兵士に聞け 自衛隊レポート お奨度:

著者:杉山隆男(すぎやま たかお)−新潮文庫、1998年  ¥819−

著者の略歴−1952年11月25日東京に生まれる。1976年一橋大学社会学都卒業。読売新聞記者を経て作家活動に専念1986年「メディアの興亡」(文藝春秋)で第17回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に東欧の激動を描いた「きのうの祖国」「東ドイツ解体工場」(講談社)「兵士を見よ」新潮社
 自衛隊という特異な軍隊が、わが国に存在してもう随分の時間がたった。
25万人の兵士をかかえ、核装備以外のすべての武器を所有している。
自衛隊に関しては、さまざまなことが言われているが、戦闘集団である部分はなかなか伝わってこない。

 北冨士では大規模な演習をしていたり、
外国との関係では明らかに軍隊でありながら、
国内的には軍隊でないような不思議な存在である。
本書は、自衛隊の隊員に直接取材したもので、週刊ポストに連載されたルポルタージュである。
筆者の優れた筆力もあって、これが実におもしろい。

 戦闘集団であるからには、きわめて男性的でありながら、施設のそこかしこに鏡を設置している、と本書は始まる。
見られることを気にした集団なのだそうだ。国旗には直立不動になるのは、どこの軍隊でも変わらない。
しかし、この軍隊には、おかしな特徴がある。
レンジャー訓練の最中のことである。
敵に襲撃されて、応戦しているという設定のなか、
レンジャー隊員は小銃をかまえて、「ダッダッダッダッダッダッ」と銃を撃つまねをするのだそうだ。
過酷な訓練のなか、安全に配慮してのことだそうだ。

 自衛隊がことさら安全管理に気をつかうのは、一つには訓練による人身事故がマスコミにとりあげられるたびに自衛隊の危険なイメージを増幅してきたという苦い思いがあるからなのだろう。だが真夜中に険しい山中を明かりもつけずに歩いているレンジヤー訓練はもうそれだけで十分に危険な訓練である。なのに武器を持って戦う場面になったとたん、実弾を使うわけでもないのに、訓練は隊員が張りあいをなくすほど安全の名の下に手かせ足かせになってしまう。戦うことが目的であるはずのレンジヤーが、戦うための訓練をまともにできない。それは、軍隊になりきれない自衛隊の、どっちつかずの姿をいかにも象徴しているかのようであった。P101

と、自衛隊のおかしな面をも描き出す。
しかし、現実には隊員たちは平穏な日常業務だけではなく、
災害救助に出動したり、危険な状況で活躍している。
人命がかかっているというのは、何と言っても現場である。
現場こそ隊員たちの活躍の場であるが、最近では兵器がハイテク化してきた。
そのため、現場とは懸隔した状態がおこることになる。

 窓ひとつない空調の効いた薄暗い密室の中でコンソールのボタンや操作桿を動かすことによってミサイルは確実に発射されていく。その間、目に見えたり形としてあらわれたりするのはせいぜいレーダーディスプレイに映しだされる輝点か発射台のモニター画面が映す煙くらいなものである。目標が撃ち落されても炎が見えるわけでもなければ、爆発音が聞こえるわけでもない。まして木っ端微塵になって空中を舞う人間の肉片や血しぶきは想像力を働かせない限り浮かんでこない。CICの中では、戦闘という言葉にほんらいついてまわる血腥さはきれいに洗浄され、すべてが、パソコンのウォーゲームをプレイしているかのように現実感が薄らいでいく中で進行する。ここにいる限り手を汚さずに戦争ができるのだ。P170

 今日の戦争の実態である。
しかし、野戦にでて戦車に乗ったり、戦艦や護衛艦にのれば、いやでも肉体がぶつかる。
そこでは昔も今も変わらない現実が繰り広げられている。
肉体の介在するところには、どこでも剥きだしの感情がある。
士官と兵士たちの違い、防衛大学出身者など、自衛隊も軍隊には違いない。
しかし、自衛隊は闘うことを禁じられた軍隊なのである。
闘うことを禁じられた軍隊という矛盾が、自衛隊の隅々まで染みついている。

 カンボジアでのPKO活動にも出動した。
自衛隊は規律を守り、決められた仕事もきちんとこなした。
対外的な配慮から、隊員の行動は厳しく制限されたそうだ。
その時に、現地での気休めに、隊員のあいだではオイチョカブが流行った。
1回1〜3ドル程度のたわいもないものだったが、
カードで負けがこむより恐いのは、勝ちが過ぎることだという。
閉ざされた集団のなかで、殺気だった視線が送られて、生きた心地がなかった、とある兵士は言う。

 PKOの任務を終えて帰国する前に、指揮官が部下を前に次のように告げたそうである。
帰国したら多くを語るな、カンボジアのことは聞かれるまで口にするな、と。
帰国した隊員たちの歓迎会が開かれたときには、
カンボジアへ行った隊員の帰国歓迎会ではなく、行かなかった隊員の慰労会だったという。
行かなかった隊員たちは、行ってしまった隊員の抜けた分、日常業務は過酷になったとか。
それでいながら、行った隊員は注目されたうえにボーナスがでた。
しかし、行かなかった隊員は、昇級でも出世でも遅れをとったという噂である。

 政治がその国の反映であると同様に、組織はその母胎の反映である。
自衛隊も日本国民の反映である。さまざまに考えさせられた。
続編の「兵士を見よ」では、航空自衛隊も扱われている。
参考:
朝河貫一「日本の禍機」講談社学術文庫、1987
石井寛治「日本の産業革命:日清・日露戦争から考える」朝日新聞社、1997
井上清「天皇の戦争責任」岩波書店、1991
井門満明「戦争論入門 クラウゼヴィッツ」原書房、1982
栗本英世「未開の戦争、現代の戦争」岩波書店、1999
斉藤孝「 スペイン戦争 ファシズムと人民戦線」中公文庫、1989
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
トム・エンゲルハート/エドワード・T・リネンソール「戦争と正義 エノラ・ゲイ展論争から」朝日選書、1998
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
ピーター・パレット「戦争論の誕生 クラウゼヴィッツ」中央公論社、1988
クラウゼッヴィツ「戦争論:上・中・下」岩波文庫、1968
塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」中公文庫、1983
シグマンド・ノイマン「大衆国家と独裁 恒久の革命」みすず書房、1960
田中克彦「言葉の思想:国家と民族のことば」日本放送協会、1975
サラ・ブッラファー・フルディ「女性の進化論」思索社、1989
橋本治「女性たちよ」河出文庫、1995
中島親孝「連合艦隊作戦室から見た太平洋戦争:参謀が描く連合艦隊興亡記」光文社文庫、1997
西谷修「戦争論」講談社学術文庫、1998
ポール・ヴィリリオ「戦争と映画 知覚の兵站術」平凡社、1999
マイケル・ハワード「ヨーロッパ史と戦争」学陽書房、1981
若槻泰雄「日本の戦争責任 上・下 最後の戦争世代から」小学館、2000
渡辺洋二「重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話」文春文庫、1999
上山正太郎「第二次世界大戦:忘れ得ぬ戦争」現代教養文庫、1986
奥村正二「戦場パプアニューギニア 太平洋戦争の側面」中公文庫、1993
信夫清三郎、中山治一「日露戦争史の研究」河出書房新社、1959
スタッズ・ターケル「よい戦争」晶文社、1985
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
−ティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」文春文庫、1998
戸井昌造「戦争案内 ぼくは20歳だった」平凡社、1999
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
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