいから生むのだ、育てなければならないから育てるのではなく、育てたいから育てるのだ、というような発想を一度女自身の中に築くこと。そこを原点にするのでなければ、いつまでも男を相手に、現象的な、その場しのぎのこぜり合いをくり返すばかりですし、社会的な変革の内実を保障することはできないだろうと思います。P128

 筆者が言うとおりだと思う。
ここには女性は弱者であるという発想はなく、男性とともに社会を背負う意気込みがある。
そして、男女が同質の人間であるという認識がある。
女性の自立が子供の自立を促すことは、1990年代以降のアメリカ映画で描かれている。
女性が個であると主張することは、男性はもちろん子供も個であるのだ。

 核家族のなかで女性が孤立させられたという反省が、子供との関係を見直す契機になっているとはとても思えない。
農耕社会から工業社会への転換で人間は孤立化を促され、情報社会でより一層の孤立を強請される。
女性たちは結婚・出産を選んだことを自覚しないから、子供の自立が見えないのだ。
私は「性差を越えて」で、女性の解放は女性にとって甘露なものではなく、厳しいものになると書き、今後の課題は子供だろうと書いたが、それは本書からの示唆も大きかった。

 歌人でもある筆者は、他にも何冊か上梓している。
入手不可になっているものもあって残念である。
参考
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
「本を読む」へ戻る