つれづれに     2003年6月

 核家族について、学生さんから質問があったが、前近代と近代では、家族のあり方も近代とは違う。前近代では、平均寿命が短かったので、どこの家族でも核家族に近い人数だった。家族の人数だけで言えば、何時の時代も5人位だっただろう。 人数だけ見ると、核家族のように見える。

 前近代つまり農耕社会では、家が生産組織だから、家族は生産が規定する条件に従わざるを得なかった。機械化される前の農業では、何人もの人間が労働力として必要だった。労働力の多い大家族は、繁栄の証だったので、あるべき家族の理念型は大家族だった。

 近代になって、主な産業が農業から工業に変わったことにより、家が生産組織ではなくなった。家族は労働力とは無縁になって、農業生産が規定する家族構造に従わなくても、やっていけるようになった。しかし生活のため、男性が工場や会社にでて収入を得、女性が家事を分担した。農業から工業に変わったが、人間は生産構造からは逃れられない。

 収入が男性にしかない工業社会になって、家族は大人数を養う構造的な支えを失い、少人数しか生活ができなくなった。ここで、あるべき家族の理念型が、核家族となった。「社会構造」でマードックが言うように、繁殖のための核家族=対なる男女と、社会現象としての核家族は次元の違う概念です。ちなみに、我が国で農家数が減少を始めるのは、1960年頃からです。

 大家族とは全員が労働に従事する形態で、核家族は稼ぎのある男性に、稼ぎのない女性+子供という組み合わせです。家族の人数でだけ見ると、前近代も近代もそれほどの違いはない。しかし、家族のあるべき理念型が変わった。女性が稼ぐようになった今、核家族は分解を始め、「単家族」になりつつあるのは、言うまでもない。(2003.06.22)

 前近代人たちは、神様と一緒に暮らしているから、自分を疑う必要がない。生きるがままに生きることを、神様から許されている。しかし、近代人たちは神様を殺してしまった。自然から切り離された近代人は、自分を離れた視点から自分を見る。そして、自分の位置を確認せねばならない。

 前近代人と近代人が出会うと、前近代人はゆったりと生きており、反対に近代人は頼りなく見える。常に自分の存在を確認せねばならないから、近代人たちはおどおどして落ち着きがない。個人としての輪郭が、はっきりしている近代人は、色白でひ弱で自信なげである。

 前近代人たちのほうが、存在感が豊かである。しかし皮肉なことに、ひ弱な近代人のほうが長生きである。個人的な戦いでは、前近代人の方がはるかに強いだろうが、集団になると近代人のほうが圧倒的に強い。(2003.06.20)

 近代は人間の行動を大きく変えた。私たちは現在を生きているので、現在が当たり前に感じ、人間行動の変化に気づかないが、着実に変わっている。最近の若い人たちは、実に辛抱強く並ぶ。これも近代のなせることだ。近代になると物が豊かになり、並んでいた方が確実に入手できる。そこで誰でも並ぶようになった。

 つい40〜50年前の日本人は、今の若い人のように、きちんと並んで順番が待てなかった。列を作っても、途中から割り込むの当たり前、しっかりと気をつけていなければ、どんどんと割り込んできた。そんな事情だったので、1960年代にアメリカに行ったときには、アメリカ人が辛抱強く並ぶのに驚いた。

 今でも、アジアを旅すると、かつての日本人同様に割り込む人に出会う。中国でも、インドでも同じ光景を見る。インドでの話は、「パンク! オートリキシャ」に、その一部を書いている。外見は近代化したお金持ちでも、行動様式が変わるには、また長い時間がかかる。

 並んで待つのが近代人の証であることは、野村雅一氏も「身ぶりとしぐさの人類学」のなかで論及されている。前近代では、武士たちは並ぶまでもなく、欲しい物は優先的に入手できた。しかし、庶民にとっては事情は違った。物が少なかったから、待っていたら入手できず、早い者勝ちだった。大きな声で力の強い者が、生き延び得る。それが前近代の庶民たちだった。

 我が国の並ぶ列には、男女が交じっても、同じ扱いである。しかし、列を作れないと、腕力の勝負になる。インドで列車の切符を買うには、押し合いへし合いするから、屈強な体力が必要である。女性はなかなか切符が買えないだろう。そんな意味でも、近代人たちには、屈強な腕力は不要になった。(2003.06.17)  

 前近代では農業が主な産業ですから、人間は土になじみます。「近代を準備する者たち」でも書いていますが、前近代では大地に尻をつけて座る姿勢が多く見られます。そして、近代にはいると、徐々に大地から離れ、椅子の生活になっていきます。我が国でも、最近は椅子の生活が多くなりました。

 椅子の生活に慣れないうちは、足の所作が上手くできません。1986年に発行した「家考」の居間という章で、それを論じていますが、最近は足の仕舞いが美しくなりました。若い人たちは、小さな頃から椅子の生活をしてきたせいでか、テーブルで見えない下でも、足をきちんとそろえていることが多くなりました。中高年者が見えないことを良いことに、テーブルの下では足を無様に扱っているのとは、近代化のされ方は雲泥の差です。

 若い人たちの足が、長くなったことは話題に上りますが、テーブルの下の足の仕草など、誰も気にしていないでしょう。しかし、足の長さや形だけではなく、足の動かし方にも変化がでています。無意識のうちにも、人間は近代化の影響を受けています。(2003.06.13) 

 話し声の大きさも、近代化の影響下にあるとすれば、話し方ももちろん影響下にある。前近代的な感覚は、見知らぬ人とでも簡単に言葉を交わし、プライベートなことまで平気で質問を許す。それが近代になると、個人の輪郭がはっきりしてくるので、見知らぬ他人にはなかなか声をかけなくなる。そして、プライベートな事柄は、相当に親密な間柄にならないと質問しない。

 我が国でも、かつては見知らぬ人同士が、たちまち打ち解ける場面をみた。また、街で知り合いと出会うと、挨拶代わりの言葉として、行き先を聞いたりもした。しかし、そうした傾向は徐々に減ってきており、見知らぬ他人とは言葉を交わさず、行き先を聞くことも少なくなってきた。

 近代化は物質的なことだけに影響を与えるのではない。近代で個人が確立するというが、具体的な生活の様子に論及されることは少ない。しかし、人間の生活にも、また精神状態にも、大きな影響を与える。それは下記のような声の大きさだったり、見知らぬ人に話しかけることだったりする。(2003.05.06) 

 近代に入るまで、人間は自然のなかで、神様に守られて暮らしてきた。農民に生まれたら農民になるしかなかったので、自分の人生を自分で決める必要はなかった。ここでは自然と人間が一体になっていた。だから、人間は自然の一部として、動物がするように生活できた。痰を吐いても、立ち小便をしても、自然が治癒してくれた。

 近代にはいると、自然と人間の距離が離れ、都市に住むようになった。都市は人間の行為を丸ごと許容してはくれない。人口密度の高い都市で、人々が痰を吐くと、自然は治癒しきれない。都市で油断していると、たちまち不衛生になって、伝染病が襲いかかった。サーズの猛威は、中国が近代化しきれていない証である。

 と同時に、近代は人間の感覚をも変えた。中国人や韓国人は大きな声で話すという。それに対して、西洋人は小さな声で会話する。前近代では個人の輪郭が不明で、自然と一体化していたので、大きな声で話しても、他の人は迷惑と感じなかった。しかし、近代になると、個人の輪郭が明示されてきて、大きな話し声は、他の人の輪郭を侵害するようになった。

 近代人たちは、自分という人間と同時に、他人というの人間を意識するので、話し声が小さくなった。我々日本人も、1960年以前は大きな話し声だった。近代が浸透するに従って、日本人の話し声も小さくなってきた。いまや日本人は道ばたで痰を吐かないように、日本人の話し声の大きさも変わったのである。(2003.06.04)

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