売る売らないはワタシが決める
売春肯定宣言
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編著者:松永呉一(まつざわ くれいち)  ポット出版、2000年    ¥1、900−

編著者の略歴−1958年生まれ。『アサヒ芸能』『アクションカメラ』『Dr.ピカソ』等で、性風俗の取材を続ける。週に3回から4回は取材および個人的趣味で風俗店にて射精。ポット出版のウエブでホームページ「ボツ劇場」「ボツボツ劇場」を展開、大量の原稿を発表。さらに新HPを開設して、本書の対となる内容の原稿を募集中。著書に『えろえろ』『恐怖の大玉』『熟女の旅』ポット出版、『風俗就職読本(「風俗バンザイ」改題)』徳間文庫などがある。
 筆者(座談)要友紀子、国江響子、小林のん、佐藤悟志、滝波リサ、菜摘ひかる、ハスラー・アキラ、畑野とまと、麻姑仙女、南智子、宮合真司、桃河モモコ、森あい
 売春を肯定するのは、とても勇気がいることだ。
このサイトでは、当初から売春を肯定しているが、良識あると自認する多くの論者は、売春を否定する。
しかし、売春否定の論理は、ひどく粗雑である。
売春否定派として、キリスト教系の宗教団体、現在の結婚秩序を維持したい体制派、家父長制批判派と、3種の反対論を上げているが、最も始末に悪いのが家父長批判派である。

 家父長批判派とはフェミニストのことであるが、フェミニズムに正義のイメージがあるために、誰も正面切ってはフェミニストを批判できないらしい。
私もフェミニスト批判には心理的な抵抗があったが、女性の解放を目指したはずのフェミニズムが、その主張を歪曲しはじめ、女性解放の障害となり始めた、と思う。
今やわが国のフェミニストの硬直状態が、正視に耐えないものになってきた。

 皮肉なことに、フェミニストが売春反対の先鋒になり、売春婦という女性を貶めている。
売春に反対することは、わが国が貧乏な時代には正しいことだった。
身売りされて苦界に沈んでいった女性たちは、薄幸な人生を歩まされたことは間違いない。
この時代に売春と人身売買を分けることは、きわめて難しいことだったはずで、人権運動が排娼運動に連なっていったことは理解できる。
しかし、情報社会化した今日、売春に限らず性の世界を隠すことは、明らかに間違いである。

 経済力のない専業主婦の存在を許す1夫1婦制が、経済力のある売春婦の存在と抵触するのだ。
独力で生きていける女性を認めることは、男性支配を根本から否定することなのだ。
だから男性支配を肯定する人たちは、売春婦の存在が許せない。
保守派が売春を否定するのは理解できるが、家父長制を否定するフェミニストが、売春に反対するのは論理矛盾である。
 本書は、30人の売春否定論者を批判している。

 伊田広行・上野千鶴子・大治朋子・小倉千加子・小野幹雄・兼松左知子・鎌田恵・河合幸雄・小谷野敦・櫻井よしこ・佐藤学・庄子晶子・瀬戸トシコ・立岩真也・谷口和憲・角田由紀子・中川八洋・永田えり子・中村彰・中山千夏・林マリサ・林陽子・福田和彦・松井やより・丸本百合子・村上龍・山下明子・山本直英・吉武輝子・若尾典子

 現体制擁護の保守派たちが、批判されるのなら理解できる。
しかし驚くべきことに、このリストには、上野千鶴子・小倉千加子・角田由紀子・永田えり子・林マリサ・山下明子・吉武輝子といった、フェミニストを自称する女性が含まれている。
アメリカでもキャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンなどが、保守派と一緒になった反ポルノ運動を展開しているように、わが国でもフェミニストたちの反動化が始まっているのだろう。
  
 残念ながら、日本のフェミニストの大多数は、男たちが女たちに押し付けてきた性への嫌悪感を根深く持っていて、それに対する疑問を抱く勇気もないまま、右から左にスルーさせて売買春蔑視を続けており、このことが家父長制を根底から支えていることに気づこうとしていない。この点においては、70年代リブの方が数段本質を見極めていました。
 実際、僕が今日お話しした売防法批判なんてものの原型は70年代にリブの人たちが提出しています。『女・エロス』という70年代に出ていたリブの雑誌ですけど、この9号で売春特集を組んでまして、深江誠子さんが、新吉原女子保健組合のことを取り上げ、売防法および売防法を推進した人々を批判しています。P330


 という松沢呉一氏の発言でも判るように、わが国のフェミニストは無前提的に売春を否定するだけで、論理的な検証を一切しない。
売春とは女性への暴力だといって、売春は悪であるという文句を振りかざすだけで、自分の頭で考えなし現実を見ようともしない。
わが国のフェミニストの無思考と、教条的な言動は救いがたい。

 フェミニズムこそ20世紀が生んだ最大の思想だと思うだけに、わが国のフェミニストの現状を見ると慨嘆せざるを得ない。
フェミニストこそ性産業に従事する女性の、最大の味方であるはずにもかかわらず、彼女たちは今やセックスワーカーを蔑視する。

 わが国のフェミニズムは、<女性である>ことに運動の基盤をおくので、とうとう専業主婦を批判しきれなかった。
むしろ専業主婦を擁護する立場をとり続けたので、性産業従事者のみならず、一般に企業で働く女性たちからも、見放されてしまった。
今後ますます体制派に近づき、本書でも批判されている超保守派の中川八洋氏らと、同じ主張になっていくのだろう。

 解放派として登場した思想や運動が、体制派以上に反動化する状況は、第2次世界大戦前のドイツなどの状況を思い起こさせる。
最後のよりどころは、解放のイデオロギーではなく、頼りない自由主義なのだろうか。
ウーマンズ・リベレーションとして登場した女性運動は、過激でかつ本質的だったが、フェミニズムとなってからは見るべきものがない。

 売春を肯定するのはいまだ憚られるなかで、本書は難しい企画をよく実現したと思う。
本書の役割は充分に評価するし、当サイトでも星を一つ献呈する。
しかし、売春肯定する論理がまだ粗雑である。30人の対象者を、14人と多くの筆者が批判しているので、やむを得ない部分もあるのだろうが、次には論理一貫性のある売春肯定論を提出すべきだろう。
(2003.09.26)
参考:
赤川学「性への自由/性からの自由 ポルノグラフィの歴史社会学」青弓社、1996
シャノン・ベル「売春という思想」青弓社、2001
アラン・コルバン「娼婦」藤原書店、1991
ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001
ウィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」勁草書房、1969
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」」朝日文庫、2002
山崎朋子「サンダカン八番娼館 底辺女性史序章」筑摩書房、1972
バーン&ボニー・ブーロー「売春の社会史」筑摩書房、1991
宝島224「売春するニッポン 素人が売春する時代への処方箋」宝島社、1995
アレクサ・アルバート「公認売春宿」講談社、2002
アンドレア・ドウォーキン「ポルノグラフィ」青土社、1991
アンドレア・ドウォーキン「インターコース 性的行為の政治学」青土社、1989
イヴ・エンスラー「ヴァギナ・モノローグ」白水社、2002
福田和彦「江戸春画の性愛学」KKベストセラーズ、2003
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
「ポルノグラフィー 揺れる視線の政治学」学陽書房、1992
石黒敬章「びっくりヌード・おもしろポルノ」平凡社、2002
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002
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