H邸の新築工事              
第 4 回   7月22日記  建築の設計がすすむ過程とは−その1

設計とは考えること
 
     
 設計とは図面を描くことだとか、1級建築士の仕事だ、と世間では思われている。私の母など、いまだに私が何をやっているか、理解していないようだ。しかし、設計とは図面を描くことでもないし、1級建築士でなくとも、設計はできる。

 設計とは、人間が住む空間を頭のなかで想像し、それを理解可能な形に表現することである。

と、私は定義したい。だから、図面を描くのは理解させるための方法にすぎず、図面以外の方法で伝えてもいっこうにかまわない。たとえば、模型とかスケッチといった方法も使われるし、文章で書いても良い。

 頭のなかでは設計したつもりになっても、それが他人に伝えられないと困る。ここでいう他人とは施工者のことだが、施工者に頭のなかを見てくれとは言えない。そこで、多くの場合に図面が使われる。空間を考えることを設計と呼び、それを紙の上にあらわすことは製図といって、まったく別の作業である。設計と製図は別の人がやっても良い。

 このH邸で、実現すべき設計の主題は、充実した室内空間(えもいわれない豊かさ)と、快適な空気を室内にただよわせること(外断熱+高気密だった。世にいう建築家が設計したような、奇抜な外観はまったく考えの外である。地味にいくことにする。

 設計の過程で、スケッチを沢山する人もいるし、模型を作る人もいるが、結果として完成した住宅が住みやすければ、どんな設計手法を用いようと、まったくかまわないと思う。住宅における私の設計手法は、敷地の読み込みと、あとは空想である。だから設計中は、ただボーとしていることが多い。ときどきメモをするくらいで、他には何もしない。他の人が見たら、遊んでいると思われるだろう。所員の手前、仕事をしている振りをしたこともあった。

 数日にわたって考え続けると、たいてい何かの形は浮かんでくるものだ。多くの場合、間取り(=平面図)を描くのが一番先だが、間取りを描いているときには、すでに立体としての住宅を考えている。間取りと外観(=立面図)を、同時に描けないので、間取りを先に描くことが多い。

 今回は、路地状の引き込みが17メートル近くあるので、玄関を路地の終点あたりにせざるを得ない。これが空想のきっかけだ。ここに立って、家に入ることを想像してみる。狭い路地から、家を目にする。やや低めの玄関庇をくぐって、玄関の扉に手をかける。右手で扉の握りを掴むだろう。すると、扉は右吊り元になる。玄関前のには、包み込まれるような空間が欲しい。曲手(かねて)の2方向に壁があったほうが良い。

 玄関前から、自然に玄関扉へと手が伸び、身体が引き込まれるように、家の中に入っていきたい。そのためには、玄関庇は低く緩い勾配で、建物の方へと上っていたほうが良い。足元はややざらついた素材が、足に少し抵抗感を感じさせる。そして、外部から玄関のなかへと、同じ素材で連続させる。小さな扉が良いだろうか。扉のサイズは迷うところだ。

 扉を開けると、淡い光が天井から落ちていたい。やや低めの天井が、包まれ感を生みだすだろう。すると、なるべく広い照明となるが、できれば自然採光にしたい。光は和紙をとおして使おう。靴を脱ぐ場所はそれほど広くなくても良いが、上がった取継(とりつぎ)はやや広めに欲しい。

 来客や帰ってきた人を、やさしく迎えるのは、柔らかい光だろう。光を柔らかく跳ね返す材料が欲しい。壁は京壁(きょうかべ)にしよう。取継との段差は、やや低めの一跨ぎくらいが、ちょうど良いだろう。自然に室内へと上がるためには、上框(あがりがまち)は目立たない堅木がいい。

 玄関には絵を掛ける場所が欲しい。正面が良いだろうか、工事に入ってから、現場で決めよう。今の段階では場所までは決めない。大きな下駄箱も必要だが、全面の下駄箱は圧迫感がでてしまう。上下に分けて、真ん中を壁にしよう。そこには小さな置物でもあるといい。2階への階段も、玄関に下ろそうか。でも、目立っては困る。

 玄関から取次へと上り、居間へとつなげるのが自然だろう。廊下を挟むほど広い家ではないし、玄関と居間がつながっている方が、暖かみがあるように思う。ここの扉は右勝手でも左勝手でもいい。玄関と取次の天井を下げたのは、居間への広がりを意識しているからだ。居間の天井は、可能な限り高くしたい。

 居間は板の間だから、椅子の生活である。高くとった天井は真っ平らであるべき、照明器具がでっぱるのは困る。この敷地は南からの採光がとれないが、それは仕方ない。むしろ日中の光は、やや抑えめにしたほうが、大人っぽい雰囲気になるだろう。しかし、照明の光はやわらかく、ふんだんに欲しい。

 居間と厨房は、隣接していたい。Hさんは、まめに家事をする人だ。厨房で食事のできることが、Hさんの希望だった。現在の厨房は6畳くらいの広さで、そこに食事用のテーブルが置かれている。現在と同じくらいの広さで良いだろう。厨房には収納をたくさん作りたい。厨房は雰囲気より、機能性だろう。

 住宅の中心は、居間と厨房それに食堂だと、私は考えている。それ以外の部分は、それぞれが独立したものとして、世の中にある。寝室はホテルだろうし、浴室は銭湯である。食事を含めた居間と厨房が、家族を家族たらしめるための、もっとも基本的な装置である。ここに長くいたくなるように、空気の流れを調節したい。

 少ない人数の家では、居間から厨房が見えても良いと思う。むしろ、居間と厨房の空気が、同じ質のものになるようにしたい。厨房に立つ人と居間にいる人が、簡単に声を交わせるくらいの距離が、ほど良いのだと思う。厨房の工場的な要素が、居間に伝わってもかまわない。居間にいる客人をも、厨房に引き込んでしまうくらいの関係で良い。

 こんなことを考えていたら、あっという間に1週間がたっていた。このあたりで1度スケッチをしてみることにした。それが右のぐちゃぐちゃだが、とても人様にお見せできるものではない。しかし、何日かに1度、紙を無駄にするのは頭の整理になる。私の場合、こうしたぐちゃぐちゃは当然のことながら、他人に見せることはない。描いたらすぐにゴミ箱に直行である。

 あと何日かすると、平面図と立面図の第1案ができるだろう。毎日同じことを考えていれば、誰でもできて当然である。問題はそれが優れているかどうかである。そして、建築主が気に入ってくれるか、それが一番の問題である。設計をするのは、ほんとうに楽しい。空想にふけるのは、子供でなくても好きなのだ。しかし、空想が職業となると、話は別である。

 職業としての設計家つまり建築家というのは、考えることをお金に換えることで口を糊している。設計は楽しいが、設計をお金に換えるのは、また違う能力が必要である。だからボーとしているとは、あまり言いたくなのだが。
「タクミ ホームズ」も参照下さい
「建築への招待」へ戻る        次回に進む