著者の略歴−1959(昭和34)年東京生れ。中央大法学部中途除籍。中学で非行に走り暴走族、登校拒否。高校在学中、新左翼セクト活動家となる。’79年東京サミットでの決起が実現せず失望し、新右翼民族派へ。リーダーとしてゲリラなどを指導する。’82年英国大使館火炎瓶ゲリラ、スパイ粛清事件で逮捕され、懲役12年の刑を受けた。 ‘94(平成6)年獄中で書いた小説「天皇ごっこ」で新日本文学賞を受賞。同年に出所後、「囚人狂時代」「調律の帝国」などの作品を発表、大きな話題を呼んでいる。 本名:高橋哲央(たかはし・てつお)2005年9月7日、横浜市戸塚区俣野町の自宅マンションから飛び降り、死亡した。出所後は右翼民族派の代表を務めたこともあったが、「政治休養宣言」中だった。 かつて左翼つまりブント系のセクトに属した筆者は、一転して新右翼一水会の活動家になる。 新左翼の過激派と、新右翼は心性が似ているらしく、 本書のなかにも両者のシンパたちが行き来する状況が、しばしば登場する。 両者は上意下達の組織なのだろう。 しかし、私にはこの心性はどうも理解できない。
本書は、指名手配から逃れることができずに、交番に出頭するところから始まる。 その後の裁判経過などは省略し、もっぱら留置場・拘置所・刑務所での生活を描いたものである。 筆者は、12年の懲役刑をうけたので、長期受刑者が収監される千葉刑務所にはいる。 最初の3年間は模範囚だったが、 あとの8年間は反抗したので、厳正独居つまり昼夜を通して独房に入れられていたという。 厳正独居は人権をゆがめるので、世界的に禁止される傾向にあるが、 わが国は本当の意味での教育刑ではなく懲罰刑であるから、 厳正独居という人権無視が横行している。 刑務所の状況は、いまだに明治の監獄法が適用されており、人権という概念はなきに等しいだろう。 千葉刑務所は関東で大きな事件を起こした者すべてが集まる「伝説」の長期刑務所である。殺人や放火、誘拐、銀行強盗など、社会面を賑わせた凶悪犯ばかりが入っている。ここにいる囚人の3〜4割は無期懲役囚なのだが、無期は模範囚で務めても、最短在監年数20年である。 ……20年。単純に「長い」と言うだけで、とてもこの年月の過酷さは表現できない。失意のうちに獄死したり、発狂してしまった知り合いを何人見たことか。俺は23歳で入って35五歳で出たわけだが、やり直しのできる齢と体で長期刑務所を出るのは本当に稀なことなのだ。P12 わが国の刑罰の体系は、近代的な一応の体裁ができている。 しかし、刑に服させること自体を、社会的な抹殺だとみなす常識が、受刑者を特別視させている。 官憲が正しく、私人には権威がないという構造、これはそう簡単に改まりそうもない。 政治が国民意識の反映なら、刑罰もまた国民意識に支えられているのだ。 新入りの筆者に、浅間山荘に立てこもった連合赤軍の吉野雅邦さんが、仕事を教えてくれたという。 ずいぶん親切な人(=吉野雅邦さんのこと)だな、と思った。刑務所では普通、新入は周りの様子を真似ながら物事 を覚えていくもので、慣れるまでは古参の囚人に対しても軽々しい口はきけない。そういう 場所だから、進んで後輩の面倒を見る者も滅多にいないのである。P106 刑務所のなかだけではない。 わが国には教育という概念が生まれなかった。 教育とは学校内で行われるもので、社会では先達は後輩を教えない。 学校が何か別世界と感じられる。 見て覚えろ、技術は盗むものだ、職人の教育もまったく同じである。 現にある秩序に従わないものは、いかなる理由であれ反抗者と見なされる。 当然の権利が権利として認められていないのも、社会にあるのと同様である。 警務所内の反抗囚とは、刑務所の幹部に面会を求めて願書を出したり、 訴訟を起こしたり、人権委員会や法務省などに文句を言ったりする者である。 無実を訴えて、再審を要求し続ければ、彼は反抗囚扱いとなる。 模範囚であれば刑が満期になる前に、仮出所が認められることがあるので、 多くの人は反抗的な態度をとらない。 官憲にへつらっても、なるべく短い期間で出所しようとする。 これも当然だが、こうした制度自体が、人権をゆがめてもいる。 官はいつも、まず怒鳴ることで威嚇する。それでも反抗する者には注意処分や減点、それでもダメなら懲罰。その上は保護房、自殺房、その果てには八王子医療刑務所の精神舎がある。ここは一昔前はロボトミー、今でも向精神薬や電気ショックが多用されている完全な<カッコーの巣の上>だ。五体満足では帰れない。だからどんな強者も、八王子の名を出されたら、恐怖のあまり泣いて平伏してしまう。刑務所を支配するのは理屈でも規律でもない、恐怖なのだ。その恐怖を背景として、官と囚人の間には、軍隊式の厳然たる上下関係が成り立っている。P163 一昔前の父親の態度とそっくりである。 父親は子供を怒鳴り、殴ることを躾と称した。 案の定、警備隊が数人飛んできた。警棒で殴ったり蹴ったりする音が聞こえてくる。それでもおとなしくならなかったらしい。後ろ手錠に猿ぐつわの拘束衣を着せ、ウーウーと坤いているのを、警備隊がどこかへ運んでいった。と、鳥を潰すような低い悲鳴が聞こえ、しばらくして、そいつがトロンとした目をして引きずられて帰ってきた。 ……電気ショック、だ。 小説や映画では見たことがあったが、現実に見るのは初めてだ。怖い。これは怖い。P192 筆者の本を出版しようと言われたとき、筆者の反応は出版社の社長が長期刑のOBではないか、と疑った。 それには次のような事情がある。 長期刑のOBは、まず3分の2以上が社会復帰できず、残りの3分の1も、重い後遺症を引きずって社会の片隅で不安定な仕事をして生きる。社会復帰できない3分の2は体を壊して福祉施設入りか、精神の変調で精神病院を転々とする。または、2〜3万円の金にも困る生活をしながら、かつてのOB仲間のところを回って、「一緒に大仕事をしよう!」「50万投資してくれ。2千万にしてみせる」と寸借詐欺師にまで落ちてしまう。P266 長期刑務所の日常を、ユーモラスかつ真摯に描いた体験記である。 (2002.11.29) 参考: 佐木隆三「死刑囚:永山則夫」講談社文庫、1997 D・P・マニックス「拷問の世界史 人間はどこまで残虐になれるか」講談社、1999 ルイ・シュヴァリェ「歓楽と犯罪のモンマルトル」文芸春秋社、1986 青柳文雄「日本人の犯罪意識」中公文庫、1986 鮎川潤「犯罪学入門:殺人・賄賂・非行」講談社現代新書、1997 鮎川潤「少年犯罪 ほんとうに多発化・凶悪化しているのか」平凡社新書、2001 船戸与一「国家と犯罪」小学館文庫、2000 大塚公子「死刑執行人の苦悩」角川文庫、1993 菊田幸一「検証・プリズナーの世界 ニッポンの監獄を受刑者が語る」明石書店、1997 玉井策郎「死と壁:死刑はかくして執行される」弥生書房、1992 浜田寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 宝島編集部「刑務所のなか パクられた私たちのムショ体験」宝島社文庫、1999 藤木美奈子「女子刑務所 女性看守が見た「泣き笑い」の全生活」講談社文庫、2001 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 芹沢常行「完全犯罪と闘う ある検死官の記録」中公文庫、1985 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001
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