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 21/第弐拾壱篇 マーシャル・ロー 

■戦争は今も続いている
エドワード・ズウィックの特徴をなす画面が何であるのか、いまだ把握できていないにも関わらず、デンゼル・ワシントンが小学校の教室に飛び込むショットを見ながら、あ、これはエドワード・ズウィックの映画なのだな、と思ってしまう。原因は問うまい。実に不思議な現象だった。

 第二次世界大戦、冷戦、ベトナム戦争……と、アメリカは常に敵を必要としており、湾岸戦争を経て、それが今日も形を変えながら続いていることに立脚し、この映画『マーシャル・ロー』の筋立ては設定されている。

 エドワード・ズウィックは、『グローリー』という、バリバリの戦争映画を作り、つい数年前も『戦火の勇気』という、戦争が終わってもなお続く戦禍を描いた傑作を生み出している。

 『マーシャル・ロー』は、今なお続く戦争が、これまでとは形を変えて現実化される恐怖を描くもので、『史上最大の作戦』や『バルジ大作戦』などの戦闘を中心に描くスペクタクル大作とも、『赤い矢』や『最前線物語』などの戦場を描くサミュエル・フラー作品群とも、『眼下の敵』や『大脱走』などの戦争を舞台にしたアクション映画とも、『ナポレオン』や『パットン大戦車軍団』などの個人を描く戦争史劇とも、『プライベート・ライアン』や『スターウォーズ エピソード1』などのテクノロジーにものを言わせた特撮戦争映画とも違う、真に今日的な意味での戦争映画たりえている。

 なぜ戦争なのか? エドワード・ズウィックは、プロデューサーも兼ねており、恐らくこの題材は彼が映画にしたいものを実現させたに違いあるまい。エドワード・ズウィックは、戦争が好きだから戦争映画を作ったのだろうか?

 そんな個人のことを推察するなど、どうでもよいことなのではあるが、私たちが映画と長く付き合っていく上で、忘れてはならない事実がある。それは、映画とアメリカの戦争なのだ。

 第二次世界大戦を終えて、アメリカが次なる敵国としたのが、他でもないソ連だったわけだが、ソ連と等しく敵とされたのが、共産主義である。ハリウッドという映画都市が共産主義迫害の攻撃目標となり、多くの優秀な映画人たちが、映画という職を失い、あるいは国外へ逃亡するなどの迫害を余儀なくされたことは、「赤狩り」として映画史の一項目にもなっているはずだ。

 赤狩りに限ることなく、アメリカ政府とハリウッドの戦いは、非常に短期間のうちにハリウッドを崩壊せしめた。戦前にその全盛を迎えた夢の工場としてのハリウッドなど今日、存在してはいない。ハリウッドという単語だけが生き延び、アメリカ映画に対する、幻想としての代名詞となって、人々をあざむき続けているのだ。

 映画とアメリカの戦いは、『ハリウッド映画史講義』(蓮實重彦著・筑摩書房刊)がその衝撃的な全容を述べているので、ぜひそちらを読んでほしいところだが、この戦争は、今も決して終わってはいない、映画と真剣に取り組めば、必ずアメリカとの戦いを避けることはできない、という意識を持ち続けているのが、他でもないエドワード・ズウィックであり、彼の戦争映画とは、『マーシャル・ロー』で描かれるアメリカとアラブ系の戦争などではなく、あくまで映画とアメリカの戦争が根底にあるのだ。

■帰還の映画
 『戦火の勇気』で最も感動的だったのは、戦争で自分を崩壊させられて行き場を失ったデンゼル・ワシントンが、さまざまな葛藤を克服し、我が家へと帰り、玄関に立つラストシーンである。エドワード・ズウィックは、『グローリー』を発表した時点で、D.W.グリフィスとの共通性を指摘されてはいたが、『戦火の勇気』では帰還をラストに持ってくることにより、一層グリフィス色を濃厚にした。

 しかし、『マーシャル・ロー』の展開では、帰還の映画を期待するのは難しいな、と思われていた。仕方がなかろう。同じようなラストを続けることは、今の時代には到底無理な話だ。

 にもかかわらず、エドワード・ズウィックは、帰還のラストを実現してしまった。臨時収容所に強制移行されたアラブ系の市民たちが解放され、家族と対面するのである。『戦火の勇気』とは、また違った形で、エドワード・ズウィックは帰還を変奏してみせた。完全に意表を衝く形で主題を変奏し反復する。これは、映画と映画史に敏感な感性の持ち主だけに可能な芸当に他ならない。

 今も続く戦争に背を向けることなく、グリフィスの主題を貫徹する。エドワード・ズウィックは、アメリカとの戦争を孤独に受け継ぐことによって、皮肉に聞こえるかもしれないが、アメリカ映画最良の監督になってしまった。

 アメリカ映画――この呼び方が果たして適切なものであるのかどうか。それに正しい判断をくだせるほど、実は私は映画を見ていない。

監督:エドワード・ズウィック
脚本:ローレンス・ライト、メノウ・メイエス、エドワード・ズウィック
CAST
デンゼル・ワシントン、アネット・ベニング、ブルース・ウィリス

 

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 22/第弐拾弐篇 祇園囃子 
■奥行の陶酔
若尾文子が知り合いの店を探して祇園の細い路地を歩く。これらの路地は徹底して奥行の構図でとらえられ、黒い家々の間を白い路が一本画面の奥へとつながっていく美しい光景が数ショット連続して描かれる。

 直線的な奥行の構図。それだけで、もう陶酔の真只中へ放り込まれる気分だ。山中貞雄の長屋、ジョン・フォードの馬が走ってくる草原などと等しく、映画が持つに至った最も美しい奥行の構図が、そこにはあり、冒頭のわずか数ショットを見ただけで、十分といえる満足感を得られてしまう。

 そこは、京都の祇園であるという設定で、ロケも現地で行われていることは明らかなのだが、実在の地という印象が薄い。あの白い路地を行けば、映画の地平へと辿りつくのではないか、という気がしてくるほど、空間の永続性が感じられるのだ。

 京都でありながら、どこでもない場所。地名を無と化すというよりも、どこでもない空間となることによって、映画だけに存在する空間として生まれ変わるのだ。私は、セリフによる映画の理解を是しとしないが、溝口健二が『祇園囃子』で作り出した路地のショットは、言葉を始めとする諸々の映画外的要素から解放され、純粋に映画であることによって魅力を発散しているのである。

■パンの再評価
 奥行の構図が続いたかと思うと、映画は突如として横移動を開始する。それは単に、現在の画面に入っていない部分を収めるための横移動だけには限らない。

 固定画面で人物の出入りを、まるでサイレント映画のように描いたかと思うと、そこからカメラがパンして別の人物を加える。いくつもの生け花の鉢を前にして、若尾文子が、口説いてくるオヤジどもは法律違反かと師匠に質問しながら、腰を上げては座り、上げては座りを繰り返す、半円が続く動作を横移動で追う。何個も用意したお賽銭を上げながら会話を行う浪花千栄子と、それに従う木暮実千代の姿を、これも横移動で追う――といった横の世界が、奥行や縦の世界と呼応しながら厳然たる存在感を発揮して、この映画を支えているのだ。

 私は、この「映画日誌」で、黒澤明の例を挙げながら、たびたびパンを批判してきた。カメラ位置を変えずに、カメラを振るこの手法は、単なる怠慢でしかなく、人間はそのような視点を映画に求めてはいない、と。

 しかし、溝口健二におけるパンを見ると、それはたいへんな誤りであったことがわかる。例えば『山椒太夫』のラストでは、パンすることによって海を画面に導き入れ

、あらゆるものから自由になれるような解放感を実現させていたではないか。

 『祇園囃子』のラストもパンが使われる。通りの角から姿を現した木暮実千代と若尾文子が並んで歩きながら、カメラに近づいてくる。バストくらいのサイズまでカメラに近づき、そのまま通りを歩いてカメラの前を通り過ぎる。カメラはパンを続けながら二人の後ろ姿を追い、二人は、まさに映画の地平彼方へと歩いていくかのように画面の奥へと消えてゆくのだ。

 人物を角から登場させ、最後はどこまでも続くかに見える奥行の中へと進ませていく。こんなやり方があったのか。パンが怠慢の技法であったかに見えたのは、黒澤の映画内におけることであり、溝口では一転して、永遠の空間へと導く魔法の技術と変貌する。パンに対して私が行ってきた蔑視は、強く戒められねばならないようだ。

祇園囃
1953年大映京都作品
監督 溝口健二
脚本 依田義賢
撮影 宮川一夫
主演 木暮実千代、若尾文子


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