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 47/第四拾七回 アイ・アム・サム 

■かわいそうな少女
 まったく、また演技派ぶりやがって、今度はこんな役でアカデミー賞でも狙う気か、と嫌悪感しか抱くことのなかった予告篇の印象とはまったく異なり、『アイ・アム・サム』本篇におけるショーン・ペンの姿、仕草、表情はどうだ? ショーン・ペンを見ているだけで、もう涙が出てきてしまうのだから、これはたいへんな成果ではないか。
 映画史の系譜には、「かわいそうな少女」という絶対的な要素が存在し続けている。
「かわいそうな少女」が出てくるだけで、映画はたちまち活性化し、中途半端な脚本など、まったく気にならなくなるほど、輝きを増してしまうのだ。
 スクリーンでしか映画を見ないという、己の主義に反し、映画を動画配信するサイトを見た。そこで初めて存在を知った、D・W・グリフィスの『あるユダヤ女のロマンス』は、まさに「かわいそうな少女」を描く、その後の『散りゆく花』などへと連なる映画の王道ともいうべき傑作で、グリフィスの偉大さを改めて噛みしめさせられたものだった。

■かわいそうな大人
 本来なら、「スローな」父親を持ってしまった少女ダコタ・ファニングの悲劇性こそが、『アイ・アム・サム』の中心に据えられるところだ。ダコタ・ファニングが「かわいそうな少女」となることによって、映画の王道を踏襲する。映画とは、それで成立するものだ。
 しかし、ダコタ・ファニングが「かわいそうな少女」として描かれることはない。むしろ、『ミツバチのささやき』におけるアナやイザベルのように、確立された一個の人間として存在している。父親と比較して知能指数が高いという説話上の設定を超えた、一人の大人なのだ。

 では、『アイ・アム・サム』における「かわいそうな少女」とは誰か? 言うまでもなく、それがショーン・ペンなのである。もっとも、この映画では「かわいそうな少女」ではなく、「かわいそうな大人」なのだが。
 冒頭にも述べたように、その姿、仕草、表情が、直接的に見る者を刺激する。知的障害などといった言葉や、社会における不当な扱いなどを考慮する以前に、ショーン・ペンは、ひたすらかわいそうであり続ける。
 ショーン・ペンがかわいそうなのは、彼が扮するサムに知的障害があるからでもなく、最愛の娘から法的に隔離されてしまうからでもなく、純粋にかわいそうなのだ。言葉が適当である自信はないが、純粋な悲劇性ともいうべきものを獲得してしまったがゆえに、ショーン・ペンは偉大なる俳優として、『アイ・アム・サム』を成立せしめている。
 純粋な悲劇性を獲得できた俳優は少ない。グリフィスの時代には、もちろんリリアン・ギッシュがいた。日本にだって、二木てるみがいた。世界で最もかわいそうなのは、この娘なのだ! と誰もが思わざるを得ないような悲劇性を、何の理由もなく周囲に発散してやまない彼女たちがいたからこそ、「かわいそうな少女」という映画史の系譜が成立したと見なすこともできよう。

■純粋な悲劇性が歪んだ新しさを駆逐する
 かわいそうであることに理由はいらない。ひたすらかわいそうでありさえすれば、人は涙するものなのだ。『アイ・アム・サム』で、「かわいそうな少女」ではなく、「かわいそうな大人」に視点を移した点は、ある意味で新しい。しかし、それは現代映画が持たざるをえない、歪んだ新しさでもある。
 製作者側や、演出家や脚本家に、そうした歪んだ新しさに対する欲が少なからずあったはずだ。ミシェル・ファイファーの醜い姿を、あたかもそこに興行的な勝ちでもあるかのように、醜さを自覚させることもなく、スクリーンにさらしていることを見れば、もはや事態は明白だろう。
 しかし、作り手たちの低俗な欲望とは別のところで、ショーン・ペンが体現してしまったかわいそうさがある限り、映画はひとりでに映画史の王道を堂々と歩み始めてしまった。
 かわいそうな少女がいれば、映画は成り立つ。それは、かわいそうな大人であっても可能である。『アイ・アム・サム』は、そう教えてくれた。ただし、忘れてはならない点は、それが成立する根底には、ショーン・ペンなる稀有な俳優の存在があった事実である。リリアン・ギッシュ→二木てるみ→ショーン・ペン。なんとも驚くべき系譜ができあがったものだ。

 

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 48/第四拾八回 ブエノスアイレス  
■アルゼンチンの3アミーゴ
 「はなればなれでは生きられない 一緒にいるのは辛すぎる」。時代や国家を超越して通底するこの男女関係を、男と男の関係に置き換えた、と見なしてしまって一向にさしつかえない域の展開が、息苦しいばかりの画面構成で進行していく。その点からすれば、他のウォン・カーウァイ映画と、それほど違いがあるわけではない。しかし、最後の5分で世界は一変する。
 チャン・チェンは、アメリカ大陸の南端を訪ねてから、故郷の台湾へ帰るため、以前に滞在していたブエノスアイレスを経由する。その際、ブエノスアイレス滞在中に、トニー・レオンとよく飲みにいった「3 アミーゴ」という酒場に寄ってみる。にぎわう店内の客は、現地の人間だけ。チャン・チェンは、ダンスに誘われたりもするのだが、異国語が飛び交う中、一人トニー・レオンとの思い出にふけるばかりだった。

 まるで、外国に行ったときの私自身ではないか。強烈な共感を抱かされた。現地人だけが利用する店で、場違いな異国人が、ポツリと一人飲んでいる。この映画に描かれたそうした状況が、たまらなく好きだ。私が外国を目指すのは、もしかすると、この状況に身を置きたいがためなのかもしれない。
 日本国内で飲みに出かけるときでも、よく選ぶのは、大久保など、周囲の客から日本語がまったく聞こえてこない店である。また、出張先の土地で、一人盃を傾けるのも楽しい。話し相手が必要ないこと自体が、不思議なくらいに楽しめてしまう。

■台北の屋台街
 しかし、そこまだったら、単なる共感くらいで終わっていただろう。次のシーンでは、いきなり台北に飛ぶ。南米ロケを延々と続けてきたこの映画で、初めてアジアが登場するのだ。このシーンで、台北の屋台街を歩いているのは、トニー・レオン。台湾出身のチャン・チェンが帰国したのではなく、父親の怒りが怖くて香港へ帰りづらいトニー・レオンが、チャン・チェンを想って、台北に現れたということだ。
 台北で寄るのは、チャン・チェンの両親が経営する夜店である。トニー・レオンは、その店で両親と「おすすめは何か?」くらいのありきたりな会話を交わしながら、チャン・チェンに対する思いをつのらせつつ、南米からの解放を初めて実感する。
 屋台街の看板は漢字だらけ、中華一色の世界であり、ブエノスアイレスとはまったく違う。トニー・レオンの「夢から醒めた気分だ」というセリフからも感じられるように、アジア人としては、地球の裏側から故郷へ帰っきたという感慨があって当然ろう。
 にもかかわらず、香港出身という設定のトニー・レオンが、よそ者にしか思えない。この構造は、ブエノスアイレスの「3 アミーゴ」におけるチャン・チェンとトニー・レオンの姿に等しい。たとえアジアに戻ってきても、トニー・レオンは、本来の故郷へ帰還することなく、異国人として存在し続ける他はないのである。

 映画における、トニー・レオンの心情としては、先にも述べたように「解放」が表現されている。だが、その心情に、私は決して共感するわけではない。アルゼンチンでも、台湾でも、周囲とは異質の個体であり続けるしかないトニー・レオンの状態に、まさしく自分の姿を見てしまった、外から見ることのできなかった自分の姿を突きつけられてしまった。そこに、驚愕と動揺を禁じられなかったのである。
 例えば、タイ映画の『レイン』では、筆談のシーンに深い共感をおぼえたりもした。しかし、そうした感情的な面を遥かに超えて、一個の自分が、映画を通してさらけ出さる瞬間を体験してしまった。これは、極めて稀な、そして驚くべき事態である。
 さまざまな異国の地で、日本でも大久保や大阪などで、異なる者という存在であることを痛烈に感じ、それを楽しんでいる自分の姿を、映画を通して見せつけられた。しかし、これを一つの肯定としてとらえてしまってはいけないのだろう。現在も、これからも進行していく、土地、広くは世界と自分の関わりを理解していく一端として、受け入れる。混沌の渦中にある自分として、現在可能なのは、それくらいだ。

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