つれづれに     2003年12月

 今年もすでに数日を残すだけになった。今後ますます、近代の限界が露呈されてくるだろう。そこで、近代から後近代へと脱皮を図るか、近代の修正に拘るか。残念ながら、近代から脱皮できないように感じる。

 20世紀最大の思想であるフェミニズムを、我が国の女性たちは歪曲した。女性運動家は、男性批判を繰り返しているが、彼女たちも男性とまったく同じ古い体質である。専業主婦という既得権を手放さないし、自己変革しようという気はまったくない。ただ、実利的な功名だけを求めている。

 男性や男性支配の社会が責められながら、社会の半分である女性たちが、既存社会とはまったく違う価値観をもつなど想像できない。女性運動家たちも、男尊女卑の風土が居心地良いのだろう。組合が企業以上に保守的であるのと、我が国の女性運動に同質な構造が見える。

 来年は既存の女性論者を、うち破る論客が登場して欲しい。おそらく今の女性運動とは、まったく別の所からでなければ、今後のフェミニズムは語れないだろう。

 リブをとなえる女たちは、それがなにより自分の責任において、自らを不幸にする思想であることを百も承知なのである。(中略)ウーマン・リブの闘争はまさに狂気の沙汰であり、(中略)従来の婦人運動に彼女たちは期待しない

と、岡田秀子氏が語るのを味読したい。(2003.12.26) 

 前近代と後近代の通底は、近代がきわめて特有な時代であることの証明だろう。我が国の前近代では、混浴が当たり前だったし、男女の雑魚寝が当たり前、女性は乳房を見せることに抵抗がなかったし、もちろん女性も立ち小便をした。今、先進国の女性たちが、前近代に生きる女性たちと、似たような生活習慣を持ち始めている。

 アジアを旅していると、大部屋形式の宿があるが、そこでは男女の雑魚寝だし、白人女性は平気で乳房をさらす。そして、西洋諸国では、アフリカの民族的表現が、一種の芸術として評価される。アフリカの土俗的な踊りは、歌舞伎と等価だと思うとき、我が国では近代を脱出する萌芽を感じない。

 我が国では、近代の管理化がますます指向され、後近代の自由さは伝わってこない。インターネットの自由さを楽しむより、インターネットが無法地帯になることへの、規制対策ばかりが語られるようだ。後近代と前近代が親密感を増すなかで、我が国は一人近代に沈むのか。(2003.12.22)

 近代が終わることは、人間がより自由になることだ。西洋諸国を見ていると、女性はブラジャーをはずしたし、婚外子の出産に躊躇しなくなっている。また、学校以外の教育機関を、政府が正規なものとして認めるようになりつつある。ここでは、個人の選択にまかせよう、とする傾向が良く感じられる。しかし、我が国では事情は違うようだ。

 女性たちは、相変わらずブラジャーをしているし、男性は相変わらずネクタイをしている。婚外子は少ないままだし、文部省の規制は相変わらず厳しい。後近代とは、一面では前近代と、通底する。近代だけが、規格型の大量生産を良しとした。近代では、人間も個性より、他人と同じが良しとされた。

 ブラジル映画「私の小さな楽園」を見ると、前近代と近代の違いがよく判る。この映画の舞台は、前近代といっても良い。電気もなければ、ガスもない。ここに生きる女性は、美人かどうかより、まず体力が重要である。そして、次ぎに出産力。主人公の女性は、過酷なサトウキビ畑の労働に、日々従っている。そして、3人の男性と共同生活をおくって、次々に子供を産んだ。

 先進国の映画を見ると、今やヒロインは不美人が多い。グレース・ケリーやグレタ・ガルボ・イングリット・バークマンといった超美人は、もはやスクリーン上では少数派である。アンジェリーナ・ジョリーにしてもキャメロン・ディアスにしても、決して美人とは言えない。しかし、彼女たちは魅力的である。そして、前近代に生きるヒロインも、美人とは限らない。

 映画は時代や社会を映す。女性の社会進出の進んだ国では、おそらく美醜は問題ではなくなりつつあるのだろう。それが映画に反映されているに過ぎないと思う。ひるがえって、我が国の映画を見ると、やはり美人やかわいいタイプが主流である。女性に経済力を与えようとしないから、我が国の女性はいつまでたっても、鑑賞の対象でしかない。(2003.12.22) 

 アメリカのフェミニズムは、「クレーマー、クレーマー」を見ても判るように、主婦が始めた。家庭にいた専業主婦が、家事労働の手応えのなさに疑問を感じて、子育てを一時中断してまで、家庭を出た。職業に就くことによって、自己の存在を確認した。だから、アメリカのフェミニズムは、最初から専業主婦の否定が前提だった。

 それに対して、我が国のフェミニズムは、未婚の若い女性たちに担われたので、家庭で担わされる女性の役割が実感できなかった。そのため、女性運動からフェミニズムへと変身できず、それまでの母権主義的な女性運動を、そのまま引きずってしまった。その結果、アンペイドワークといった家事労働の再評価へと迷走していった。岡田さんが次のように言う意味は、我が国では理解できなかった。

 女の解放は、妻・母・主婦としての女の地位の向上とは、あい入れないものである。妻・母・主婦は経済力を持たないゆえに男性に従っていく道を選ばなければならないが、家事・育児に経済的価値を認められようとすれば、家事・育児を女の仕事として定着させる政策にまんまとくみしてしまうことになる。「反結婚論」岡田秀子

 未婚女性にとっては、専業主婦か否かは、考えの中に入ってこなかった。結局、1970年以降の女性運動は、アメリカ産のフェミニズムを旧来の女性運動に、接ぎ木しただけだった。とすれば、我が国の女性の多くが専業主婦である以上、専業主婦が否定されるはずもなかったのだ。

 世界では、フェミニズムが女性の自立をめざし、自立とは職業人となることだと認識した。西洋諸国の女性たちは、いまやほとんど職業人である。職業人たることを志向しない我が国の女性運動は、フェミニズムには馴染みが悪かった。だからフェミニズムを棄てて、ジェンダーへと衣替えをするのは、当然だったのだろう。

 フェミニズムは女性自身の社会化を謳うが、ジェンダーに安住していれば、分析だけをしていれば済む。ジェンダー的な視点といえば、弱者としての女性と読み替えがきく。ジェンダーといえば、子育てを手放さずに済む。しかし、フェミニズムでは常に自己を問う作業が不可欠だから、女性たちは自己相対化の厳しさ耐えられない。

 男性のヒューマニズムに対置するものとして、女性がはじめて手にした思想がフェミニズムだが、もはや我が国では、フェミニズムが語られることはないだろうか。フェミニズムの世界史的な意味が、我が国の女性たちには、理解されることがないのだろうか。(2003.12.17) 

 女性運動で名を売った女性たちは、大学に職を確保し、いまや「先生」となった。そして、フェミニズムと名乗らず、ジェンダーと衣替えしていることが多い。世渡りの上手かった一握りの女性が、職を確保したの引換に、フェミニズムは多くの働く女性たちから、見放されてしまった。

 かつても本質的な思考をした女性もいた。たとえば、1972年に「反結婚論」を上梓した岡田秀子さんなど、時代の先を見ていた女性もいた。しかし、彼女の主張は主流になれなかった。ヴァレリー・ソラナスが「I Shot Andy Warhol」できちんと評価されているように、我が国の女性たちも先人女性をきちんと評価すべきだろう。

 バカの一つ覚えのように、平塚雷鳥をもちだすのは、もう止めたほうが良い。中ピ連を主宰した榎美沙子の評価も、未だにきちんとしていない。榎美沙子は「ピル」を書いたことだけでも、評価されて良いのに、むしろ彼女を白眼視したままだ。

 フェミニズムという思想を語らず、ジェンダーという分析概念に、乗り換えてしまった女性学者たちには、もう何も期待できない。所詮女性は、思想を創り出せなかったと言うことか。(2003.12.16)

 我が国のフェミニズムには、当サイトは今までも批判的だった。しかし、考えれば考えるほど、我が国のフェミニズムは許せないように思う。1970年当時、西洋諸国と我が国では、女性の社会的地位はそれほど変わらなかった。にもかかわらず、なぜこれほどの違いが生じたのか。我が国のフェミニズムの犯罪性に、本当に怒りを覚える。

 我が国のフェミニズムは、女性であることに拘り続け、とうとう専業主婦擁護から抜け出せなかった。いまでも、女性が社会で働くことより、家庭内の女性の地位向上に執着している。専業主婦という女性の存在を、どうしても擁護し続けたいようだ。それが女性全体にとって、どれだけ犯罪的行為なのか、いっこうに考える様子はない。

 近代に入る時、貴族たちが断頭台へと送られたが、同じ人間だからという理由で貴族に味方する者はいなかった。我が国でも同様で、武士も人間だとは言われなかった。武士は旧支配階級として、没落させられた。人間という属性ではなく、庶民とか大衆といった概念でくくられるものが、人間を区別したのである。

 フェミニズムが拘るべきだったのは、女性という属性ではなく、社会で働く女性という概念だったのである。女性という生物的な属性に拘ったので、結局、女性の自立を阻止してしまった。自立とは属性ではなく、概念とか観念がさせるものだ。

 近代に入る時には、大衆という人間が、貴族という人間を指弾した。フェミニズムも、稼ぐ女性という人間が、稼がない専業主婦という人間を指弾すべきだった。稼ぐ女性と稼がない女性を区別しないで、女性一般を擁護したので、結局、稼ぐ女性を見殺しにしてしまった。

 我が国のフェミニズムが、稼ぐ女性を見殺しにしたことは、どんなに批判しても批判し過ぎということはない。我が国のフェミニズムは、自力で生活できない人間を、再生産し続けた。我が国のフェミニズムは、職業が人間を鍛える機会を抹殺してしまった。女性の能力を家庭に死蔵させた責任は、我が国のフェミニズムにある。

 専業主婦は、男性に寄生する存在でしかなく、豊かな人間関係を結ぶ対象ではない。男性にとっても、稼ぐ女性こそ共通の会話ができる人種であり、ともに社会を支える仲間である。女性が人間として豊かになれる回路を断ってしまったフェミニズムを、男性からも大いに批判したい。(2003.12.15)

 西欧諸国を先進国といって、我が国も先進国入りしたと、思っていた。いつから先進国という概念ができたのだろうか。第2次世界大戦の頃は、アジア・アフリカ諸国の多くは、いまだ独立国はなっていなかった。当時、北欧諸国はまだ貧しかった。先進国といっても、その数は知れていた。

 我が国が先進国を意識し始めたのは、高度成長期を経てからだろう。思えば、1968年のパリ5月革命の頃には、まだ共産主義を信奉する国が大きな力を持っていた。先進国も貧しかったのだ。共産主義の影響からか、ほとんどの先進国が社会的不平等に怒り、ゲバラや毛沢東が信奉されていた。そして、男女不平等は当たり前だった。そんななか5月革命は、個人の自由を歌い、秩序への反逆を実践し始めた。

 1970年頃、西洋諸国と我が国では、男女のあり方については違わなかった。当時は西洋諸国でも、専業主婦が当たり前だった。21世紀に入って3年がたった。20世紀の後半で、先進国では同棲が当たり前となり、ゲイが台頭し、婚外子が大量に生まれた。もちろん、専業主婦は壊滅的に少なくなった。先進国では、核家族の近代が終わりつつあり、男女平等が実現しつつある。

 西洋の女性たちは、ブラジャーを焼き、脇毛を剃らなくなった。彼女たちは乳房を見せることに抵抗感がなくなった。西洋女性のリゾート・スタイルは、トップレスが当たり前である。しかし、湘南海岸で、トップレスの女性は、ほとんど見かけない。我が国では、5月革命の成果は収穫されているだろうか。悲観的である。男女平等はいまだ道は遠い。

 婚外子を生む人たちも、我が国ではほとんどいない。20世紀の後半、我が国は一体何を成し遂げたのだろうか。経済的な豊かさは、人間関係を豊かにしたか。70年代にはほとんど同じ地平にいた西洋諸国が、個人を大切にしたがゆえに、専業主婦を消滅させた。全員が稼ぐようになったので、男女関係は圧倒的に豊かになった。

 1970年頃は、西洋諸国も我が国も、男女平等に関しては、ほとんど同じ地平にいた。それがどうして、こうも差が付いてしまったのだろうか。先進国は昔から先進国だったのではない。我が国にとって20世紀後半は、精神状況に関して失われた50年だったように感じる。一体我々は何をしてきたのだろうか。(2003.12.12)

 思えば不思議なことだ。ベトナム反戦運動は、外国の話だったけれど、我が国の国内問題として考えられた。もちろん、若者たちは街頭に出て、機動隊と対峙した。あの時は、破防法の適用一歩手前まで行った。いま、自国の軍隊が海外に出ようとしているが、街には投石の影すら見えない。

 若者たちの街頭闘争が、機動隊の圧倒的な力に押しつぶされて、沈黙させられていった。確かに街頭での武力闘争では、完膚無きまでに敗北させられた。しかし、あの敗北によって、僕たちは闘うことから精気を奪われてしまったのだろうか。自立的な思考力が、削がれてしまったのか。

 軍隊を出すことは、アメリカ帝国主義には意味のあることだろう。しかし、我が国にとって、意味のあることだろうか。やはり戦車ではなく、ブルドーザーを出すことが、国益にかなっていると思う。それにしても、ベトナム反戦運動の頃、国益を考える発想はなかった。

 世界の平和は、我が国の平和であり、我が国の平和は世界の平和だった。ただ、悪者はアメリカ帝国主義だけだった。何と平和な時代だったことか。時代が進んで、世界平和から国民国家へと、発想が縮んできている。(2003.12.11)

 イラクでは相も変わらずの殺戮が続いている。アメリカはなるべく早く撤退したいらしいが、撤退することが良いのだろうか。当サイトではアメリカの国力を、大英帝国つまり今のイギリスの栄光の日々に、重ね合わせて論じてきた。

 アメリカはなぜ撤退したいのであろうか。現地の人たちに、アメリカに忠実な政権を樹立させ、自分は遠く離れたアメリカ大陸から、利益だけ吸い取ろうというのは、ちょっと虫がいいように思う。むしろ、アメリカは徹底的に介入して、自国の予算の10〜15%くらいを、イラクに投じたらどうだろう。

 石油からの利潤を望むなら、投資はまったくもって当然のことではないか。大英帝国もインドの財産を収奪したいが為に、鉄道を敷いたわけだし、スエズには運河も造ったのだ。大きな投資をしたから、世界中からイギリスへと財物を運ぶことが可能だった。しかも、当事のイギリス人たちは、平常時でも植民地にでかけた。

 植民地が開放されてしまったので、外国を武力で占領することは、許されないはずである。しかし、外国から利益を望むのなら、アメリカが投資をし、アメリカ人をイラクに住まわせることが、必要じゃないだろうか。最も少ない投資で、最大の利潤をあげたいとしても、ベトナムで失敗したように、戦略なき収奪は不可能である。

 戦争はイデオロギーのためではなく、利益の追求のために為される。だから、アメリカは学校を作ったり鉄道を造ったりして、高度な利潤が生み出せる構造をイラクに打ち立てれば、イラク人にも歓迎されるだろう。民族主義というのは、利潤追求の変形物だから、イラクでの生活水準が向上すれば、テロはたちまち雲散霧消するに違いない。(2003年12月04日)

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