プラトニック・アニマル
SEXの新しい快感基準
お奨め度:

著者:佐々木忠 (ささきただし)−幻冬社、 ¥560−

著者の略歴−1938年福岡生まれ。「ザ・オナニー」「性感極秘テクニック」「いんらんパフォーマンス」「目かくしFUCK」「チャネリングFUCK」など、虚偽を排して男女の性を極限まで見つめた先鋭的な作品により、つねにSEXの新しい可能性を切り拓いてきた。"AV界の巨匠"として絶大なる支持と評価を得ている所以である。
 ビデオの中で、どんな女性にもオーガズムを体験させてしまうその腕前は、
まさに"神業"と呼ぶにふさわしい。
心の奥底までを写し取るドキュメンタリーの手法で、
性とは、愛とは、人間とは何かを探求しつづける求道者である。
と本書は、筆者の経歴を紹介している。
本書は、セックスのうちから快感だけを、とりだしてみようという試みである。

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プラトニック・アニマル
 セックスとは子孫を得るためにしたのだろうか。
そうではあるまい。
セックスには快感が伴ったので、あたかも快感を求めてセックスをしたように思いがちである。
それも違って、快感を求めてセックスをしたのでもない。
子孫の誕生や快感は、セックスの結果である。
本来セックスは、男女間のコミュニケーションだったはずである。

 本書では、本当のオーガズムとは何かを考え、どのようにしたらそれが 体験できるのかを追求したい。しかし、その方法論は従来のSEXのマニュ アルとは根本的に異なる。そこには高度なオーラルSEXも必要なければ、数多くの体位も無用である。だれにでも可能な方法でいくつかのアプロー チを試みてみたい。恥ずかしながらそれは、私がピンク映画の世界に足を 突っ込んで以来、4半世紀で獲得した性に関する理論と方法のすべてで ある。(P34)

という筆者は、若いときには九州地方を中心にして、ストリップのどさ廻りをしていた。
ストリップから彼が次に足を踏み入れた世界が、ピンク映画だったのである。
ピンク映画からAVになり、この世界はますます過激になっている。
いまでは監督自らがモデルの女性とセックスをして、
それを監督の頭につけたヴィデオ・カメラで撮影するといった作品すらでている。

 筆者が活躍したのは、その過渡期にあたった。
ピンク映画は、女優さんがセックスの演技をしたのだが、
いまではカメラの前で演技ではないセックスが、演じられるようになった。
ほんとうにセックスしているところを、カメラにとっている時代である。
ピンクといわれても、演技をしているから映画であるが、AVは映画ではない。一種の記録である。

 オーガズムとは、制度の世界で自己を維持している自我からの解放であるという。

エゴの崩壊、エゴの死こそ、オーガズムだと筆者はいう。
だから、次のような発言になる。

 SEXが楽しめなければ、オーガズムを体験できるわけがない。見栄やプライドが捨てられなければ、オーガズムを体験できるわけがない。自分の弱みを握られまいとしながら、オーガズムを体験できるわけがない。人によく思われたいと思っていて、オーガズムを体験できるわけがない。SEXに一抹のやましさを覚えていて、オーガズムを体験できるわけがない。P54

 男性にとって射精も快感には違いないが、男性のオーガズムは射精ではないと筆者はいう。
ほんとうのオーガズムを体験すると、男性も失神するらしい。
男性は女性以上に、かくあらねばならないと思っており、
制度からの強い締め付けが内面化されている。
そのために、女性よりも男性のほうが、セックスでイケないのだと筆者は言う。

 確かに自我への締め付けは、男性のほうがはるかに強い。
なにせ男性は女性の支配者なのだから、立派に立っていなければならない。
男性は弱みを見せることはできない。
強い生き物こそ男性だと、社会から教育されている。
自我を解放するのは、男性のほうが困難であることは判る。

 しかし、セックスにおける快感とは、ほんとうのところが何だか判らない。
オーガズムは体験であり、感じるものである。
だから、論理で理解することはできない。
そうである以上、筆者の論もまた仮説の域をでないのではないだろうか。

 しかも、男性がオーガズムを入手する方法として、次のように言う。

 男女関係のコツは自分が主導権を握らないことだ。負けるが勝ちなのである。夫は妻に、彼は彼女に、主導権を握らせてみる。男はその中で漂えばいい。女が決めた仕切の中で、言われることをハイハイと聞いていればいい。最初はオレの考えと違うなと思っても、かまわず女の意見をどんどん肯定していくと、ある時点から自分のやりたいことが要求しなくても叶うようになってくる。P177

 セックスが2人でするものである以上、思いやりが必要かというと、筆者はそれを否定する。
究極のセックスとは、相手に何かしてあげようとするのではなく、
自分がその瞬間を楽しむしかない。
自分が楽しみ、それによって気持ちよくなるのだ、という。
何だか判ったような判らないような話である。

 巷間にはセックスにかんする本があふれている。
誰もがセックスを求め、快感を得たいと思っている。
こうすれば、女性にもているといった本だけではなく、
女性に感じさせることができるとか、セックスそのものの本も多い。
多くは男性から女性への働きかけを説くものだが、なかには女性から男性へのものもある。

 セックスと愛情は関係ない。
愛情のない充実したセックスもあるし、愛に満ちた貧弱なセックスもある。
それはどうやら理解され、共有され始めた。
それでは、人はセックスを求めているのだろうか、それとも愛を求めているのだろうか。
そのあたりがよく判らない。
参考:
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1950
ドロシー・ディナースタイン「性幻想と不安」河出書房新社、1984
松沢呉一「エロ街道をゆく 横丁の性科学」同文書院、1994
山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999

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