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 01/第壱編 燃えよドラゴン ディレクターズカット特別版 
■なぜか不完全燃焼を脱せぬ程度の印象しか残らなかった。
 三鷹オスカーという、今は亡き・・・・名画座で、数年後にもう一度見直しても、その印象は変わることなく、『ヌーヴェル・ヴァーグ』(アラン・ドロンの一人二役が、何とゴダールの世界で輝いていたことか!)『ゴダールの新ドイツ零年』『ゴダールの決別』と、それ以後の傑作群を見渡しても、『右側に気をつけろ』は、納得のいかぬ陥没点を形成する結果となってしまったのだ。
 渋谷パンテオンで余儀なくされた立ち見の鑑賞が、その原因であったか否かはここでは問うまい。要は、そんな状況を二度と繰り返してはならないと自らに戒めることなのだ。

 少しは学習能力がついたのか、十分余裕を持って臨んだ1998年11月1日の『燃えよドラゴン ディレクターズカット特別版』の上映では、私のいちばん好きな、最前列の隅という席を確保することができた。
 最前列の隅というと、ほとんどの人にとって最悪の席となるはずだ。画面は歪んで見えるし、見上げる形になるため、首が痛くなる人も多いらしい。しかし、倒錯的かも知れないが、この歪みが快楽なのだ。絵画と同様、映画があくまで平面でしかない限界性を常に意識しながら接することは、ある意味では倫理的行為であると自負している。

 ワーナー映画の歴史を紹介した、これこそ真の意味で倒錯的なテレビ番組の上映がだらだらと続き、『かわいい女』の事務所破壊シーンだけが飛び抜けて魅力的な、ジョン・リトル氏の作った記録映画が終わって、いよいよ待ちに待った本篇の上映となる。
 開始と同時に湧き起こる拍手。イベント上映は、この雰囲気が嬉しい。オープニングの闘いで、耳をつんざくような打突音に驚かされる。さすがに渋谷パンテオンの音響は違う、と思っていたが、後でビデオ(もちろん、コレクターズボックスを購入)で確認してみたら、特別版では音がリニューアルされていた。打突音だけでなく、麻薬工場でのサイレンや、鉄の爪でリーが切り裂かれる音などに顕著な違いがわかるはずだ。

 「ラオの時間」となって、少年の指導に赴くリー。一発目の蹴りを、両足の位置を変えることなく、少し腰を落としながらスウェイ・バックし、本当に「何だ、それは?」とでも言いたげな動きでかわす。このショットでは、カメラがラオの蹴りを正面からとらえているため、リーは後ろ姿しか見えない。しかし、その背中が「何だ、それは?」と語っているのだ。

 考えてみれば、ブルース・リーのスウェイ・バックとは珍しい。ステップバック、ダッキング、回り込み、ブロックなどはよく見かける。しかし、スウェイ・バックを使うシーンを思い出すのは難しいはずだ。
 スウェイ・バックは上体をそらす際、手のガードが下がる。もちろん、ガードを下げずにスウェイ・バックする方法もあるのだが、人体の構造上、上体をそらすと腕が下がる傾向は強い。よほどの実力差、そして余裕がない限り、これを実戦に使うのは好ましくない、というのがジークンドー・コンセプトなのだろうか。究極の実戦武術ジークンドーは、スウェイ・バックなど、おいそれとは使わないのだ、と言わんばかりに、映画の中で極力排除しているかのようだ。

 もちろん、スウェイ・バックが非現実的な防御だ、とは言い切れない。特に、競技としての「闘い」では、大いに効力を発揮する。何と言っても忘れることのできない事例としては、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)がソニー・リストンとの対戦で見せた、スウェイ・バックからの右ストレートがある。
 「幻の右」と呼ばれて名高いこのシーンで、アリは前足である左足の位置は変えずに右足を後方へ下げながらスウェイ・バックしてリストンのパンチを避け、そらした上体を「ため」として、反動を利用した右ストレートをすかさずヒットさせている。
 稚拙な選手がスウェイ・バックをすれば、上体をオン・ガード・ポジションに戻すことができず、上体は後ろにそったままとなってしまうが、アリはそれを攻撃への準備動作としてしまったのだがら、スウェイ・バックからの右ストレートが当時「幻の右」と称されたのは、むべもないことだろう。

 スウェイ・バックして上体が戻らぬ選手を攻略するのは実に簡単だ。リードパンチ、つまりジャブの連打をすればよい。さらに言うなら、ジャブを出した手を戻す必要もない。ジャブを出し、その腕を伸ばしたまま一歩前に進めば、まず間違いなく当たる。本当に簡単なので、一度試してみるといい。ただし、あまり多用すると、「あいつは容赦ない奴だ」と仲間が離れていくことになるだろう。
 今日、スウェイ・バックの名手として真っ先に思い浮かぶのが、ナジーム・ハメドだ。彼もアリ同様、スウェイ・バックからの素速い反撃を身上としている。しかも、無駄とすら思えるほどモーションが大きいところがハメドならではだ。

 先日、極真全日本王者の数見肇氏から、「野沢さんは、攻撃のときモーションが大きいから、何が来るかすぐわかってしまうんです」と指摘された。もう二十年くらいド突き合いの世界にいて、今だにモーションの大きさを指摘されるとは情けないが、動きをコンパクトに行うことは、繰り返し念頭に置き、永遠に修練し続けなければならないほど重要なのだ。
 それに反するハメドは何なのか、と疑問が生じるかも知れないが、それは彼の個性。もちろん、原則としてはモーションの小さい方が有利なのだが、ハメドの場合、それを補って余りあるスピードや柔軟性があるということなのだ。それに、プロスポーツは「見せる」要素を無視できない。その点からすると、ハメドのような見た目の派手さは歓迎されるべきところとなろう。

 ハメドの例よりも、より実用的な例としては、昨年末に辰吉選手と対戦したタイのウィラポンを挙げたい。彼のスウェイ・バックは、絶妙のタイミング、迅速なるスピード、最小限の動きに収めるコンパクトな動作、と理想的な域に達している。何といっても素晴らしいのは、返しのパンチに必ずつないでいるとろこだ。
 ウィラポンについては、数年前、彼がムエタイでMVPを獲得していた頃、ビデオをタイから取り寄せ、ずいぶん研究したものだ。特に、膝をいったん伸ばし切り、大きく外側から刈り込むようにして蹴るローキックをさんざん反復練習したことが懐しい。
 そんな尊敬すべき選手が、日本の舞台に登場し、感動的なまでの攻防を見せてくれたのだから、辰吉との対戦が、1998年の最終尾を飾る興奮の一戦となったことは言うまでもあるまい。

 幻のシーンが加えられ、音がリニューアルされた『燃えよドラゴン ディレクターズカット特別版』だが、字幕の不備は相変らずだ。ま、映画の字幕などというものは、いい加減なものと相場が決まっているだけに、少々の誤訳を、いちいち気にしていては大人気ない。
……と、寛容な意見を述べてはみたものの、やはり許せない訳はあるわけで、単純に「板は打ち返さない」と直訳してくれればそれで済むところを、何も「決着をつけよう」などと訳すことはないではないかと、ビデオ版を見るたびに不満をおぼえずにはいられない。
 そんな不満も、リーの早業が炸裂すると、もうどうでもよくなっているところに、ブルース・リー映画の快さがある。前手(右手)を、後ろ手の左手で封じてのバックフィストは、映画の画面からでは、容易には視認できないスピードであり、同時にこの技術を繰り返し見せているところに、ブルース・リー自らの格闘芸術ジークンドーに対するこだわりも感じられる。

 ジークンドーは、自分の利き手を前にして構える。右利きなら右手が前だ。これは、ジークンドーの母体となった中国武術でも多くとられる形である。利き手を前にした構えで闘うと、どうしても相手の前手(右手)が邪魔になる。しかも、この手が、拳、掌、手刀、鉤手など、自由に変化しながら素速く飛び込んでくるのだから、危険で厄介極まりない。
 この手をとにかく封じたい。そこで、ジークンドーでは、パクサオに代表される、相手の腕を押さえて封じる技術が多用されるのだ。腕を押さえるだけでなく、手を払い落とす、手首を掴んで引き崩すなど、前手を封じる技術は数限りなく存在し、前手を接触させた状態での崩し合いから、次段階の攻防が開始される。オハラとの戦いで、前手を封じる攻防に徹底してこだわったところに、ジークンドーの実戦性と合理性が自ずと浮かび上がってこよう。

 ブルース・リーといえば足技の印象が強く、誰もがその蹴りに憧憬の念を強く抱いているはずだ。ところが、『燃えよドラゴン』には、蹴りを使わず、手技、というか上半身だけに限った攻防を見せるシーンがいくつかある。
 オハラとの戦いにおける序盤の攻防もそうだが、麻薬工場に進入してからの、エレベータ前での戦いを挙げたい。ここでのショットはバスト、すなわちブルース・リーの上半身だけをとらえた固定ショットが続く。

 固定したカメラという映画制作上の制限よりも、ブルース・リーはあくまでここは上半身だけでやりたい、とこだわったように思えてならない。それだけに、このショットでは、ブルース・リー武術の教科書ともいえる、さまざまな手技のバリエーションが紹介されている。
 しかし、実は手技だけでないところを見逃してはならないだろう。先に、「手技、というか上半身……」と記したのは、そのためだ。左手を上から振り下ろしてくる相手の攻撃を、相手に対し半身になったまま自分の左手を右肩の上へ上げて払い、右手を下から振って金的を打つ。

 相手はこの金的攻撃でやられてしまうのだが、リーは金的を打ちながらも、身体全体を相手側へ移動させ、そのまま肩からの体当たりが可能な体勢をとっている。相手がもし、金的打ちを腕でガードしたなら、金的を打った右手と相手の受け手を支点とし、よりかかるようにして肩から体当たりを食らわすのだ。 体当たりというと、あまり強力な攻撃というイメージが湧かないだろうが、修練を積んで肩からうまくぶつかれば、相手の胸骨をへし折るくらいのことはできる。肩で致命打を与えられなかったとしても、腕や肘、歩法などを利用して、第二、第三の追撃も可能だ。

 ジークンドーは、相手にとどめを刺すまで、無限に攻撃が続けられる。今述べた、金的打ち、体当たりからの連続攻撃は、ジークンドー特有の技というわけではないが、一瞬にして相手を倒すリーが、次の段階に至る場合の体勢をもとっているところに、深い感銘をおぼえずにはいられない。 ブルース・リー・アクションの魅力は、並み居る敵を次々に倒していくところにあるが、一撃では倒せない強力な敵、すなわちハン・イェン・チェンや橋本力、チャック・ノリス、シー・キェンらを相手に、無限に続く連続攻撃を見せてほしかった、というわがままな思いも抱かずにはいられない。
 鏡の間に入ってからは、攻防が断続的になり、挙げ句の果てには、サイドキックで吹っ飛ばされたハンが、槍に突き刺さって死んでしまうという唐突な結末を迎えることになることは衆知の通りだ。この結末をどうこう言うことはないのだが、『燃えよドラゴン』を見る常として、もう一度見たい、という気持ちの高まりを抑えることは難しい。一回限りの上映では、その欲求を果たすことは叶わず、報道陣にのみ許された、リンダ夫人の記者会見に臨む、という形で補う他に術はなかった。

 『燃えよドラゴン ディレクターズカット特別版』の劇場公開はあるのか?
 ビデオという形態ではなく、スクリーンでこの映画に再び出会える日はいつになるのか。限りなきブルース・リー作用をスクリーン以外で埋めるためには、拳を練って功夫を身につけていくしかないのかも知れない。
     
 
製作:フレッド・ワイントロープ 、ポール・ヘラー 、レイモンド・チョウ
監督:ロバート・クロウズ
音楽:ラロ・シフリン
出演者:ブルース・リー 、ジョン サクスン 、ジム・ケリー 、ベティ チュン 、ボブ ウォール 、アーナ・カプリ
 

 

 
 02/第弐篇 ガメラ3 邪神<イリス>覚醒  

■第1部 4位論
 『ハクション大魔王』の歌詞ではないが、「数字にゃ泣けてくる」と言いたいくらい、私は数字に滅法弱い。これは周りの方々も認めるところだ。そんな性質にも関わらず、時として数字論を出したくなってしまうのは、人情というものか。

 空手などのトーナメントを見たことがある人なら分かるだろうが、トーナメント戦では、優勝者と準優勝者、つまり1位と2位が、全試合の終了時に、自動的に決定する。
 問題なのは、3位と4位だ。準決勝で既に負けた人間2人を、再び試合場に上げて闘わせ、その勝者を3位、敗者を4位とするわけだが、これは順位を決めるために無理矢理2人の敗者を闘わせる、かなり酷なやり方である。近年では、選手のダメージを考慮し、準決勝で敗退した2人を両方3位とする形をとる大会も多くなっている。

 それでも、空手トーナメントの老舗である極真会館などは、頑なに以前からの方針を曲げず、3位決定戦を行い続けている。3位決定戦の場に臨むのは、非常に辛い。もはや優勝への望みは絶たれている。「優勝以外は、すべて同じ」との思いを抱く選手は多い。もう、この大会では優勝できないんだ! そのような中でも、たったひとつの、しかも優勝より2つも低い位置を争わなければならないのだから、これがいかに残酷な試合となるかは明らかだ。
 「3位決定戦では絶対に負けない」。優勝を始め数々の入賞経験を持つ知人はそう語る。「ひとつの大会で2回負けるわけにはいかない」という理由からだ。それを実行してきた人だけに、その言葉には説得力がある。しかし、勝者のいるところに、必ず敗者が生じるのが試合の常で、引き分けを認めないトーナメントの3位決定戦では、3位が決定すると同時に4位が決定されることになる。

 先の知人が言う「ひとつの大会で2回負け」。それが4位入賞者だ。4位入賞――それは、下位の選手と比べれば、誇るべき順位である。しかし、「ひとつの大会で2回負け」という屈辱を味わうのは、この4位入賞者ただ一人だけであるこも無視できない。
 3位決定戦制度をとっている極真会館で、ウェイト制の全日本では何度も優勝し、その実力を高く評価されながらも、無差別の全日本ではベスト8どまりに終わっていた選手がいた。青森県にある有名な土地の名に似た苗字を持つその選手は、聞き慣れぬその名、さらにはその当時始まったばかりのウェイト制全日本で優勝することによって、注目度を高めていた。
 数年後の世界大会でベスト8入賞を果たし、いよいよ念願の無差別全日本制覇かとも思われていたが叶わず、第5回の世界大会で再びベスト8入りを果たした翌年の第24回全日本で、「4位入賞」を果たす。これが七戸康博選手の全日本における最高順位となった。

 パワーに頼る荒い組手という点を指摘されがちだった七戸選手だが、この第24回大会では、動きに無駄がなくなり、持ち前の力を的確な攻撃として相手に伝えるスタイルへと自らを進化させていた。自分の殻を破った七戸、ということで、翌年への期待は高まった。
 ドラマはここから始まる。第25回全日本の七戸選手は、期待通り、いやそれ以上の闘いぶりで勝ち上がり、準々決勝では八巻健弐(当時は健志)選手と対戦。大型選手の多い極真でもひときわ大きな2人の対戦は、まるで地を揺るがすかのような打撃戦となり、渾身の左右直突き連打で八巻選手を後退させた七戸選手が勝利を収め、本大会のベストファイトともいえる内容となった。

 ところが、準決勝では、田村悦宏選手のコンパクトな攻撃と固い守りをどうしても崩せず、七戸選手は敗れ去る。結末は、あの巨漢・田村選手が、何と体重判定で勝つという、不思議な光景であった。こうして2年連続で準決勝敗退となり、3位決定戦に臨んだ七戸選手を待っていたのは、これもまた2年連続で準決勝敗退し、3位決定戦に臨む岡本徹選手だった。

 前回の3位決定戦は、岡本選手が七戸選手に下段回し蹴りの一本勝ち。あの七戸選手を倒した、ということで岡本選手は急浮上することになったわけだが、昨年は準決勝の数見肇戦で七戸選手のダメージが蓄積していた、という見方もあった。しかも、2年連続で同じ相手には負けられない、という意地を七戸選手が見せるだろう、との予想も強い。
 ところが、結果は昨年と同じく、七戸選手の一本負け。これを何と表現したらよいものか。伸び盛りの岡本選手と、引退の近づいた七戸選手という対比はいかにも簡単だが、そのようなことでは片付けられない鬱屈した何かを残す試合であった。

 ここで、浮かび上がるのは、岡本選手の実力でも、七戸選手の悲劇でもない。一本負けが2年連続、3位を取れずに4位となった、という数字そのものなのだ。数字とは、極めてプロ野球的なものである。4打席4三振、400勝、4割打者……。選手たちが見せる運動の軌跡などではなく、あくまで結果としての数字が強調される。格闘技においても、ボクシングなどメジャーな競技は、スポーツ新聞などで取り上げられることによって、数字の世界へと化している。

     
  ガメラ3 邪神<イリス>覚醒  / 1998年 日本
監督:金子修介
脚本:伊藤和典
撮影:戸澤潤一
音楽:大谷幸
出演者:前田愛 、中山忍 、藤谷文子 、安藤希 、手塚とおる 、螢雪次朗 、山咲千里
 

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