著者の略歴−戸部良一(とべ りょういち)昭和23年生まれ。京都大学大学院博士課程修了、現在、防衛大学校助教授。 寺本義也(てらもと よしや)昭和17年生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了現在、明治学院大学教授。 鎌田伸一(かまた しんいち)昭和22年生まれ。上智大学大学院博士課程修了現在、防衛大学校助教授。 杉之尾孝生(すぎのお よしお)昭和11年生まれ。防衛大学校卒業。現在、防衛大学校助教授。 村井友秀(むらい ともひで)昭和25年生まれ。東京大学大学院博士課程修了 現在、防衛大学校講師。 野中郁次郎(のなか いくじろう)昭和11年生まれ.カリフォルニア大学(バークレイ)経営大学院卒業、Ph.D.現在、一橋大学教授。ダイヤモンド社、1984 今では文庫になっているが、本書が出版されて20年近くがたとうとしている。 本書を初めて読んだときは、率直なものの見方にとても感動した。 日本軍を懐古する書物は多いが、これだけ冷静に見たのも珍しかった。 6人の研究者による共同研究であるが、とても良くまとまっており、熱心に研究された様子が感じられる。
本書は、社会科学的な分析の目を、戦史に向けたという貴重な例で、さまざまに新たな視点を投げかけ、非常に刺激的な著書に仕上がっている。 失敗は誰も顧みたくもないものだが、成功例より失敗例のほうが有益な視点を提供してくれる。 失敗の反省こそ有意義である。研究書でありなりながら、一般の読者も充分に味読でき、優れた著作といって間違いない。 本書は、開戦時の指導者の判断をあげつらうものでもないし、西洋への挑戦の愚かしさを述べるものではない。 本書は太平洋戦争に入った理由を考察してはいない。 本書は、開戦したあとのわが国の戦い方や敗け方を研究対象としている。 無謀な戦争に突入したという理由の考察も大切だろうが、戦い方にもおおいに失敗があっただろう。 わが国の戦史を見れば、優れた戦い方をしたとは、言えなそうである、と本書はいう。 軍隊とは近代的な組織である。 合理的・階層的官僚制組織の最たるものである。 それゆえ、軍隊の研究は、今後の公的・私的な組織への応用が、充分に期待できる。 ところが、このような日本軍の組織的特性や欠陥は、戦後において、あまり真剣に取り上げられなかった。たしかに、戦史研究などによりさまざまの作戦の失敗は指摘された。そして、多くの場合、それらの失敗の原因は当事者の誤判断といった個別的理由や、日本軍の物量的劣勢に求められた。しかしながら、問題は、そのような誤判断を許容した日本軍の組織的特性、物量的劣勢のもとで非現実的かつ無理な作戦を敢行せしめた組織的欠格にこそあるのであって、この問題はあまり顧みられることがなかった。否むしろ、日本軍の組織的特性は、その欠陥も含めて、戦後の日本の組織一般のなかにおおむね無批判のまま継承された、ということができるかもしれない。P4 鋭い指摘である。 当事者の誤判断といった個別的理由に、失敗の原因を求めることは易しい。 しかし、それでは偶然に左右されることから逃れられないし、 今後も同じ状況になれば、同じような失敗をくり返すことになる。 また、日本軍の物量的劣勢は、当初から判っていたことであり、 そのなかでいかに闘い、いかに停戦にもっていくかが、政治の継続としての戦争である。 そうした意味では、日本軍の失敗の研究は、今の組織にも適用できる研究の宝庫といっても良い。 本書は<失敗の事例研究><失敗の分析><失敗の教訓>と、3章の構成になっている。 事例研究では、6つのケースを分析している。 ノモンハン事件(=失敗の序章)では、作戦目的があいまいで、情報に関しても解釈に独善性があった。戦闘では精神性が、過度に重視された。 ミッドウェー作戦(=海戦のターニング・ポイント)では、作戦目的が重複的であり、不測事態が起きたときの対応が、検討されていなかった。 ガダルカナル作戦(=陸戦のターニング・ポイント)では、情報の貧困と、戦力の小出し的な投入にあり、陸軍と海軍がバラバラの対応だった。 インパール作戦(=賭の失敗)では、戦略的合理性を欠いた作戦で、人間関係を過度に重視する情緒主義に陥っていた。 レイテ海戦(=自己認識の失敗)では、参加部隊が任務を把握しないまま、戦闘に突入した。指揮系統が確立せず、自己認識がなされていない失敗である。 沖縄戦(=最終段階での失敗)では、作戦目的が曖昧で、持久戦か短期決戦かの決断がつかないまま、状況だけが推移した。大本営と現場の認識のずれが大きかった それぞれの作戦にかんして、以上のように本書はいう。 そして各作戦の共通項を次のようにいう。 1.複数の師団あるいは艦隊が参加した大規模作戦であった。したがって、陸軍の参謀本部、海軍の軍令部という日本軍の作戦中枢が作戦計画の策定に関与している。 2.このことは、作戦中枢と実施部隊との間に、時間的、空間的に大きな距離があることを意味していた。さらに、実施部隊間にも程度の差はあれ、同様の状況が存在した。 3.直接戦闘部隊が高度に機械化されていたが、それに加えて補給、情報通信、後方支援などが組み合わされた統合的近代戦であった。 4.相手側の奇襲に対応するような突発的な作戦という性格のものははとんどなく、日本軍の作戦計画があらかじめ策定され、それに基づいて戦われたという意味で組織戦であった。 上記のように共通した作戦で、それゆえにいずれも共通した欠陥をもつもの。 とりわけ作戦の目的がはっきりとしていないのが目立つ。 これでは現地は戦えない。しかも、精神主義というか情緒主義というか、人間関係の調整に手間取っている。 しこりを残さないといった、現代でも聞かれる言葉が通用している。 日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった。これはおそらく科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至っていなかったことと関係があるだろう。たとえ一見科学的思考らしきものがあっても、それは「科学的」という名の「神話的思考」から脱しえていない。P199 科学的合理性は、地位などの属性を無視するから、それを主張する者は上部から疎まれる。 むしろ、こうなって欲しいという希望的観測が、現実であるかのように一人歩きした。 やがて現実は我が軍の望むとおりだとなる。 事実を冷静に直視し、情報と戦略を重視するという米軍の組織学習を促進する行動様式に対して、日本軍はときとして事実よりも自らの頭のなかだけで描いた状況を前提に情報を軽視し、戦略合理性を確保できなかった。ミッドウェー島政略の図上演習を行なった際に、「赤城」に命中弾9発という結果が出たが、連合艦隊参謀長宇垣少将は、「ただ今の命中弾は3分の1、3発とする」と宣言し、本来なら当然撃沈とすべきところを小破にしてしまった。しかし、「加賀」は、数次の攻撃を受けて、どうしても沈没と判定せざるをえなかった。そこでやむなく沈没と決まったが、ミッドウェー作戦に続く第二期のフィジー、サモア作戦の図上演習には沈んだはずの「加賀」が再び参加していた。P232 戦艦を失うことは重大事であり、それが自信喪失につながることを懸念したとあるが、一体何のための図上演習であろうか。 シミュレーション概念がないと言わざるをえない。 その後の学習会も開かれず、日本軍は勝ちたいという願望が先行した精神主義に傾倒し、事実から学ぶ謙虚さをもっていなかった。 事実と願望の分離、いいかえると真なるものと善なるものの分離は、近代の思考そのものである。 我が日本軍は、この思考の体得がおくれ、前近代的な組織体質であった。 論理的もしくは相対的なものの考え方は、前近代にあって支配者と軍師だけがもっていたものである。 敵味方を冷静に見なければ、戦いに敗れるので、軍師だけは客観的な思考力を体得していた。 前近代では軍師は特殊な階級の人間だったが、日本軍は国民国家の軍であり、庶民が作戦に参加していた。 庶民出身の将校たちは、近代的な客観思考をもつ時間がなかった。 国全体の発想を変えるには、膨大な時間がかかるのである。 平時にあっては機能する組織も、危機に際してはほんとうの力量が問われる。 いやむしろ、平時ではどんな組織でもやっていけるのである。 危機に際したときにその有効性が試されるのであり、 本書は戦前の日本軍の組織体質は、戦後へとそのまま引き継がれているといっている。 本書が教えるところは、とても多く、何度も繰り返し読んでしまった。 (2003.3.14) 参考 秦郁彦「軍ファッシズム運動史」河出書房新社、1962 菊澤研宗「組織の不条理−なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか」ダイヤモンド社、2000 井門満明「戦争論入門 クラウゼヴィッツ」原書房、1982 中島親孝「連合艦隊作戦室から見た太平洋戦争:参謀が描く連合艦隊興亡記」光文社文庫、1997 ピーター・パレット「戦争論の誕生 クラウゼヴィッツ」中央公論社、1988
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