H邸の新築工事                
第 12 回   8月7日記  解体工事開始

建築工事の最初は、解体作業
 
     
 工事に入る段取りはすべて済んだが、もう一つ大切な仕事が残っている。それは、近所の方への挨拶である。家の建て替えはお互いさまとは言え、建築工事は日常の話ではない。市井の生活人から見れば、やはり非日常的なことだ。しかも、大きな音や埃など、歓迎しないことがおきる。また、見慣れない職人が出入りする。

 会社つとめのサラリーマンが多くなった昨今、汚れた姿で汗を流しながら働く男たちは、いまや街の異分子=エイリアンである。今後数ヶ月にわたって、エイリアンが近所に出没するとすれば、内心では穏やかではないだろう。だから、建築工事は迷惑産業である。近所の人たちから、クレームが付いたら工事はできなくなる。工事関係者が全員うちそろって、近所の家に挨拶行くのは常識である。

 そう考えているから、今回も工事に入る前の金曜日に、設計監理者、工事の請負者、それに建築主の3者が、簡単な手みやげをもって挨拶にまわった。この時には、工事の期間だとか、時間などが質問に上がることが多い。完成は11月の末を目標にしているとか、朝は8時半から夕方は5時半まで仕事をする、と説明する。もちろん日曜・祝日は全休であることを、強調する。

 最近ではこの挨拶まわりが、大きな仕事になってきた。というのは、日中には誰もいない家が多いのだ。いくらベルを鳴らしても、返事がない。仕方なしに、手みやげと名刺をおいてくるのだが、顔を合わせていない不安が残る。あとで挨拶がなかったと、もめることが怖い。今回の不在は1軒だけだったので、大丈夫だろうと自分を納得させる。

 解体工事の開始には、監理者も立ち会うべきだろうが、月曜日の午前中には他の用事が入ってしまった。そこで、挨拶が終わったあと、解体工事者と最終的な打ち合わせをする。今回は、解体工事と本体工事が分離発注となっているので、本体工事の施工者も立ちあわせて、解体工事のつめである。

 一括請負であれば、請負者がすべてを仕切るが、分離発注になると、異種工事のあいだを仕切る者がいない。そのため、工事区分のすりあわせが難しい。結局、監理者がまとめていくことになる。はじめて顔を合わせる解体工事者と、本体工事の請負者をそれぞれ紹介し、互いの連絡先を交換する。

 あの木とこの木を残して、他は伐採すると指示をだす。残す木にはテープを巻く。地面に敷いてあるコンクリートの練り物は撤去、門扉門柱も撤去、西側のフェンスは残し北側のフェンスは撤去などなど、いくつかの確認が進んでいく。工事に入ってから、現場の職人が間違えたら大変である。解体工事者はそれを、きちんとメモする。最後に復唱してもらって、打ち合わせが終わる。週があけて月曜日、朝の8時に現場に乗り込み、8時半から解体工事が始まる手はずは万端に整った。やれやれである。

 しかし、しかし、である。開けて7月22日の月曜日。10時頃に携帯電話がなった。現場からでだ。近所に人から、埃をだしていると通報があったと、パトカーにのった警察官が来た、という。警察官が来たのは、9時過ぎだったとか。まだ埃をだすどころか、家の周囲に丸太を立てている最中だったらしい。現場では当惑が広がったことだろう。

 この現場は、路地状の通路が狭いので、大型重機が入らない。そのためすべて手毀しである。大きな音も埃もでるはずがないが、それでも安全を考えて周囲をシートで囲う。9時という時刻では、シート囲いの支柱にする、丸太を立てている最中だった。電話を受けながら、暗澹たる気分になった。

 解体工事は汚れ仕事である。汚れ仕事は、もう日本人だけではできない。我が同胞の多くは、いまや汚れ仕事には見向きをしないのである。どこでも外国人労働者のお世話になっている。外国人労働者がいなければ、解体工事は今の倍の値段でも、できないかも知れない。なにより人が集まらない。埃まみれ、汗まみれになる解体作業は、きつい仕事である。

 肉体的にきついのではない。他にもきつい仕事はたくさんあるだろう。日本人が手を出さない、つまり日本人から見捨てられた仕事、それが解体工事なのである。見捨てられるのは、きついことだ。ここで働く人間は、見捨てられたがゆえに、仕事にプライドがもてない。もめごとを起こせば、日本に滞在できなくなるかも知れない。だから、日本人ともめ事を起こしたくない。警察とはかかわりたくないのだ。

 埃をだすまえに、丸太を立てたとたんに、警察に通報する人の神経を、私は何という言葉で表現したらいいのだろう。汚いカッコで黙々と働く外国人労働者、それを見ただけで警察に通報する人。もちろん警察官は、通報した人の名前はいわない。パトカーの警察官が、ただ監視の目を光らせるだけ。私はだまって電話を切る。

 午後になって現場にいってみると、職人の親方がにこにこしている。「警官が来たんだって?」ときいても、警官は何も言わずに帰ったと、親方は笑っていた。いちいち気にしていたら、やっていられないのだろう。現場はきれいにシートで囲われ、畳や建具が運び出されていた。まだ家の解体には、手がついていない。8人の職人が働いていたが、半分が外国人労働者だった。

 今回投入された職人たちは、手毀し専門の人たちである。機械毀しが主流になるなかで、手でしか壊せない現場を受け持っているとか。仕事が詰まっており、雨でもカッパを着て、仕事をするという。建築現場の肉体労働は、日銭の商売である。1日働いて1日分の日当が支払われる。雨で休めば、給料はでない。真っ黒に日焼けした外国人労働者と日本人労働者は、無駄口をたたきながらも、黙々と体を動かしていた。 

「タクミ ホームズ」も参照下さい
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