つれづれに     2004年3月

 海外からの話題。「パッチピル」なる避妊具が、普及し始めているらしい。ピルというのは女性が飲む避妊薬だった。ピルの登場は、世界中のフェミニスト(日本のフェミニストを除く)から大歓迎された。なにせピルは、妊娠しないことを女性自らが決定できる、歴史上初めての避妊方法だったからだ。そして今度は、もっと簡単になった。

 体表に張るだけで避妊できるのが、「パッチピル」だ。4.5センチほどのシールだそうで、1週間に1度張り替えるだけで良いという。自分の身体は自分で守るのが基本だから、避妊の主導権も女性にあるのが当然だが、「パッチピル」なら男性も一緒に避妊を確認できるので、避妊の精度が上がりそうだ。いずれにしても、選択肢が広がるのは良いことである。

 もう一つは国内の話題。89歳の女性に、懲役3年4月の実刑判決が出た。裁判官は「社会に戻ったら改心して欲しい」と言ったというが、出所時には92歳である。罪名は詐欺だが、それにしても元気な高齢者である。(2004.03.26) 

 映画評を寄せてくださる方がでて、河畔望論というコーナーを作りました。今度は、プラトンの「饗宴」の書評を送って下さりました。当サイトの見方が多元的になり、とても感謝しております。本を読んだり、映画を見たりしても、それを文字に書き記しておくのは、なかなか難しいことです。

 今までも、当サイトの記事に反論を下さる方がいましたが、ほとんどは感情的な反発で、論旨が通っていませんでした。多くは匿名で、ただ好き・嫌いといっているだけです。なぜ好きか、どこが嫌いかを書かないと、読み手には真意が伝わってきません。しかし、建設的な批判は大歓迎です。

 かつて「家族、積みすぎた方舟」の訳者である穐田信子氏からも、ご批判のメールをいただいたりもしましたが、当サイトのフェミニズム関係記事にでもきちんと反論を下されば、それは傾聴に値します。論理を闘わせることは、より良い論理を生み出す基本だと考えます。(2004.03.25) 

 3月11日付けの日経新聞によると、アメリカの大手企業では500社中211社が、社員に対して「ドメスティック・パートナー(未婚の同居人)」を、法律的な配偶者と同じに扱っているという。1990年以前には、20社にも満たなかったことからすると、企業の動きは政府のずっと先を行くと書かれている。

 法律上の配偶者ではなくても、法律婚の人たちと同じように扱うことに、政府より企業が積極的というのは、まったく当然のことだ。企業は利潤追求のために活動しており、非法律婚者を法律婚者と同等に扱った方が有利となれば、簡単に方針を変える。利潤追求から、それは当然のことだ。

 アメリカのように3人に1人が婚外子という状況になれば、婚外子を雇用しないことは、経営戦略上考えられない。我が国の企業が法律婚に拘るのは、非法律婚を法律婚と同じに扱うと、法律婚者の労働意欲が下がるからだ。圧倒的多数の法律婚者を無視して、企業活動が成立するはずがない。

 婚外子が1%にも満たない我が国では、婚外子を無視したほうが企業経営が上手くいくから、婚姻届を要求する。もちろんアメリカだって、最初から婚外子が多かったわけではない。1970年頃は我が国とまったく変わらなかった。1970年以降、日本人はきちんと法律を守り、アメリカ人や他の先進国の人たちは、法律を守ることに熱心ではなかった。

 最初の異端者は、どんな異端でも風当たりが強い。中学生の自分の娘が妊娠することを想像すると、とても許せないと感じるかも知れない。しかし、籍を入れずに共同生活を始めた人たちも、最初は冷たい世間の目に曝された。事実婚を一番嫌ったのは、おそらく父親や母親だったろう。特に専業主婦の母親は、世間からの逸脱をもっとも嫌った。

 自分の子供には、世間並みの生活をしてもらいたい。親のそう思う気持ちが、現在の息苦しい空気を作ってしまった。日本の親たちに婚姻制度を無視する、法律婚を無視する気風があったら、田中須美子さんらは、こんなに苦労しなくても済んだのだ。どんなことでも初めの一人には、風あたりが強い。

 それにしても1970年以降、我々は思考し続けて来たのだろうか。営利を追求する企業にのみ、時代を切り開く可能性を与えてしまったのではないか。損得ではなく、自分の信に従って生きたい。(2004.03.12)

 婚外子の戸籍続柄での、差別的な記載を止めようという動きが、法務大臣側からもでてきた。当サイトは、戸籍制度そのものの廃止を最善と考えるが、それ以前の問題として、婚外子の差別的な記載には反対だった。最高裁は、婚外子の差別的な扱いを合憲としているが、人は生まれによって異なった扱いを受けて良いはずがない。

 最高裁は、婚外子が嫡出児と異なった扱いを受けるのは、婚姻制度を守るためであるといっている。また、婚外子が嫡出児の半分の相続権があるのは、婚外子を保護した結果だとも言う。ほんとうは婚外子の相続権はゼロでも良いのだ、とでも言いたげである。最高裁の鈍い人権感覚には、まったく呆れかえる。

 それにしても、婚外子訴訟を提起し続けていきた田中須美子さんらには、本当に頭が下がる。新聞報道によれば、彼女は1988年にも事実婚の相手と娘さんで、住民票の続柄欄の差別的記載の差し止め請求訴訟をおこしている。最高裁で敗訴したが、1995年に自治省は差別的な記載を廃止している。彼女たちの動きが、制度を変えたのである。詳細は、          http://wom-jp.org/j/GROUP/jyumin/

 同じように婚外子の地位を巡って、彼女たちは地道な戦いを続けている。私のようにサイトの上で文字を並べるだけではなく、実際に裁判をおこして自分の問題として、戦い続けているのは尊敬に値する。制度を変えようとする先達がいるから、後に続く者もその恩恵を受けることができる。

 戸籍制度があるから、結果として核家族が保護されてしまい、自由な人間関係が作れない。制度は人間を守るためのものであるはずなのに、制度が人間を苦しめる。「単家族」になるためにも、婚外子差別があってはならない。(2004.03.10)

 少子化に抗して子供を増やそうという意見は、子供を増やしたいという願望を述べているだけである。子供が減るには減る理由がある。現在の社会のやり方が、子供を持つには適合しなくなってきたから、子供が減ってきたのだ。現在のやり方を変えずに、子供を増やそうとすれば、誰かが辛い思いをすることになる。

 現在のやり方とは、核家族であり、20〜30歳前半の女性が結婚して子供を持つというシステムである。このシステムが機能不全になったので、子供が減ってきたのだ。にもかかわらず、核家族を維持したうえで、20〜30歳前半の女性に子供を産んでもらおうとするのは、時代が見えてないとしか言いようがない。

 戦前は15歳以下の女性も、子供を産んでいた。そして、50歳を越えた女性も、子供を産んでいた。私たちは、ただ1つの生き方が正しい、と思いこんでいないだろうか。戦前には姦通は犯罪だったから、こそこそと隠れてセックスをしたのだろうか。夜這いは犯罪だったのだろうか。(2004.03.05)

 少子化が進んでいるとは、毎日の新聞やテレビが報道するところだ。1950年には約234万人が誕生していたが、2001年には約117万人と半減している。出産年齢別に見ても、若い女性ばかりではなく中年女性も、子供を産まなくなってきた。1950年には50歳以上の女性も、331人が出産しているが、2001年には4人しか出産していない。

 そうしたなかで、唯一出産を増やしている年齢層がある。それは15歳未満の女性たちである。
年度 1950 1960 1970 1980 1990 1995 1999 2000 2001
出生数 49 12 14 18 37 48 43 45

 上記の数字は「人口動態統計」からの引用だが、この50年間、15歳未満の女性たちは出産を増やし続けている。1950年が49人と多く、それ以降がくんと下がるのは、何を意味するのだろうか。1950年頃までは、おそらく戦前を引きずって、古い習慣が残ったのだろう。

 太平洋戦争を始めた裕仁(昭和天皇)は、母親の節子氏が16歳の時に生んでいることから見ても、戦前は15歳未満の女性の出産が相当あったに違いない。下の表を見れば判るように、敗戦直後までは老いも若きもセックスをしたらしく、出産年齢も各世代にわたっている。それに対し現代では、避妊や中絶の普及も手伝ってか、25〜34歳の女性の出産へと集中するようになった。
年齢 〜15 15-19 20-24 25-29 30-34 35-39 40-44 45-49 50〜
1950 49 56,316 624,797 794,241 496,240 278,781 81,953 4,213 311
2001 45 20,920 157,077 450,013 399,808 127,336 15,047 398 4

 性体験の低年齢化とか、高齢出産など、性にまつわることは否定的に報道されることが多い。しかし、数字は反対の事実を語っている。昔の人たちは、現代人以上に早くからセックスを始め、高齢になっても子供を産み続けたのが真相のように思える。出産が命がけだった時代でも、人間たちは激しく性の営みを行っていたように、これらの数字は語りかける。

 1950年以前の統計がないので、確定的なことは言えない。しかし、45〜49歳の女性の出産数が、最近の50年で10分の1以下になってしまったことの反対例証として、若い女性の出産も今よりは多かったと思える。性体験の低年齢化は、昔に戻るだけの話しではないだろうか。(2004.03.01) 

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