著者の略歴−1925年(大正14年)東京に生る.1949年、東京慈恵会医科大学卒業。1950年より日赤本部産院に入局現在に至る.その間、菅井正朝、長橋千代両博士と共に清神予防性無痛分娩法を日本に紹介、普及に努む。医学博士、日赤本部産院医局長。同附属助産婦学校講師。主な著者:「絵でみる痛くないお産」「お産」その他研究発表多数. 1960年(昭和35年)に本書は、出版されている。 本書は売れに売れ、版元の池田書店は自社ビルが建った。 というくらいのベストセラーだったのである。 今から省みると、本書があれだけ売れた理由は、実に明快である。 本書の大ヒットが意味するのは、この時にそれまでの言い伝え文化が滅びたということである。 文字が文化を支えるのではなく、人間と人間の直接的な接触が、人間の行動の仕方を伝えてきた。 それが前近代という農耕社会である。
太平洋戦争の終結時点で、わが国の農業従事者は人口の50%であった。 明治以来続いてきた人口の増加は、都市居住者を増やしてはいたが、 農村人口の絶対数を減らすには至っていなかった。 1960年頃から農村人口が絶対数としても減り始め、それ以降は都市の核家族が主流になっていく。 この頃、都市で核家族を営み始めた夫婦は、昭和になって生まれた人たちであった。 すでに若者宿がすたれ、戦争への足音が聞こえるなか、性愛に関する教育を受ける場所が、彼(女)等にはなかったのである。 戦後になると、戦前まで続いた農耕社会的な人間関係が切れて、性愛の技巧を教えていた場所が完全になくなってしまった。 例えば、若者宿とか夜這いとか、こうしたことは非民主的であるとして、否定されていった。 農村共同体の崩壊は、性愛を個人的な世界へと押し込め、関係性の確認という視点を誕生させなかった。 そして、一夫一婦制が強化されていったことや、売春防止法が施行されたことも手伝って、 性交は知っていても性愛技術を知らない人を生んでしまった。 食欲を満たすのは個人的なものだから、いわば表の世界として語られた。 しかし、性愛はそうではない。 性愛は日向で語られるものではなく、個別的に身体をもって直接的に伝えられるものである。 戦後の社会には、農耕社会のように豊かな性愛を語る場所がなかったし、 人は性愛の語り方を知らなかった。 この時代の性交は、子供を作るためだけのものになっていた。 妊娠のための性交ではなく、快楽のための性交が望まれ始めた。 そこで、性愛の方法を、活字が補助することになった。 性愛に関する本書は、きわめて科学的なかたちをとって登場した。 工業社会は科学的な思考が支えるものだから、性愛も科学として語られるのはきわめて自然である。 筆者が医者だったこと、模型を使ったこと、アルファベットで組み合わせを書いたこと、など本書は画期的な内容だった。 それ以降に多くの類書がだされるが、今読んでも本書の先進性は少しも古びていない。 1960年は、まだわが国の高度成長が始まる前で、 工業社会の倫理が完全には確立していなかった。 封建社会は親の敵といわれたが、実は女性の地位低下は工業社会の方が激しい。 女性が家庭で担当してきた仕事を、工業社会はすべて取り上げてしまったのである。 家電製品の普及がそれである。 女性は生産労働から外され、子供を生む動物的な位置へと下げられ、社会的には男性より下位の存在へと下げられてしまった。 しかし同時に1960年には、まだ女性は男性の下位にはなっていない。 驚くかもしれないが、本書のどこを捜しても、正常位という言葉が見つからない。 本書では、まず対向位として分類したうえで、女性仰臥位と男性仰臥位に分けている。 その後に出版される類書が、正常位をという言葉を使っているのだ。 男性が上になるのを正常と見なすのは、工業社会が男性に支えられていたことの反映である。 本書の出版時にはまだそこまで社会が到達していなかったのだろう。 本書は、性愛が男女の協力行為であることをしっかりと認識している。 性交運動の主動権は、態位のいかんによつて男性または女性のいずれかにゆだねられるが、常に男性が主動権を握る態位のみがノーマルなものと考えてしまうのは誤りである。男性が主動権をもつ場合にも、女性が協力運動をいとなめるものがあり、しばしば男性はそうあつて欲しいと望んでいるものであることを女性は忘れてはならない。P66 まるでフェミニズム関係の本を読んでいるようだ。 残念ながら、フェミニストは誰も本書に言及していない。 医学的な体裁をとり啓蒙的なきらいはあるが、今から40年前に本書が出版されたことを考えると、本書が果たした役割は大きかったと思う。 東京女子医大の学長や、厚生省の課長が推薦しているのも興味深い。 時代との関係でいえば、正常位という言葉が使われていなかったことを発見したのは、私にとっても有益であった。 やはり男性支配の確立は、工業社会の核家族化である。 女性の専業主婦化が女性の劣位を決定的なものにしたのである。 女性が専業主婦のままベッドで主導権を握ることは、男性を勃起不全に追いこむことになりはしないか。 それは結果として、女性に悲劇をもたらすように思うのだが。 本書は、人から人への言い伝えが文化を支えた時代から、 活字という非人間的なものが文化の伝達者になる、ちょうど初めの時代に出版された。 つまり、本書の出版が明らかにしているのは、この時代で農耕社会の文化が、 完全に途絶えたということなのである。 そうした意味でも、本書の時代に対する位置は大きなものがあった。 参考: 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島新書2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1985 榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973年 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 ジョン・マネー、パトリシア・タッカー「性の署名 問い直される男と女の意味」人文書院、1979 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない 選択の時代の新シングル感覚」中公文庫、2000 瀬川清子「村の女たち」未来社、1970 田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000 モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992 井上清「 日本女性史」三一書房、1948 クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 ボンテンディック「女性 自然、現象、実存」みすず書房、1977 シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 カミール・パーリア「性のペルソナ:上・下」河出書房新社、1998 エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国 T・U 古代ギリシャの性の政治学」岩波書店、1989 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001 S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001 井上章一「美人論」朝日文庫、1995 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994 斉藤綾子「愛より速く」思想の科学社、1990 北原みのり「男はときどきいればいい」祥伝社、1999 天城英生「禁じられた性技」 河出書房、2001 ウィルヘルム・ライヒ「オルガズムの機能 上・下」太平出版社、1970 シモーヌ・ドゥ・ボーヴォワール「第二の性 T・U」人文書院、1966 澁澤龍彦「快楽主義の哲学」 文春文庫、1996 ミシェル・フーコー「性の歴史 T〜V」新潮社、1986 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002 まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972 デュビー、ボッテロ、コルバン「愛と結婚とセクシャリティの歴史」新曜社、1993 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 福田和彦「閨の睦言 よがり声の研究」現代書林、1983 田中優子「張形 江戸をんなの性」河出書房新社、1999 プッシイー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002
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