著者の略歴− 1947年香川県生まれ。1976年京都大学大学院博士課程(心理学)修了。現在 花園大学教員(発達心理学)。著書:ピアジェ『知能の蓮生』(共訳)ミネルヴァ書房,1978 ワロソ『身体・自我・社会』(編訳)ミネルヴァ書房,1983 『子どもの生活世界のはじまり』(共著)ミネルヴァ書房,1984 『私というもののなりたち』ミネルヴァ書房,1992 『証言台の子どもたち』日本評論社,1986 『狭山事件虚偽自白』日本評論社,1988 『ほんとうは僕、殺したんじゃねえもの』筑摩書房,1991 国家の意志がある限り、決して冤罪はなくならないし、自白の強要は続けられる。 本書は700ページを超える高価な本だが、本サイトでどうしても取り上げたかった。 被疑者の側にたちながら、取り調べる者と取り調べられる者との心的構図を扱って、本書は秀逸である。 再読しても目頭が熱くなる。
いつでもどこでも事実を述べる、それは大変に困難なことだが、事実なら述べもしよう。 しかし、自分に不利だと判っていて、事実ではないことを言ってしまうのは、なぜか。 観念が作る世界を、真実と知らされるとき、恐怖の戦慄が走る。 個室に一人で閉じこめられ、取り調べがすすむ。 取り調べ圧力は、じつに強大である。 その圧力にさらされたとき、人間はもろく弱い。 本書は、次の2点をめぐって展開される。 1. なにゆえ無実の人に嘘の自白を強要するのか。 2. なにゆえ無実の人が嘘の自白をしてしまうか。 それにたいして、拷問説、精神力脆弱説、拘禁心理説が、説明してくれる。 しかし、いずれも完璧ではない。 他方、自白を含めて供述というものはみな、真犯人の自白であっても、あるいは真の目撃者の供述であっても、その供述者の単なる独白的な表現活動ではない。供述の場面にはかならず取調官と供述者の二者がいて、供述はつねに取調官の尋問にしたがって展開していく。それゆえ、供述者の主体的な契機が含まれない供述がありえないのと同様、取調官の側のファクターが関与しない供述などというものはありえない。P80 市井の人にとっては、逮捕されることなど想像もつかないだろう。 自白など無縁の生活だから、取り調べ圧力がどんなものか、想像もつかないに違いない。 しかし、昨日まで普通に生活していた人が、突然に逮捕・拘留され、被疑者になる。 ましてや以前に補導歴でもあれば、被疑者をこえて決定的な容疑者である。 誠実に答え、懸命に釈明するほど、罠に落ちていく。 それはまるで蟻地獄のようだ、と筆者はいう。 取り調べというのは、権力構造のなかでおこなわれる。 平常であれば、権力など意識しないであろう。 しかし、権力の意志と個人の意志が対立したとき、権力はその姿をあらわす。 権力は圧倒的な残酷さで、個人を葬り去ろうとする。 刑事事件に限らない。洗脳といった言葉が当てはまる自供もある。 洗脳的拷問によって被疑者を象徴的な死に追いやり、虚偽自白を搾り取って、これを演じさせていく心的過程は「悪意のデッチ上げ」に集約されるほど単純なものではない。国家反逆のスパイの容疑で逮描された人物が、1年と10月ののち裁判の場にあらわれて、自らの罪を認め、その具体的罪状をよどみなく述べる。逮捕されてから裁判に出廷するまでのこの長い期間にいったい何が起ったのか。もしロンドンらが生き残ることなく、この間のことを手記に書き残さなければ、この過程は永久にブラックボックスのまま、忘れ去られたかもしれない。しかし幸いにして、私たちはいまこのブラックボックスのなかの構図をおおよそ垣間見ることができる。P203 今日では、身体への拷問的「魔女狩り」や、 精神的な拷問を加えて自白を演じさせる「洗脳」は、少なくなったという。 にもかかわらず、虚偽自白が頻々と出現している。 科学捜査が基本である今日でも、 捜査をする者たちには、<無罪推定>ではなく、 被疑者を有罪だと決めてかかる<有罪推定>意識が強い。 しかもわが国では、弁護士なしの取り調べが普通だし、警察署での拘留は異常に長期である。 被疑者の拘留期限は、フランス・ドイツ・イギリス・アメリカなど、おしなべて2日である。 に対して、わが国は23日間である。 そのうえ、接見禁止となることが多い。 別件での逮捕や23日後の再逮捕など、警察署が監獄の役割をはたしている。 いちど重要事件の被疑者と推定されると、その扱いはほぼ絶望的な状況に追い込まれる。 本書は第4部で、自白への転回過程−「私がやりました」というまで、という章をもうけて、虚偽自白の検討を入念にしている。 それは本書の後半の大部分を占める。 無実の者が自白へと落ちていくのは、日常生活から遮断され、 孤立無援にされるからであり、信じてくれる者は誰もいないからである。 圧倒的な孤立無援さが、無実の者に「やった」と言わしめる。 それをうち破るのは、信じている者がいるという感情だという。 土田・日石事件で自白を強制され、一度は虚偽自白をしてしまったE氏が、自白撤回できたのは父からの手紙だったという。 心を打たれたので、すこし長いが引用する。 Eへ 公判目前に父親としてどうしても言っておきたいことがある。 1.今度の事件に、お前が本当に加わっているのか。また事件全体が「Mグループ」の犯行なのか。家族一同と、S自動車(Eの勤め先)の社長一家は強い疑いを持っている。警察の取り調べは苛酷を極めたであろうから、心ならずも誘導された通りに自白したのではないか(例 弁当箱の件、母は絶対にそのような事実はないと言っている)。 1.もしその通り「ウソの自白をしていて、今になって自白を覆がえすと、大変なことになる」と思っているのではないか、「刑も軽いらしいから、この際はあきらめて検事や刑事の言う通りにして、早く刑を済ませてこよう」などと思っていたら大間違いである。刑は決して軽くないし、今後もMやHの公判に証人として出廷してウソを言いつづければ、友人のためにお前は裏切りを続けることになる。 1.Mは公判、第1日目に犯罪事実を否認した。警察は、このことから、続いてお前も否認するのではないかと大変気にしている。 1.お前は、勇気を出して、本当のことを述べよ。警察が何とお前に言おうと、またその後で、どんなに石崎さんたちに扱われようと一切、気にしてはいけない。 1.父母もおばあちゃんも、またFさん(S自動車の社長)も、お前が事実を言ったとして、そのためにいくら費用がかかろうと、年月がかかろうと、徹底的にお前を守り続ける決意をした。(昨夜の相談で) 1.一時の安易な気持を捨てて、真実に立ち向う勇気を持て。過去に父としてこのような強い言葉を言ったことはなかったが、今度だけは一生一度のことだから強く、強く言う。 1.決して、「犯罪をやったのに、やらないと言え」と言っているのではない。そんなことを一時逃れに言ったら後が大変なことになろう。しかし、やっていないのなら、絶対にそのことを法廷で述べなければならぬ。 1.以上は昨夜、F社長と相談してきめたことであり、従って社長の意思でもある。 1.詳しくは中村先生から聞くように。最後にくりかえして言う。「今後どんな辛いことが予想されようと、真実を言う勇気を持て」と。 7月3日 父 金 吾 追記 Hは決して自白していないし、Y子は完全黙秘を続けている。P666 この手紙は、涙なしには読めない。 なんど読んでも、涙がでてくる。 息子が被疑者となったときは、親も周囲から犯罪者の親とみられ、親たちも辛かったろう。 にもかかわらず、この親たちは息子を信じ続けた。 息子はやっていない、と信じたのではない。 ただ息子を信じたのだ。 この信頼に感激する。 強大な権力の前に、風穴をあけうるのは、個人への絶対的な信頼しかないのだろう。 (2002.11.29) 参考: 佐木隆三「死刑囚:永山則夫」講談社文庫、1997 D・P・マニックス「拷問の世界史 人間はどこまで残虐になれるか」講談社、1999 ルイ・シュヴァリェ「歓楽と犯罪のモンマルトル」文芸春秋社、1986 青柳文雄「日本人の犯罪意識」中公文庫、1986 鮎川潤「犯罪学入門:殺人・賄賂・非行」講談社現代新書、1997 鮎川潤「少年犯罪 ほんとうに多発化・凶悪化しているのか」平凡社新書、2001 船戸与一「国家と犯罪」小学館文庫、2000 大塚公子「死刑執行人の苦悩」角川文庫、1993 菊田幸一「検証・プリズナーの世界 ニッポンの監獄を受刑者が語る」明石書店、1997 玉井策郎「死と壁:死刑はかくして執行される」弥生書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 宝島編集部「刑務所のなか パクられた私たちのムショ体験」宝島社文庫、1999 藤木美奈子「女子刑務所 女性看守が見た「泣き笑い」の全生活」講談社文庫、2001 見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、1996 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 芹沢常行「完全犯罪と闘う ある検死官の記録」中公文庫、1985 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001
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